第138回:畑野智美さん

作家の読書道 第138回:畑野智美さん

2010年に地方都市のファミレスを舞台に人間模様を描く『国道沿いのファミレス』で小説すばる新人賞を受賞してデビュー、二作目の『夏のバスプール』がフレッシュな青春小説として評判を呼び、三作目、図書館に勤務する人々の群像劇『海の見える街』は吉川英治文学新人賞の候補に。今大注目の新人作家、畑野智美さんは一体どんな人? 読書遍歴はもちろん、作家になるまでの経緯、そして最新作についてもおうかがいしました。

その3「暗黒(?)の10年間」 (3/6)

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――短大に進学してからはいかがでしたか。

畑野:指定校推薦で短大に入ってから、暗黒の10年間に突入します。東京女学館という、わりとお嬢さんばかりのところだったんです。みんながみんなその頃流行っていたヴィトンやプラダのバッグを持っているような学校で、私は汚い格好で、学校の図書館の2階の隅の誰も使わない自習室で1人でずーっと本を...。学校では1年からゼミがあったんです。1年の時は西洋の哲学史を読んで、2年生になるとデカルトの『方法序説』を読むんです。今日持ってきました(と、かばんからボロボロになった中公文庫の『方法序説』を取り出す)。

――わあ、たくさんマーカーで線が引いてありますね。書き込みもいろいろ...。

畑野:なんで接続詞を全部囲っているんでしょうね、私...。ここで本を読むことを鍛えられました。読んでレポートを書かなくてはいけないので。哲学の言葉って通常の日本語とはまた意味が違うところがあるので、ひとつひとつ先生に聞いていました。私ともう1人の友達があまりに一生懸命やっていたら、先生が1年の終わりの時に「一生懸命やっている子がかわいそうだからやる気のない子は来年はこの授業を受けないで」と言って、そしたら1年の時は30人いた学生が2年になったら3人になりました。その先生が、高野亘さんといって、以前群像新人賞を受賞した方だったんです。私の国語力を心配してずっとつきあってくれました。海外から来た人みたいに「テキストの日本語がよく分かりません」ばかり言っていたのに。『方法序説』は一回の授業で見開きぶんも進みませんでした。今思うと贅沢ですよね。生徒3人に先生が細かく説明してくださるなんて。そんな風だったので、短大の頃は学校に行って先生に絡んでバイトして本を読んで、という毎日でした。そのゼミで鍛えられたので、太宰の『人間失格』の面白さも分かるようになり、読み返してこれは私のことだと思って...まあ、そう思う人はいっぱいいるらしいですが。そこから図書館で哲学の本や志賀直哉や島崎藤村を読んでいました。

――いきなり渋い読書傾向に...。

畑野:バイト先の先輩が志賀直哉や島崎藤村をよく読んでいて、「この漢字はなんで読むでしょう」といったクイズを出されたんです。その影響です。

――レポートなどもよく書いたのですか。

畑野:レポートは多かったですね。出席しなくていいからレポートは出せ、という授業で、私はちゃんと出席もしてレポートも出していました。「うまい人がいる」といって授業で読んでくれる先生もいて、私、文章書けるじゃん、と思いました。卒論は『クマのプーさんの哲学』という、あの児童文学にも哲学的なアプローチがあるということを書いた本についてレポートを書きました。手書きで一気に30枚くらい書いたんですよね。密に授業に出ていたので、書きたいことがたくさんあったんだと思います。最後のほうは授業の感想みたいなものも書いたんですが、それでよくOKを出してくれたと思います。

――卒業後はどうされたのですか。

畑野:就職しないで演劇をやるんだ、と思っていたので、卒業後は演技の教室みたいなところに通いました。それがあんまり面白くなかった。ずっと憧れていたわりには、なんか違うなと感じてしまって、結局1年弱で辞めました。その教室に、『夏のバスプール』を刊行した時に朗読をしてくれた声優の能登麻美子さんがいたんです。能登さんと一緒に多摩川の河川敷に行ってしょうもない映像を撮ったりしました。当時はまだ大きかったビデオカメラを担いで、ひたすら能登さんを撮ったりして。演技は違ったけれど、そういうことがやりたいと思っていたんですよね。話がかなり戻りますが、高校の時には一瞬だけ芸人を志したことがあったんです。ダウンタウンの松本さんの『遺書』や爆笑問題の本もいろいろ読んでいました。でも卒業して映像を撮っていた頃にはもう、芸人という道もないな、と思っていました。そこからずっとバイト生活です。学生時代からいろんなバイトをしてきました。ファミレスで働いたり、後楽園の催事場でウルトラマンフェスティバルの手伝いもしたし、和菓子屋さんも洋菓子屋さんも...。卒業してすぐに漫画喫茶でバイトを始めたんです。最近の大きな店舗ではアルバイトが漫画を読むことは禁止されていると思いますが、私が2年半ほど働いたお店は個人経営の店で、暇な時なら読んでよかったんです。私が辞めた1年後につぶれてしまったような店です。そこで片っ端から漫画を読みました。お客さんのフリをして入荷してほしい漫画をアンケート用紙に書いたこともありましたね。先輩もいたんですがすぐ辞めてしまったので、自分がバイトリーダーみたいになったので、好き勝手にやっていました。『キューティーコミック』で羽海野チカさんの『ハチミツとクローバー』の第一話を読んだ時は衝撃を受けました。私はこの人が絶対好きだと思いました。それがその店のバイト生活での最大の出合いでした。

――仕事中に読書していいというのは羨ましい環境ですね。

畑野:不思議な縁があるんです。映画館で働いていた時も、仕事が終わった後に映画を観ていいよって言ってもらえて。その後新聞社でバイトした時も、面接の時に「あいた時間に本を読んでいいから」って言われたんです。世の中にはそういうバイトがたくさんあるのかと勘違いをしたくらい。新聞社でバイトをした頃は20代後半で、この先のことをきちんと決めないとまずいと思い始めていたんです。映像などもいろいろやってきたけれど、どれもなにか違う。それで、ちゃんと小説を書いてみようと思いました。演劇の教室で脚本を書く授業もあって、それは面白かったんです。でも脚本だと演じる人を集めないと形にならない。それは大変なので小説を書くことにしました。これはもう、すごく本を読まなくてはと思い、いきなりドストエフスキーを読み始めたんです。バイト先の新聞社で。それから三島由紀夫、川端康成、夏目漱石、谷崎潤一郎、太宰治など、作家になるなら基礎知識として読んでおくべきだろう作家を片っ端から読んでいきました......仕事中に。海外小説はカポーティやサルトルとか。シャーロック・ホームズも仕事中に全部読みました。なかには「あの子は本を読みに来ている」と嫌な感じで言う人もいたんですが、仕事は何かを頼まれたらやる、という感じで、土曜日なんかは出勤している人自体が少ないので、やることがなかったんです。新聞をチェックすることも仕事だったので、スポーツ紙と一般紙も毎日読んでいました。最後は「『失われた時を求めて』を残り3か月で読みます!」と宣言して、読み切ってから辞めました(笑)。新聞社を辞めた後にはじめたマッサージ屋の受付の仕事でも「あいた時間に本を読んでいいからね」と言われて、「えー、うっそー!」という感じで。リーマンショックの頃でお客さんも全然来なくて暇だったので、ロッカーに本を置いていつも読んでいました。20代前半の頃に向田邦子さんを読んだ時はあまりピンとこなかったんですが、20代後半になって読んだらものすごく面白くて、そこから向田さんもいろいろ読むようになりました。

――新聞社からマッサージ店の受付というのも、ずい分違う業種ですが。

畑野:新聞社は家から遠かったんです。時間も固定されていて、朝7時から夕方5時半まで働いて、昼休みも一切なし。その頃はもう新人賞に応募していたので、毎日3時間睡眠で小説を書いていたんです。午前2時まで書いて寝て、5時に起きて出かけていました。よくできていたな、と思います。その頃に家で読んでいたのが森見登美彦さんや阿部和重さん。森見さんの本を読むことは本当に楽しみで、寝ればいいのに明け方まで読んでいたりしました。当時は『太陽の塔』と『四畳半神話体系』、『夜は短し歩けよ乙女』あたりまでしか出ていなかったんですが、読むのがすごく楽しみでした。新聞社に通うのが大変だったので家の近くでラクな仕事をしようと思ってマッサージ店にしたんですが、それだけでは生活できなくて週3回出版社で働くようになりました。そこが作家の樋口毅宏さんも以前いた、白夜書房だったんです。その時は樋口さんとは面識がありませんでした。マッサージ店ではずっと本を読んで、ハリー・ポッターのシリーズを全部読んだのはこの頃です。白夜書房では上司が観ていないと思って携帯でテレビ見ていたら怒られて、音楽を聴くのはいいというので落語のCDを携帯に落として聞いていました。

――20代でそこまで読書の時間を割くことは難しいはず。畑野さんは何かに導かれていたかのようですね。

畑野:仕組まれているのかと思いますよね。そもそも小さい頃に家の近くに図書館が出来たこともそうですよね。中高の頃の現国の先生と短大の哲学の先生との出合いも、恵まれていました。

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