第211回:又吉直樹さん

作家の読書道 第211回:又吉直樹さん

お笑い芸人として活躍する一方で読書家としても知られ、発表した小説『火花』で芥川賞も受賞した又吉直樹さん。著作『第2図書係補佐』や新書『夜を乗り越える』でもその読書遍歴や愛読書について語っていますが、改めて幼少の頃からの読書の記憶を辿っていただくと、又吉さんならではの読み方や考察が見えてきて……。

その3「読書に目覚める」 (3/7)

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――中学生時代に読書に目覚められたんですよね。芥川龍之介の短篇「トロッコ」を読んだことが大きかったとエッセイで拝読しましたが。

又吉:「トロッコ」と「ひよこの眼」と、どっちが先だったかな...。教科書に山田詠美さんの「ひよこの眼」が載っていたんです。転校生の大人しい男の子がどうにも気になっていて、ある時、お祭り飼ってきたひよこの眼に似ていると気づくけれど......という話でした。そういう、「こういうところがいいと思います」と簡単に説明できない話が好きでした。「この人がこういうことをしたからいいと思います」「悪いと思います」と説明しなくてすむ物語が好きなんです。
 「トロッコ」を読んだ時は、あまりにも的確に自分の感情が描かれているなあと思ったんですよね。いまだに好きなんです。

――少年が、近所の工事現場のトロッコに興味津々で、ある時、作業員の男の人たちと一緒に押させてもらうんですよね。でも結構遠くまできたなと不安になり、一人で帰らなくてはならなくなってという。

又吉:子どもの頃、祖母の家とかに遊びに行くと、大人っぽく思われたくて、「ちょっと散歩行ってくるわ」って言ってたんです。散歩に行くというのが大人の証みたいに思っていたので。でも家から離れるのはめっちゃ不安やから、角ふたつ曲がったところでずっと立っていて、ある程度時間が経ったら歩いていたことにして帰って、散歩したフリをしていました。「トロッコ」を読んだ時、この少年のことを、そうやっていた自分と一緒に感じたんですよね。この話で好きなのが、いつもより帰るのがちょっと遅くなるところですよね。「お前そろそろ帰ったほうがいいぞ」と大人たちに言われ、それまで対等な立場のつもりやったのに急に「え、そんな自分まだ子どもなのに」と一人で帰るのは不安になって、でも言えないから平気なフリしてお兄さんたちと別れて家まで走っていく。いつもよりちょっと遅いけれど、でも、書かれてないけれど、15分、長くても30分くらいやと思うんですよ。夕暮れの、日が沈みかけの頃に帰っていますから。自分も小学生の頃にそういう体験があるから、本当はそこまで時間は経っていないのに走って帰らないとやばいという、その感覚も分かるんです。一人で孤独に山道をずっと走ってきた時間を過ごしてきているから、親のテンション的には「(軽い口調で)遅かったね」くらいなのに、少年は泣きだしてしまう。それが、「うわあ、すごいことが書いてある」と思いました。
 後々になって読み返すと、大人になった人が日常を生きているなかで子どもの頃を思い出す構造になっているんですよね。はじめて読んだ時は、そんなのまったく意識していませんでした。 そこから芥川の他の話も読んでみたくなって、本を読むのにハマっていきました。俺は本が好きなんだってはじめて思ったのがこの頃です。

――芥川以外の作家も読み始めたわけですか。

又吉:国語の教科書を読んでいても好きな話と好きじゃない話があるので、それはどういうもんなんやろうと国語便覧を読んでいくと、そこに載ってる面白い顔したおじさんたちの話がだいたい好きなんやなと分かったんです。そんぐらいから、芥川龍之介、太宰治、夏目漱石とかを読んでいくようになりました。坪内逍遥の『小説神髄』はちょっと違うかなと思い、その次の尾崎紅葉の『金色夜叉』あたりから読みましたね。泉鏡花は何を最初に読んだかな...『外科室』かな。『高野聖』はその後やったかな。志賀直哉の『暗夜行路』や島崎藤村の『破戒』も読みました。遠藤周作は『沈黙』で持っていかれて、『深い河』は宗教に対する子どもの疑問に答えを与えてくれたと思いました。
 便覧を参考にして読んでいって、だいたい読んで「わー面白かったな」と思うんですけれど、そのなかでも自分とすごく合うなという作家がいて、そこをさらに掘っていく、という感じでしたね。中学生の時点では芥川と太宰がすごく面白かった。
 漱石の『こころ』は、教科書に先生と私が出てくるところだけ抜粋で載っていたので、全貌を知りたくて図書館で借りて全部読みました。漱石は『坊っちゃん』と『こころ』は楽しめましたが、『三四郎』や『それから』は18、9歳で読んだ時は難しいなと思いました。でもそこからいろんなものを読んで、20歳くらいの頃にもう一度読み返したら、めちゃくちゃ面白かった。漱石は『それから』は一番好きかもしれません。
 そういえば中学の時やったかな、又吉栄喜さんが『豚の報い』で芥川賞を受賞されて、掃除の時間に掃除してたら国語の先生に「又吉くん、又吉って人が芥川賞受賞したね」って言われて、僕も報道で知っていたので「読んでみますー」と言って読みましたね。

――又吉さんというと太宰というイメージが強いですよね。最初は『人間失格』だったのですか。

又吉:その前に『走れメロス』は読んでいたかもしれません。ただ、後々「こういう読み方したら面白いんじゃないかな」というのはありましたが、最初に読んだ時はピンときませんでした。でも友達に薦められて『人間失格』を読んだら、大庭葉蔵の幼少期の描かれ方が、自分とすごく重なったというか。しかも、僕が人に話せない、そういうのはヘンやから人には話してはいけないと思っていた感覚が全部書かれていたんで、それに衝撃を受けました。なんでこんなこと書くねん、と思いながら、でも自分以外にこういう人いたんやって。これが日本を代表する有名な作家のむちゃくちゃ有名な小説ということにびっくりしましたね。「こういう感覚って自分だけのものじゃなくて、みんな持ってるんや」って。
 大庭葉蔵の、虐待を匂わすような言葉との距離の取り方とかも、すごくまっとうな感覚の持ち主がこの物語を語っていると思えました。お父さんに「東京のお土産は何が欲しい?」と訊かれて、欲しいものがないから言えなくてお父さんの機嫌が悪くなってしまった後で、お父さんの手帳に「獅子舞」と書き込み、お父さんが浅草の仲見世で手帳を開いた時に、「これ葉蔵の字やろ」っていって嬉しそうに獅子舞を買ってくるという、その喜ばせ方も、お笑いとして納得のいくものやったんです。

――お笑いとして、なんですね。

又吉:僕は主人公がギャグを言って周りが笑ったという場面があっても、それが人間のちゃんとした生理に基づいていない笑いやったら冷めるんです。「笑わんやん、これ」って。『人間失格』は「なんで笑ったんやろう」みたいなことを考えさせないところにすごく信頼がおけるというか。あまりに有名ですけれど、葉蔵が逆上がりをわざと失敗して落ちた時、竹一に「ワザ、ワザ」と言われますよね。僕は葉蔵が落ちた時に「ほんまにがっかりさせんなよ」と思ったんですよ。「もっと面白い奴だと思っていたのに、こんなむちゃくちゃおもんないことやりだしてがっかりさせんなよ」って。そうしたら竹一がわざとやったと指摘する。逆上がりは、この「ワザ、ワザ」を引き出すためだったんですよね。「これおもんないよな」とか「これ人にバレるよな」っていうラインまで信頼できる。そこで僕はもう、太宰治のその感覚と契約を結んでしまったところがありますね。

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