第200回:白岩玄さん

作家の読書道 第200回:白岩玄さん

『野ブタ。をプロデュース』で鮮烈なデビューを飾り、その後着実に歩みを続け、最近では男性側の生きづらさとその本音を書いた『たてがみを捨てたライオンたち』が話題に。そんな白岩さん、実は少年時代はほとんど小説を読まず、作家になることは考えていなかったとか。そんな彼の心を動かした小説、そして作家になったきっかけとは?

その5「死と死者の描かれ方の好み」 (5/6)

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――死を書いているものでも、合うものと合わないものがあるわけですね。

白岩:死を書いているものでもいろいろあって、死者がまるで生者の世界に寄り添っているかのように書いている作品もあれば、死を都合のいいように書いているものもある。でも自分が考える死というのは、もっと突き放されるというか、こちらの呼びかけに対して、向こうが応えないものなんですよ。そういうような死のとらえ方をしている文章だったり表現だったりに惹かれるんです。
だから、全部、そこに集約されるのかなとも思うんですよね。父親の死の受け入れ方だったり、あるいはそれに対する付き合い方だったりというのを、いまだに模索しているんじゃないかということに、最近ようやく気がついて。
なので、好きになるものの傾向も、どうやらそこにあるようです。ちょっと古い作品ですけど、「ハリーの災難」という映画があって。

――ヒッチコックですね。

白岩:そうです。あの映画はハリーという男が殺されて、死体を村の人が埋めるんですけれど、いろんな騒動があって、何度も掘り起こされてはまた死体を隠すために埋められる。喜劇っぽくなっているんですけれど、僕はあれがすごく好きで。死っていうものが生きている人間をずっと居心地悪くさせる、人はそれを気にせざるをえないということがものすごく面白く描かれている。

――どの作品で描かれる「死」が自分に合ってどの作品のが合わないのかは、実際に読んだり見たりしないとなかなか分からないですよね。

白岩:そうですね。ただ、ひとつ傾向としてあるのは、死というものを考えている人は、現在だけで生きていないというか、どこかで視点が過去にあると思うんですね。だから、「私は過去なんて忘れて今を生きるわ」という空気を強く感じる表現物は、見続けているとしんどくなってくるんです。無理に忘れようとしなくてもいいじゃないか、もっとそこに縛られて、くよくよしたり、いじいじしているオブライエンを見習ってくれよと思ってしまう(笑)。

――たとえば、いとうせいこうさんの『想像ラジオ』なんかは、どんなふうに読まれたのでしょうか。

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白岩:僕、あれすごく好きでした。好きな理由はふたつあって。ひとつは死者っていうものに対する敬意が感じられるところ、もうひとつは、死者と生者は繋げられないものだって分かってる人が、それでも繋げたいって気落ちを持って書いたものだという印象を受けるところ。ある種、死者の言葉を語るわけですけれど、それって本当はとても難しくて、物語の中でやるとものすごく都合よく使えたりもする。どこまでやって良くて、どこまでやったら行きすぎなのかを、僕はいつも注意して見てしまうんですけれど、あの作品は、繋げたい人たちと、死者に対して黙って敬意を払って静かにしてよう、死者のことをへんに語るのはやめようっていう、そういうバランスをちゃんと保っていて。もう、僕が言うのはすごくおこがましいんですけれど、すごく嫉妬しました。こんな作品書けるんだって。キャリアも全然違うんですけれど、「うわ、これ自分が書きたかった」って思ったんですよね。今、よく『想像ラジオ』が出てきましたね。

――いや、白岩さんの話を聞いているうちにあの本が浮かびました。

白岩:僕の場合、死者について「黙っていればいい」っていう考え方ではなくて、「繋げたい」っていう気持ちを感じるかどうかも大事なんです。『野ブタ。をプロデュース』も自分なりに分析すると、応えないもの、それは世間や社会だったりするんですけれど、その応えないものに対してメッセージを投げかけて、どれだけ反応が返ってくるか確かめる話だったと思うし。

――自分の興味がはっきりしたからこそ、白岩さんの第2作の『空に唄う』は、新米のお坊さんの前に女子大生の幽霊が現れる、という話になったわけですか。

白岩:当時はそこまで分かっていなかったですけど、興味の方向としてはそうだと思います。2作目は、自分の総力戦というか、小説を書く力の無い人間が「小説というものを書きなさい」と言われて書いたものだと僕は思っているんですけれど、全然力の無いなかで、とにかくこのテーマで書いてみたいと思っていました。とにかく死というものに触れたい、書きたいという気持ちがあった。そういう意味では2作目は僕にとっては大きいんですよ。

――それで、書けない時期を抜け出せたわけですか。

白岩:いえ、僕は作品数が多い作家ではないので、その都度その都度行き詰まっていたと思います。要は、本当に小説に興味があるのかどうか、自分でもいまだに分かっていないんだと思うんですけれど。ただやっぱり、何かを感じて外に出したいと思っているのは事実なので、それが文章っていう表現方法で、今、小説を書かせてもらえる場所があるっていうのが大きくて。
小説というのは、ある程度自分の好きなようにカスタマイズできる媒体でもあると思うんです。表現方法が幅広いので、自分が思う方法で書いて、小説というテイで売っていいのかなという気もしているし。なので、書くことについては、毎回新しいものを書くたびに壁にぶつかってはいますね。
あと、すごく肩身が狭くて、「自分がここにいていいのかな」という感覚があるんですよ。まわりは小さい頃から本を読んできて、作家になりたくてなったという方が多いですし、そこに自分は全然入れないなという劣等感もあるし。ただ、まあ、それを感じたところでどうにもならないので、自分は自分のやりたいようにやるしかないんだって思っています。

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