第145回:井上荒野さん

作家の読書道 第145回:井上荒野さん

人と人との間に漂う微妙な空気感を丁寧に掬いとる実力派作家、井上荒野さん。幼い頃からお話を作るのが好きで、1989年にフェミナ賞を受賞してプロへの道を切り開いたものの、しばらく小説が書けなかった時期があったという。再び筆をとって2001年に再起、その後は直木賞や中央公論文芸賞を受賞。そんな彼女が出合ってきた本たちとは? 戦後文学の旗手と呼ばれた父・井上光晴氏の思い出にも触れつつ、お話ししてくださいました。

その3「小説が書けなくなった頃」 (3/5)

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―――その頃すでにはっきりと作家を目指していたのでしょうか。

井上:なりたいとは思っていたけれど、それを言うのが気恥ずかしい環境にいたし、1回言ってしまってなれないのも嫌だしという、うねうねした気持ちがありました。卒業後も今のようにちゃらちゃら遊んでいられないとは思っていて、洋服が好きだったので「ハウスマヌカンになる」と言ったら父が見かねて「それは待て」と言い出して。小学館の近代文学全集の編集部にアルバイトでもぐりこませてもらいました。昔の名作を揃えて刊行する部署で、そこに3年くらいいました。26歳くらいで辞めて、フリーで記事を書いたりコピーライターみたいなことをしながら、たまに同人誌に小説を発表していました。

――新人賞に応募したり、編集者に原稿を見せたりはしなかったのですか。

井上:父の知り合いに見せるのは絶対に嫌だと思っていました。同人誌に長めのものを書いた時に、ちょっといいかなと思って、フェミナ賞に応募したら江國香織さんと同時受賞したんです。賞に応募するのははじめてでした。よしもとばななさんが注目されて二世作家が話題になっていた頃なので、その影響での景気づけだったんでしょうね。でも、それで萎縮してしまって、書けない時期に突入したんです。

――念願の作家になったとたんに、書けなくなってしまったということですか。

井上:江國さんはどんどん書きはじめていて、私もそうできたらよかったんですができなかった。その頃の私は小説と自分との関係がよくわからず、闇雲にやっているだけで覚悟ができていなかったんだと思う。しょっちゅう家に来る編集者からお愛想で「うちで書いてみる?」と言われるともう、絶対に褒められるものを書かなきゃいけない、失望させちゃ駄目だ、と思ってコチンコチンになっていました。

――お父さんはどういう反応だったのですか。

井上:うちの父にとって娘が小説を書きはじめたことは僥倖のようなものだったみたいです。絶対にけなさなかった。死ぬまで。いろいろ教えたいこともあったと思うけれど、下手なことを言うと私が「もうやめる」と言い出すと思ったんでしょうね。全部褒めてくれました。どうしても褒められないものはタイトルだけ褒めてくれた(笑)。自分から同人誌を見せたことはなかったのに、勝手に私の部屋に入って読んでいるんですよ。それで黙っていればいいのにどうしても言いたくなって、「あーちゃんはタイトルがうまいなー」って(笑)。

――幼い頃の段ボールの入った絵本のお話からずっとうかがっていると、お父さんは娘に小説のことを教えたかったけれど、ぐっとこらえて見守ってきたという感じがしますね。

井上:不器用な人だったんです。父親というものをやるのが下手な人で、私の周りをなんかうろうろしているだけという感じでした。私が小説の注文を受けて「どうしようかな」と言っていると、「俺テーマはいっぱい持っているんだけどな」「1個10万円でどう?」なんて言ってくる。「就職活動をしたらどこを受けても失敗する女の子の話はどう?」って言われたのを憶えています。でもそう言われたからといって書けるわけではないんですよね。私がそこで「教えてよ」と訊けばいろいろアドバイスをくれただろうと思いますが、私も訊かなかった。今思えば、もっと父と小説のことを話しておけばよかったと思う。それは死んでから思うことですよね。

――フェミナ賞を受賞されたのが1989年、その3年後の1992に井上光晴さんは亡くなったんですよね。

井上:そうなんです。母も言っていたんですけれど、父が生きていた頃は翻訳ものばかり読んでいて、父と同時代の日本人作家の話はしづらい雰囲気があったんです。三島由紀夫さんや大江健三郎さんの本も家にはあったけれど、話題には出さなかった。父が死んでから、私も母も猛烈に大江健三郎さんを読み始めて、「これ面白いじゃん!」なんて言っていました(笑)。全部好きなんですが、いちばん好きなのは「芽むしり仔撃ち」。彼の故郷の松山が舞台になっていて、怖くて哀しい話だけれど、少年院の男の子たちが一瞬だけ自分たちのユートピアみたいなものを手にいれて開放された時の、彼らの目を通した自然描写がすごくいいんです。ストーリーもいいけれど、ある場を書く、ある世界の空気を書くことの面白さを感じました。他にもは「奇妙な仕事」や「死者の奢り」、「見るまえに跳べ」とか「運搬」とか...。その頃に河野多恵子さんも読みましたね。

――好きな作家の作品は集中的に読むほうですか。

井上:その頃日本文学でそれをやったのは大江さんと中上健次くらい。もっと後になってから、山田詠美さんもずっと読んでいました。翻訳小説ではガルシア=マルケスがそうでしたね。父がいる頃から何冊か読んでいました。『百年の孤独』や『予告された殺人』とか。『悪い時』も、街全体がじわじわと嫌な感じになっていく、ああいう"場の小説"というものにハマりました。

――受賞後の書けない時期も、本はよく読みましたか。

井上:頑張って読んでいたけれど、どんどん読めなくなっていったんです。自信がなくて、父のように怒ってくれる存在もいなくて、身体も壊してしまって。江國さんはどんどん活躍して本を送ってくれていて、最初はすぐ読んで感想を送っていたけれど、だんだん封を開けるのも嫌になっていきました。自分が書けていないから。本を読むのも嫌で映画を観るのも嫌で、引きこもりになっていったという、すっごく駄目な時期でした。35、6歳の頃がいちばん駄目でした。その頃癌になったんです。でも死ぬことが嫌じゃなかった。私は何もできないから死んでもしょうがないやって思いました。それは相当に駄目な状態だったと思います。

――癌、といいますと...。

井上:父と同じ直腸癌でした。すごくお腹が痛くなって、知り合いの先生に手術してもらったら「残念だけど癌だった」と言われたんです。父は発病して3年で死んだので「私も3年くらいで死ぬんですか」と訊いたところ「それは神様しかわからない」と言われました。全然心配なかったら「大丈夫」と言われるだろうから、そう答えるということはそんなに楽観できないんだろうと思ったんです。でもしょうがないやって思った。むしろほっとしたんです。母は可哀相だけれども、結婚もしていないしろくに仕事もしていないし、このまま40歳50歳になるよりはここで死んだほうがいいや、と思った。癌が見つかるちょっと前に、『新潮』に書いたものが担当編集者は褒めてくれたけれど編集長に掲載を却下されたことがあったんです。そういう出来事が自分にとってはすごく厳しかった。

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