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斉藤 明暢の<<書評>>


天空への回廊

天空への回廊
【光文社文庫】
笹本稜平
定価 980
円(税込)
2004/7
ISBN-4334737110

評価:A
 金さえあれば、誰でも宇宙や南極にまで行けてしまうかもしれない現代だが、それでもプロ中のプロでなければ到達できないような場所は、まだまだ沢山存在している筈だ。英雄的な行動、絶対的な孤独、圧倒的な力。そんなものがまだ厳然として存在しているのが、世界最高峰の高地なのだろう。物語の展開や道具立てについては、個々の分野について専門知識のある人なら突っ込み所満載なのだろうが、だとしても大いに痛快な展開だった。
 物語では高地という極限の地で活躍する男達の生き様を描いていて、それには大いに共感と憧れを感じると同時に、自分には多分そんな生き方自体が無理だなとも思う。だから、彼らは低地に降りた時は、どんな気持ちで日々を過ごすのだろう、なんて聞くのは野暮なんだろうなあ。


バルーン・タウンの手品師

バルーン・タウンの手品師
【創元推理文庫】
松尾由美
定価 714
円(税込)
2004/7
ISBN-4488439039

評価:
 妊娠と出産を自分自身の身体でする女性は少数派となり、たまにいても、その人は結構な変わり者と見なされる世界。その少数派たる妊婦達は、ジャマな仕事や家族から離れ、隔離された街で過ごしているという訳だ。そんな街での物語は、妙にリアルというか、今時の多くの人の考え方に通じるものがあった気がする。まあ、世界が自分のお腹を中心に回っているような感覚は、男には永久に理解できないのかもしれない。
 それぞれのエピソードでの謎解きに関しては少々食い足りない感じだが、それはシリーズもの独特のペース配分だろう。そもそも話の中心となるのは事件や謎解きそのものではなく、彼女たちのお腹にまつわる出来事なのだ。といったら言い過ぎだろうか。


源にふれろ

源にふれろ
【ハヤカワ・ミステリ文庫】
ケム・ナン
定価 945
円(税込)
2004/7
ISBN-4151748512

評価:
 若い時期というのは、そんなに美しいものでもないし、格好良く振る舞えた訳でもない。それでいて、何かが輝いたり鮮烈だったりしていたような、あるいはそうだったと思いこみたくなるような、不思議な時期だ。そんな時期にサーフィンを始めたり麻薬をやったり人生の絶頂を感じたりしたら、その後はどんな人生になっていくんだろう? あいにくサーフィンをする人の気持ちはわからないが、彼らが波や風や自分自身の肉体とダイレクトにコミュニケーションするタイプの人なのではないか、という事くらいは想像できる。
 舞台設定はそれほど古いわけではないのだけど、妙に懐かしい雰囲気やテンポを感じる作品だった。キツめの色づかいでフィルムにたくさん傷が入った映画を見ているような、そんな気分になった。


ハバナの男たち

ハバナの男たち(上下)
【扶桑社ミステリー】
スティーヴン・ハンター
定価 880
円(税込)
2004/7
ISBN-459404753X
ISBN-4594047548

評価:
 もうちょっと年上の設定だったら、ショーン・コネリーあたりが演じるといいだろう。ストイックでプロの軍人であった主人公がスカウトされるのというのは、それほど違和感はない。よくわからないのは、脇を固めるその他の登場人物だ。ちょっとヌルめな感じがする。若き日のカストロでさえもだ。主人公と対等な基準で戦える敵が、あまりいないせいかもしれない。
 アルコールに浸ることを恐れている主人公の背景や、終盤の切れっぷりがもう一つ納得いかない感じなのは、この主人公がシリーズの中で説明描写を積み上げてきたタイプだからなのかもしれない。以前のシリーズを読んでいたら、また違った感想になるのかもしれないが。


砕かれた街

砕かれた街(上下)
【二見文庫】
ローレンス・ブロック
定価 880
円(税込)
2004/7
ISBN-4576041282
ISBN-4576041290

評価:A
 あの日以来、ニューヨークと9月11日は、特別な街、特別な日になった。だからそこに住む人やそこで起こることは全て特別なのか? そうだとも言えるし、そうでないとも言える。
 深く傷つき、街への犠牲となる何かを捧げ続ける犯人と、それに巻き込まれるというよりは、周囲を巡るように関連していく登場人物たち。それぞれが普通なような生活を続けていながら、少しずつ何かがズレ始めていって、それがまた事件と関連していくわけだが、生活の全てが変わってしまう訳ではない。ズレた部分と今まで通りの部分をそのまま抱えていくのだ。
 ちょっと登場人物達の変わっていく部分の描写が、必要以上にエキセントリックな気もするけど、このくらい、ニューヨークの基準では大したことではない、という事なのかもしれない。


アインシュタインをトランクに乗せて

アインシュタインをトランクに乗せて
【ヴィレッジブックス】
マイケル・パタニティ
定価 840
円(税込)
2004/7
ISBN-4789723178

評価:B
  ノンフィクションであると知っても、妙に現実感の感じられない話だった。別に嘘っぽいとか荒唐無稽という訳ではない。むしろ、語り手の煮え切らない感じや迷いなども含めて、リアルさを感じる部分は多々あった。それでも強固な現実感が感じられないのは、「脳」そのものに重大な意味を持たせている価値観のせいだろう。日本人は亡くなった人の遺体にこだわると言われるが、肉体の部位そのものに特別な意味を持たせることは、意外と少ないと思う。
 彼の脳に特異な部分は見つかっていないらしいが、もし今後の研究で何かが発見されたとしても、「彼」を理解できたことにはならないし、彼と同等の可能性を持つ人間を再生することもできはしないと思う。だから、脳を抱え込んでいた博士や作品の語り手よりも、当惑した感じで投書を寄せた人の意見に同調してしまう。脳をいくら調べてもその人を理解することにはならないし、何の意味もないと思ってしまうのだ。