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藤本 有紀の<<書評>>



二人のガスコン

二人のガスコン(上中下)
【講談社文庫】
佐藤賢一
定価 650
円(税込)
2004/7
ISBN-4062747685
ISBN-4062747669
ISBN-4062747693

評価:A-
 だれよりも熱い血が流れると自負するガスコーニュ人。アクの強い面相そのままのガスコン中のガスコン、不世出のフランス王・アンリ四世に繋がるという誇りを旗印に、数多の軍人・銃士を輩出した民族、それがガスコンだ。田舎貴族からパリで身を立てたダルタニャンと、自由人シラノという二人のガスコンが、イタリア人の宰相枢機卿マザランに密偵仕事を依頼される。マザランの政敵オルレアン公からの接触、スペイン人刺客、渦中の重要人物カヴォワ氏の日記、シラノの恋心、今上ルイ十四世の出生の秘密……。犬猿ならぬ「犬と猫」の二人が、血湧く行動と冴えた推理、一瞬を逃さず人心の機微を察知する感覚をもってある真相に迫っていく。
 平たくいうなら人物の膨らませ具合、だがそんないい方では物足りない「中世フランス人が日本語をしゃべっている!」という佐藤作品を最初に読んだときの驚きは一貫して変わらない。かつてこれほど中世フランス人が、あるいはローマ人が、ガリア人がフィレンツェ人がイングランド人が古の外国人だということを感じさせない作者がいただろうか? いやいない、という私なりの修辞疑問を結ぶ。クルパンのたまらない愛くるしさにこの感動を強くした。

とんまつりJAPAN

とんまつりJAPAN
【集英社文庫】
みうらじゅん
定価 580
円(税込)
2004/7
ISBN-408747724X

評価:B
 どんな旅であれ文章にしてみればわりと華やかな海外紀行ものとは違って、真剣に帰りのタクシーの心配をしなくてはならないローカル・ドメスティックジャパーン!! なひとり取材ものならでは、地味な笑いを期待していい本。「"思えば遠くへ来たもんだ〜♪”オレはやるせなくなると、この歌を口ずさむクセがある。」というみうら。「また好きでもないのに武田鉄矢の歌声が頭の中で流れ出した。ひょっとして好きなのか? この歌。」(「尻振り祭りの巻」)、あるいは、「……長髪サングラス、さっぱり年齢の分からぬオレの方が怪人に映っているかもしれない。」(「笑い祭りの巻」)といったあたりの、オレ出し具合がまことに絶妙。飛行機嫌いのため、極力電車・バス・船を乗り継いで目的地に向かわなければならないという条件がチャーミング度を上昇させるだろうこともちゃんと折り込み済みだ。旅先で変な絵葉書セットを買いたくなる。

ジェ−ンに起きたこと

ジェ−ンに起きたこと
【創元推理文庫】
カトリ−ヌ・キュッセ
定価 1,029
円(税込)
2004/7
ISBN-4488173020

評価:B
 「これは私のことだ。」と何度思っただろうか。猫のアール・グレーが扉を引っ掻くところを読んでいた、ちょうどその時その名前の紅茶を注文したところだったとか、ベルリンのシーンを読んでいたとき奇しくもその都市在住の友人から手紙が届いたとか。あるいはこう。ジェーンが空港で恋人の到着を待っている。見知らぬ女性に褒められた新しいドレスを身につけ、そのボタンに彼が手をかけるところまで想像しながら何時間待っても現れない恋人に、途中で事故にあったに違いない、いや私から逃げたのだと危機感をつのらせる。泣きながら、いよいよ立ち去ろうとしたとき奇跡のように完璧な待ち人が現れる。また、旅行中のトラブルで直射日光にさらされ、消耗し恋人に不信感を覚える。ジェーンの場合と相似した経験にビクっとする。人によってはそれは断りの手紙を開封するたびの冷やっとした感情であるかもしれないし、もっと別のことかもしれない。冷静に考えれば符合する点よりしない点のほうが多いはず。ジェーンほど学究肌じゃないし、男好きじゃない、感情と消化器が直結していないけれど、作品のあちこちに自分と重なる符合を見つけだしては背筋に冷たいものを感じるのは私だけではないと思う。

源にふれろ

源にふれろ
【ハヤカワ・ミステリ文庫】
ケム・ナン
定価 945
円(税込)
2004/7
ISBN-4151748512

評価:B−
 男というものは失った童貞を美化する節があるようで、これはどういう心理なのだろうか? という疑問にこの小説が端的に答えてくれるわけではない。「童貞の喪失に連なって大人になりつつある時期」、短くいえば青春、を美しく描いた小説ではあるのだけれど。
 家出した姉を探しにカリフォルニアにやって来たアイクが、そこで目にしたサーファーの陽に焼けた肌や褪色した髪、引き締まった体、女の子の長い脚が目に浮かぶ。日光は植物を成長させるが、浴び過ぎると人は年齢より早くに老成してしまうようだ。かつての伝説的なサーファーのひとりハウンド・アダムズは、あまりに長く陽の光を浴びてきたせいか、美しさの中に老いが漂う。白髪の混じる不精ヒゲやこわばり始めた肌というイメージが行間から浮かび上がり、アイクとは対照的。強い陽光に年中さらされている海辺の町みたいに色褪せたペンキ色の、全体的なもの悲しさが尾を引く。

ハバナの男たち

ハバナの男たち(上下)
【扶桑社ミステリー】
スティーヴン・ハンター
定価 880
円(税込)
2004/7
ISBN-459404753X
ISBN-4594047548

評価:B+
 南国の開放感も手伝ってか、男たちの盛り上がった欲求がインスタントに処理されていく娼館街と、日毎テニス・ゲームや冷たい飲み物が供される重厚な造りの外国人用邸宅が同衾する50年代のハバナ。サトウキビや熱帯果実の甘い果汁に寄せられる蜜蜂のごとく、種々の男たちが集まる。若きキューバ人思想家、CIA、イタリア系の殺し屋、ラーゲリ帰りのソ連人、大企業の重役、ギャングのボス、拷問マニアの軍人、そして男気あふれる主人公アール。だれかがだれかの命を狙い、そのだれかの命を別のだれかが狙い……、銃弾と血飛沫の雨が降る。要人の乗る車が狙撃され、頭に弾を受けた運転手の横から手足を出してシフトレバーとペダルを操作するアール、といったど派手なアクションシーンに素直な高揚感を覚えた。賢い者は賢く、未熟な者は未熟に、狡猾な者は狡猾さが際立つよう見事に書き分けられた人物、ストーリーを絡まらせない文章の簡潔さを賞賛したい。スペイン語や略語、隠語の類いはルビと傍点を駆使し訳され、また「バモス!」のような原文の音を潔く訳文に持ち込んだカタカナがいいリズム感を生む。「ソンブレロ頭のメキシコ人」ってすごい表現だけど訳語もばっちりでしょう? 男度95パーセントといったところなのでロマンスは必要最低限か。

アインシュタインをトランクに乗せて

アインシュタインをトランクに乗せて
【ヴィレッジブックス】
マイケル・パタニティ
定価 840
円(税込)
2004/7
ISBN-4789723178

評価:C
  まるで小説みたいな実話。いや、実際に起こった話を小説として悪いということもないだろうから、やはり小説というべきか? 20世紀の半ばにアインシュタインが死んだ。この天才の解剖をした博士が40年以上もアインシュタインの脳を持っているという噂を聞いた僕。かつて住んでいたアパートの大家がビートニクの作家ウィリアム・バロウズの友人で、バロウズの隣の家にハーヴェイという例の博士が住んでいたという偶然から、ついに噂の老博士との対面がかなった。そしてニュージャージーからカリフォルニアまで、老人と脳と共にアメリカ横断の自動車旅行に出発することになる。かなりの有名人経由でこれまた有名人の脳を保有する老人と旅をするという途方もないことなのに、何でもないみたいに書かれているこの脱力加減。脳の入ったタッパーウェアを後生大事に抱えて僕には絶対見せてくれようとしない珍老人と僕の、道中どうでもいいような出来事が書かれた一風変わった話。