第172回:本城雅人さん

作家の読書道 第172回:本城雅人さん

スポーツ新聞の記者歴20年以上、その経験を活かしつつ、さまざまなエンターテインメント作品を発表している本城雅人さん。作家になりたいと思ったのは30歳の時。でもとある3冊の小説を読んで、断念したという。その作品とは? そして40代で再び小説に向かうこととなった、50冊のリストとは?

その2「新聞記者時代」 (2/5)

――もともと新聞や雑誌を読むのは好きだったんですか。

本城:新聞が好きだったですね。だから30歳くらいで本を読もうと思うまでは、小説はあまり読んでいなかったんです。

――ところでその時期に産経新聞入社というと、作家の星野智幸さんと同じ頃ではないですか。

本城:そうなんですよ。浦和支局にいたんですけれど、当時3年生が1人と2年生が3人、1年生が3人で。7人しかいなかったんです。その中の2年生の一人が星野さんでした。一緒に泊まりをした記憶もありますね。でも本の話をしたこともなかったんです。泊まりの時は埼玉中の警察に一時間おきに電話しなくちゃいけないんです。「なにか事件はありましたか」って。ケイデン、警戒電話っていうんですけれど。「交通事故が1件ありました」と言われたらまず記事にする、ということをやっていました。

――その後、サンケイスポーツにいったのはどういう流れで。

本城:産経新聞入社なんですけれど、スポーツ新聞への配属が決まっていました。その時の編集局長の方針でスポーツ記者も全員支局経験をさせられたんです。4月に入社して、支局にいたのは年末まで。その間に連続幼女誘拐殺人事件があったりしたので、ぎゅっと詰まった経験をしたというか。支局も記者クラブも常に慌ただしくて、僕が電話に出ているのに先輩から鳴っている電話に出ろ、と怒られたりして。

――『ミッドナイト・ジャーナル』は新聞社のさいたま支局が舞台となっていますが、本当に「夜中に働け」みたいな感じだったんですか。

本城:そうでした。昼間も記者クラブはピリピリしているんですけれど、みんな普通の表情をしているんです。で、夜になるとキャップの人からメモを渡せされて「これを聞いてこい」と言われるんです。昼間、事件現場に刑事がいても口もきいてくれませんが、何遍も足を運んでいると「おう、熱心だな」なんて声をかけられたりするんですね。それで、夜になると先輩に「お前、あの刑事の家を探しだしてこれを聞いてこい」って。昼間にきっかけを作って、夜働くというか。

――原稿の書き方に関しては、どう叩きこまれるんですか。

本城:何度も何度もやり直しさせられるだけですよね。最初のうちは「雑感記事」という、交通事故の原稿なども、『ミッドナイト・ジャーナル』にある通り、何遍もやり直しさせられて、そのたびに電話をかけ直しさせられて、そうやってうまくなっていくというか。

――スポーツ新聞時代はずっと野球を担当していたんですか。

本城:それと、ちょっと競馬もやりました。当時はやっぱり、スポーツ新聞のメインといえば野球だったんですよ。さっき言いましたように僕は「オリンピックに行きたい」というわけじゃなくて「裏側を取材したい」と希望していたので、すぐ野球に配属になりました。野球記者はそういう人が多かったんですよ、昔は。他のスポーツはなんでも必ず会見があって、その他の場所は取材できないこともありますが、野球は会見がなく、ぶら下がり取材の方が多くて、事件記者の取材とある意味似ていましたね。

――そうなると、話を聞き出すテクニックがすごく大事になりますよね。

本城:そうですね。話してくれるかどうかですよね。自分がデスクになった時は「みんなと一緒の時は絶対に行くな」と指示していました。口をきいてくれない人を相手にしている時は、台風警報が出て「今夜から強風になります」という時に「今夜夜回り行ったほうがいいぞ」とか。暴風の時に家の前に立っていたりすると「頑張っているんだな」と思われますから。「傘なんかささないほうがいいぞ」とか言っていましたね。すると、タオルを貸してくれたりするんです。まあ、ネタをとろうとしている記者はみんな考えることですけれど。

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