第171回:中脇初枝さん

作家の読書道 第171回:中脇初枝さん

こどもへの虐待をテーマにした連作集『きみはいい子』が話題となり、『世界の果てのこどもたち』も本屋大賞にノミネートされ注目されている中脇初枝さん。実は作家デビューは高校生、17歳の時。でも実は作家ではなく民俗学者を目指していたのだそう。そんな彼女はどんな本を読み、影響を受けてきたのか。幼い頃のエピソードもまじえつつ、これまでの道のりを語ってくださいました。

その2「昔話を身近に感じる」 (2/4)

  • ちゃあちゃんのむかしばなし (福音館の単行本)
  • 『ちゃあちゃんのむかしばなし (福音館の単行本)』
    中脇 初枝
    福音館書店
    1,728円(税込)
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  • カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)
  • 『カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)』
    ドストエフスキー
    新潮社
    907円(税込)
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  • 悪魔(デイモス)の花嫁 (1) (秋田文庫)
  • 『悪魔(デイモス)の花嫁 (1) (秋田文庫)』
    あしべ ゆうほ
    秋田書店
    607円(税込)
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――海外小説が好きだったのでしょうか。国内のものは。

中脇:いっぱい読みましたが、やっぱり昔話が好きでしたね。
小学校2年生のとき、日本標準の『幡多のむかし話』という本を読みました。これは全県1冊ずつ出ているんです。『高知のむかし話』とか『神奈川のむかし話』とか全部で47冊ですね。今でも売っています。その土地の学校の先生方があちこち聞いてまわって書いているので、統一はされていないんです。でもものすごく面白い上に今となっては貴重な昔話の資料なんです。

――高知県は『高知のむかし話』と『幡多のむかし話』と、2冊あったということですか。

中脇:そうなんです。それくらい、高知県って東西でまったく文化が違っていて。東がいわゆる土佐ですね。そして、西が幡多。同じ高知なのに、土佐弁と幡多弁の二つの言語が存在するんです。昔話も異なるものが伝えられていました。でも残念ながら『高知のむかし話』はまだありますが、『幡多のむかし話』はもう手に入りません。
それまでも昔話の本は好きで結構読んでいたんです。テレビアニメの「まんが日本昔ばなし」も好きでしたし。でも、その本を読むまでは、昔話って自分とは全然関係のない遠い世界の話だと思っていたんです。でも、そこには、自分が今しゃべっている幡多弁で、自分の今住んでいる場所のことが書かれていました。それで、「あ、昔話というのは、自分につながる人たちがずっと伝えてきてくれたものなんだ」と、はじめて強く実感して。また、日本各地、世界各地と同じ昔話が、自分が住んでいるこの小さい世界にもあるんだと知ったんです。それで昔話がもっと好きになったし、自分の住んでいるところや、昔話を伝えてくれた、自分につながる人たちのことも、すごく好きになりました。

――中脇さんの『みなそこ』の登場人物たちが話しているのが幡多弁ですよね。実際、土佐弁と幡多弁は相当違うんですか。

中脇:相当違うんです。どれくらい違うかっていうと、土佐弁は大阪とか京都の京阪式アクセントで、いわゆる関西弁に近いんですね。で、幡多弁はなんと、東京式アクセントなんです。西なので九州と交流があったから、そちらの言葉にも近いですね。土佐弁が「いかんぜよ」とすると幡多弁は「いかんにゃあ」になる。

――なるほど。最近『ちゃあちゃんのむかしばなし』という、四万十川流域の昔話を集めた本を刊行されましたよね。つまりそのときからずっと、昔話に興味を持ち続けていたわけですよね。

中脇:はい。それから小学校6年生の時に柳田国男の『遠野物語』を読んで、はっきりと民俗学者を志すようになりました。当時の担任の先生の書棚にあって、貸してくれたんです。何かもう、衝撃を受けて。
『遠野物語』ってすごく名著で高尚な文学のように言われていますけど、嫁姑問題で殺人が起きたとか、結構ワイドショーみたいな話があるんですよね。神様も妖怪も出てくるし、いろんなものがごたまぜになっているんです。当時はちゃんと言葉にはならなかったけれど「人ってこういうふうに生きていくんだ」とか「人が生きていくってこういうことなんだ」ということを教えてもらいました。

――ところで、文章を書くのは得意でしたか。

中脇:好きでした。うちは父が単身赴任でいなくて母も仕事が忙しくて、放任主義だったんです。叱られた記憶もないし、勉強しなさいと言われたこともない。でもなぜか、学校に出す連絡帳に母が書いた文章を、必ずわたしに添削というか、直させてくれたんです。敬語とか「てにをは」とかを。バリバリ働いている大人が小学一年生のわたしに書き直させてくれて「あー、初枝はやっぱり文章がうまいね」とか言ってくれる。それに、家に本はなかったと言いましたが、実は母が一冊だけ持っていた本がありました。それがなんとパール・バックの『大地』。

――格好いい。

中脇:でしょう?もちろん読ませてもらったんですが、あれ、第3部で「こんな人いないじゃん」って人が出てきちゃうんです。たぶん、長いので、作者がよく分からなくなっちゃったんでしょうね。まだ小学生だったから「え、ノーベル文学賞を獲る人でもこんな間違いをするんだ」って思って。のちにその記憶は「わたしみたいな者でも小説を書いていいんだ」と、ちょっとわたしの背中を押してくれることになりました(笑)。
ということで、母は『大地』を愛読するほどには頭のいい人だったんです。そんな人が、なんで書き直させてくれたのかは分からないですけれど。

――お母さん、あえて間違えたりしていたんでしょうか。

中脇:そんな暇はなかった気がするんですよ。でも、そうやってやらせてくれたので、自分はすごく文章がうまいんだっていう自信がつきました。

――中学生時代はどういう本を読みましたか?

中脇:わたしが中学校に入ったころは、学校が荒れている時代だったんです。いじめとかもあって、学校に行けなくなってしまったんですね。そうすると家にはほとんど本がないから、退屈してしまう。そんなある日、突然母が、講談社の豪華版の世界文学全集を買ってきてくれたんです。40冊くらいあったかな。緑の本でカバーが赤で、金文字で「シェイクスピア」とか「ドストエフスキー」とか書いてあるやつです。何巻か抜けていたので、町の小さい本屋さんがそれを破格の値段で売ってくれたらしい。すごく嬉しくて、毎日毎日、もう片っ端から読みました。

――「学校へ行け」とは言われなかったんですね。

中脇:一度も言われませんでした。わたしにかまっている暇がなかったからだと思います。
中学生の頃は耽美的なものが好きで、スタンダールの『赤と黒』にうっとりしていましたが、今になってすごく心に残っているのはドストエフスキーやソルジェニーツィンですね。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』で忘れられないのは、末っ子アリョーシャの敬愛していた修道院の長老が、死んで身体が腐ってしまうところ。どんなにすごい人でも、人間同士に聖と穢の差はないんだなと思いました。人は人なんだなって。まあ、中学生レベルで思ったことですが。
怪奇的なものも好きでした。エドガー・アラン・ポーとかラヴクラフトとか小泉八雲。漫画も『悪魔(デイモス)の花嫁』とか。怪奇的、耽美的なものが中学生女子の間で流行って、読み合っていました。漫画は大好きでしたよ。『ドラえもん』はバイブルだし、『サザエさん』も全巻持っています。『サザエさん』は戦後史を学ぶのに素晴らしく役立ちますね。でも、当時は楳図かずおとかも家に持ちこんでいて、母に心配されていました。「あんた、大丈夫?」って。

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