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藤井 貴志の<<書評>>


もっと、わたしを
もっと、わたしを
【幻冬舎】
平安寿子
定価 1,680円(税込)
2004/1
ISBN-4344004663
評価:A
 何もかもがいい加減で中途半端な5人の男女を描いた連作短編集。いずれの主人公も、一見すると非常に軽い印象だが、著者の筆はそんな「いまどきの男女」の表面的な部分だけでなく、さらにそこから数段深い部分にまで届いており、そのためか主人公たちに「おいおい、いい加減にしろよ……」と苦笑しながらも、やがては「頑張れ!」とエールをおくりたくもなる。テレビでフリーターやホームレスの人たちに密着した(ちょっと泣かせ系の)ドキュメント番組があるけれど、本書の読後感はその手の番組を見たときの気分に似ているかも。世間から見える表面的な部分の裏にある「誰もがもっている弱さ」が丁寧に書かれているため、普段なら「いまどきの人は……」と切って捨てるような読み手もつい感情移入させられるのだろう。
連作短編集ということで、読み進むうちにそれぞれのドラマが少しずつつながって「大きな物語」の全体像が徐々に見えてくるのも物語の広がりが感じられて気持ちよかった。

生まれる森
生まれる森
【講談社】
島本理生
定価 1,365円(税込)
2004/1
ISBN-4062122065
評価:C
 いろいろなところで、少しずつ「残念……」と感じてしまった。物語上で重要な役割を果たすキクちゃんはやや強引に存在感を増していく(もうちょっとこのキクちゃん自身を丁寧に描いてもよかったのでは?)し、主人公が経験する妊娠〜中絶といった女性の一生を左右してもおかしくない重いエピソードについてほとんど語られていないなど、ディテールの落としこみ加減とプロット上でのバランス配分には違和感を覚えた。淡々としているように見える文体にも、心を揺さぶられることはなかった。もし仮に、この「さりげなさ」が著者の持ち味だとしても、それはまだ「名人芸」と呼べるものではない気がする。
ただ一方で、小説に重々しさを求めずに、こうした(いい意味での)「頼りなさ加減」が好きだという読み手もいるだろうと感じたのは、著者の語りが確かなことの証明なんだろうなと思った。

下山事件
下山事件
【新潮社】
森達也
定価 1,680円(税込)
2004/2
ISBN-4104662011
評価:A
 当時は大事件だった「下山事件」について、実のところ僕はほとんど知らない。せいぜいテレビの特番などで「ミステリアスな事件」として扱われているのを見たことがある程度で、まったく知らないと言ってもいい。本書にはそんな「下山を知らない世代」の読み手をも説き伏せる腕力がある。
国鉄初代総裁が列車に轢かれて謎の死を遂げた「下山事件」。前日に発表した職員大量解雇への恨みによる他殺か、それを苦にしての自殺か、あるいは、もっと巨大な権力組織が絡んでいるのか……、謎を追う者を惹きつけて放さないというこの事件は、多くのジャーナリストを「下山病」という伝染病に感染させるという。本書では、著者が井筒監督を通じて偶然この事件に出逢い、下山病にどっぷり冒されていく過程がリアルに(少なくともありがちな「仮名」という断りはない)描かれている。緻密な取材で集めたエピソードはこの事件の像を浮き上がらせるが、同時に取材の過程そのものにも波瀾万丈なドラマ性がある。GHQ幹部や政府要人、地方の名士といった大物が次々と登場し、その彼らへの取材時は文字通り「真剣勝負」である(本当に「文字通り」であることは本書を読めばわかるはず)。ようやく信頼関係を築けた取材対象を裏切らなければならなくなる場面では、僕も当事者であるかのように苦悶させられた。著者の筆により、さらに「下山病」が蔓延するだろう。

ふたりジャネット
ふたりジャネット
【河出書房新社】
テリー・ビッスン
定価 1,995円(税込)
2004/2
ISBN-430962183X
評価:B
 異色の短編集と言えるだろう。火を使うことを覚えた熊、船のように海上を航行する英国……、小説でなければ到底あり得ない世界をユーモアいっぱいに描いている。いずれも荒唐無稽にも思える設定だが、ビッスンの手にかかれば見事な物語として読み手を惹きつける。
なかでも『熊が火を発見する』はとくに印象深かった。冒頭から、火の扱いを習得した熊たちを発見したときに発せられた一言「どうも熊が火を発見したみたいだな」に思わず笑わされてしまう。コミカルなファンタジーかなと思いきや、物語は後半でガラリと様変わりする。そこでは、死を間近に控えた主人公の母親が「火を発見した」熊たちと心を通わせていく場面が描かれるのだが、その過程の描写が実に巧い。なんてったって相手は熊である。(ひょんなことから)火は覚えたけれど、当然(この「当然」という言葉をビッスンの前では使うには勇気がいるが)言葉を交わすことはできない。そんな熊たちと黙って火を囲む場面で、熊と母親が次第に打ち解けていく過程のやり取りは絶品だ。
ほかにも『英国航行中』も、「これぞ小説の楽しさよ!」と拍手したくなる作品だった。

1421 中国が新大陸を発見した年
1421 中国が新大陸を発見した年
【ソニー・マガジンズ】
ギャヴィン・メンジーズ
定価 1,890円(税込)
2003/12
ISBN-4789721663
評価:D
 周囲では前評判が高かったが、その理由がいまひとつわからないというのが率直な印象だ。「コロンブスより70年もはやくアメリカ大陸を発見していた!」というコピーは知的欲望をかき立てるのに充分だし、それが中国の明朝による功績だというのもこの話をより神秘的なものにしてくれる。しかし肝心要の内容は、期待したほど面白みがなく、後半ではたびたび中だるみも感じた。
確かに、これまでの世界史の常識を覆す著者の発見は興味深いが、次から次に資料を積み上げることで自らの説が確かなことを立証しようとする試みに終始しており、輝くべき「素材」を十分に磨ききれていないように思えた。確かに資料としては非常に需要なのかもしれないが、エンターテインメント面はどうしても弱い。これが筆力の限界か翻訳によるものかはわからないが、元潜水艦艦長の著者では航海上のエピソードに重きが置かれるのは仕方がないのか。個人的には、この大航海を行い得た明王朝の内幕にもう少しページが割かれてもよかったと思う。