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浅井 博美

浅井 博美の<<書評>>


煙か土か食い物

煙か土か食い物
【講談社文庫】
舞城王太郎
定価\580
2004/12
ISBN-406274936X

評価:C
 マザーファッカーを連呼すれば、「小説界を席巻する圧倒的文圧」と評価されるとは、日本の「小説界」はかなり陥落され易い。主人公はアメリカ在住の凄腕外科医四郎。彼の母が連続主婦殴打生き埋め事件の被害者になり、彼がその謎を解いてゆくという物語だが…。評判の文体はジャンクなアメリカ小説の翻訳物の様で目新しさは感じられないし、謎解きの課程にしても「!。またしても唐突に俺は閃く。」といった具合で彼の天才的な頭脳と、ほれぼれする程の腕っぷしの強さによりなんの苦労もなく解決されてゆく。その上フライトアテンダント、有名雑誌エディター、ナース(×2名)、はたまた兄嫁まで日米を股に掛けた女たちが潤んだ目で彼を見つめ身体を投げ出してくる。…。つまり本書は男版ハーレクインロマンスなのだろう。そう思えば腹も立たない。父子の確執を描けば、純文学とミステリーの融合(解説参照)と称されてしまうなんて、簡単すぎないか?結局のところ親子間の因果応報という題材をテーマに、複雑な伏線を張り巡らせてしまったがゆえに、どちらも空虚になってしまったという印象が残った。

僕というベクトル

僕というベクトル(上下)
【光文社文庫】
白石文郎
定価\880
2004/12
ISBN-4334737811
ISBN-433473782X

評価:D
 オチが無くだらだらと続く話を聞くのはつらい。世の中にはそういう話し方しかできない人もいる。状況説明だけならまだしも、その人物なりの過去の考察、希望的観測、はたまたかるーい自慢など、話がぼたぼた落ちるように推移する。ぽんぽん飛ぶのならまだ良い。スピード感があれば、ついて行くのにこちら側も身を入れないといけないし、素早い話の切り返しは先が見えないだけにおもしろい。しかしぼたぼたはいけない。本書はまさにその様な人物に、何日もかけて若干不愉快な問わず語りを聞かされている気分に陥る。退屈なのはもちろんなのだが、不快感を覚えてしまうのは「僕」の人間性と、センスのなさによるモノだろう。塾講師をしつつ売春の真似ごとをして生活している「僕」の日常の話は、「別にそんなこと聞きたくないよ…。」の繰り返しであるし、必要以上に出てくるにも関わらず、セックス描写に魅力がない。本書はセックスをしても、うまそうなラーメンを食べても「私もしたい!」という気持ちに全くならない。ただ自慰行為を眺めているだけの様な感覚になる。終盤に殺人事件が起こったりもするが、「へー、そうなんだー。」と気のない相づちしか打てないままだった。

柔らかな頬

柔らかな頬(上下)
【文春文庫】
桐野夏生
定価\620
2004/12
\590
ISBN-4167602067
ISBN-4167602075

評価:AA
 こんなに読後感が最悪な小説に出会ったことがあっただろうか。真夜中に上下巻すべてを読み終えたのだが、ベッドの上でまんじりとも出来なくなってしまった。非常に恐ろしい。私はあまりミステリーと言われるジャンルのものは読まない。トリックのために人間関係などが構築されているようで、薄っぺらだと感じてしまうものが多いからだ。しかし、一体本書はミステリーなのだろうか?純文学と称されるものでも、こんなに感情をかきむしられるような気持ちになったことはない。ストーリーとしては、元来仕事上の知り合いだったが不倫関係に陥った男女が、お互いの家族を連れて共に北海道にある男の所有する別荘に出かけるが、突如として女の長女が失踪してしまうという非常にシンプルなものだ。登場人物も少ない。密室のトリックのようなあっと驚く仕掛けも出てこないし、灰色の脳味噌を持った名探偵も登場はしない。だが、後々捜査に協力する末期ガンに冒された元刑事の生き様は壮絶だった。こんなに苦しい死に際を描いた小説があっただろうか。しかし私が本書を再読することはないと思う。ものすごい小説だと頭ではわかっていても、感情が拒否するという感覚に始めて襲われてしまったのだ。

さゆり

さゆり(上下)
【文春文庫】
ア−サ−・ゴ−ルデン
定価\730
2004/12
ISBN-4167661845
ISBN-4167661853

評価:A
 私は花柳小説フェチである。芸妓、舞妓、姐さん、旦那はん、水揚げなんて言葉を見るだけで、たまらなくなる。米国人男性に私のフェティシズムを満足させることなんでできやしない、と意地悪な気持ちで読み始めた。物語としては、漁村から口減らしのために売られてきた少女が祇園の芸妓として登りつめていくという、ある意味お約束の筋書きなのだが、意地悪してごめんなさい。非常におもしろい。祇園の花街のしきたり、風習の描写、女達の感情表現が非常に巧みだ。しかし終盤にさしかかり私が愛読してきた花柳小説とは何か違う違和感を覚えた。最後まで読み終えて納得。「さゆり」の骨格は欧米の少女小説なのだ。人間関係がからっとしていて、頑張った者が報われるようになっており、「あしながおじさん」「小公女」「赤毛のアン」といった典型的な孤児のサクセスストーリーに仕上がっている。しかしおもしろさが減るわけではない。あとがきで訳者が述べているように「異質なものの出会いによる妖しげな魅力」として楽しめばよいのである。小説を読むということは間違い探しゲームではない。不可思議な世界に入り込めたなら、身を任せてしまうことはとても心地よいのだから。

ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月

ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月(上下)
【ヴィレッジブックス】
ヘレン・フィ−ルディング
定価\735
2004/12
ISBN-478972431X
ISBN-4789724328

評価:B
 最近ネット上や女性誌などで盛んに繰り広げられている「日記風読み物」は大抵、「アタシ」と「ダーリン」や、「アタシ」と「愛猫」や、「アタシ」と「お気に入りレシピ」だったりと半径5m程で事足りてしまっている。「アタシ」と「X」の関係は常に「いけてるアタシ」と「ステキなX」という、ある意味様式美で固められていて、しばしば食傷気味になる。それに比べて、ブリジットは支離滅裂だ。「今朝はジムに行く予定」と記してはいるが、実行された日はゼロだったし、ステキはずのダーリンがトーリー党支持者だと知り、ショックのあまりはちゃめちゃな言動をとったり、ブリジット自身に大変な災難が降りかかっているにも関わらず「ダイアナ妃の死」というニュースに直面し自分のことは放り投げ、ダイアナ妃への思いに数ページを費やし止まらなくなってしまったりする。支離滅裂かもしれないが、実は彼女の世界はもの凄く広い。思ったこと、起こったことを次々に書き殴っていく様は、誰の目も意識していない日記ならではのおもしろさにあふれている。世界中の女性の代弁者とされるブリジットだが、日本にはあまりいないようだ。