第138回:畑野智美さん

作家の読書道 第138回:畑野智美さん

2010年に地方都市のファミレスを舞台に人間模様を描く『国道沿いのファミレス』で小説すばる新人賞を受賞してデビュー、二作目の『夏のバスプール』がフレッシュな青春小説として評判を呼び、三作目、図書館に勤務する人々の群像劇『海の見える街』は吉川英治文学新人賞の候補に。今大注目の新人作家、畑野智美さんは一体どんな人? 読書遍歴はもちろん、作家になるまでの経緯、そして最新作についてもおうかがいしました。

その4「応募生活を支えた座右の銘」 (4/6)

国道沿いのファミレス
『国道沿いのファミレス』
畑野 智美
集英社
1,512円(税込)
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――新人賞の応募はずっと続けていたのですか。

畑野:プロになりたいと思ってからはずっと出していました。小説すばる新人賞は最初2回くらいは一次にもひっかからなくて、三回目で三次選考までいったんです。他の新人賞にも応募しましたが一回二次にいったくらいで他はひっかからなかったので、やっぱり小説すばる新人賞が合っているのかなと考えました。それでも最終選考まで残るにはものすごい厚い壁があるだろうと思っていたんですが、『国道沿いのファミレス』で残ることができて。それを書いた頃って、妄想することに集中していたので、それが小説になった感じでした。バイト行って本を読んで家に帰って本を読んで映画を観て小説を書くという毎日で、現実に触れていなかったんです。子供の頃の、妄想している頃の自分に戻っていたと思う。20代後半になると友達も結婚したり出産したりして、私は何をしているんだろうと思った時、妄想に集中するしかなかった。そういう時には『方法序説』に書いてある文章のことを思い出していました。長い引用になるんですが...。(と、本を読む)

〈どこかの森に迷いこんだ旅人たちは、あちらへ向かったり、こちらへ向かったりして迷い歩くべきではなく、いわんやまた一つの場所にとどまっているべきでもなく、つねに同じ方向に、できるかぎりまっすぐに歩むべきであって、その方向を彼らに選ばせたものがはじめはたんなる偶然にすぎなかったかもしれぬにしても、少々の理由ではその方向を変えるべきではないのである。というのは、こうすることによって、旅人たちは彼らの望むちょうどその場所には行けなくとも、少なくとも最後にはどこかにたどりつき、それはおそらく森のまん中よりはよい場所であろうからである。〉

私にとっては、長い座右の銘です。短大生の頃から、まわりは就職活動しているけれども、この言葉を思い出しながら、自分は自分の道をいこうと思っていました。20代後半になってからは「就職しろ」と周囲に言われてケンカになったこともありました。演劇をやっている友達もいたけれど30をすぎると女の人たちはやめてしまう人が多かった。自分は絶対やめないと思って、絶対に小説家になると思って、この言葉だけを信じていました。でも母親の定年が近くなって、そろそろ限界かなと思った頃に書いたのが『国道沿いのファミレス』でした。

――ファミリーレストランに勤める青年が、トラブルで左遷されて故郷の地方都市の店舗に赴任する。そこでの人間関係を描いた青春小説ですね。

畑野:地方の方が読んだらこんなもんじゃないよ、と言うかもしれません。でも東京に住んでいても、ずっと地元にいれば地方都市的な嫌なこともあるんです。近所に友達の親が住んでいるし、「○○さんのところの子は結婚したらしいわよ」といった噂は入ってくるし「畑野さんのところのお嬢さんはどうなっているの」って噂されているんだろうなと分かるし。それに、2年間だけ千葉に住んだことがあったんですが、その時に町の中に自分を知っている人は一人もいないという経験をしたんです。地方から東京に来た人はこの落差を感じるんだなと思いました。あと、世田谷に住んでいるといっても不況の波で、近所のファミレスがつぶれたり、スーパーができて個人商店がつぶれたり、後継ぎがいなくて八百屋さんがつぶれたりすることもありました。そういうことを地方に持っていって小説にしたんです。バイトも10年以上やっているとシフトづくりを任されたりするようになる。『国道~』の中で主人公がシフトづくりをする場面は自分の経験そのものです。仕事が終わると携帯に7通くらいメールがきていて、それが全部学生たちからシフト変更のお願いということはよくありました。そこから想像していきました。

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