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西谷 昌子

西谷 昌子の<<書評>>


権現の踊り子

権現の踊り子
【講談社文庫】
町田康 (著)
定価580円(税込)
ISBN-4062753510

評価:★★★★★

 町田康の小説を読むと、真夏日の炎天下、道に迷っているような気分になる。頭がぼんやりして思考が空回りし、周囲から聞こえてくる会話はリズムと不快なニュアンスが強調される。パニックになっている頭がふいに悲しい思い出を引っ張り出してくる……。町田康はそんな気持ちにさせてくれる。この短編集所収の「ふくみ笑い」はその最たるものだ。自分と世界とのわずかなズレ、軋みがしだいに大きくなっていく恐怖感。自分ひとりがズレていき、他の人間はなにごともなくリズムにのっているのに、理解できないでいらだつ気持ち。私は方向音痴でよく道に迷うのだが、そんな時、世界から取り残される不安感がひゅっと襲ってくる。そのくせ、何かにいらだっている。そんな気持ち悪さを表現してくれるのは町田康くらいだ。
 表題作は、敗北感あふれる祭りの様子になぜかせつなさを感じた。全体を通じて、透徹な青さが根底に流れているように思う。美しい物語にはなりえない世界と、自分の青さとの折り合いがつかない哀しさ。そんな感覚を味わわせてくれる。

ダーク(上下)

ダーク(上下)
【講談社文庫】 
桐野夏生 (著)
定価580円(上)/600円(下)
ISBN-4062753855
ISBN-4062753863

評価:★★★★★

 桐野夏生の描く女性に、私はどうしても憧れてしまう。地を這うような迫力としたたかさ、荒々しさ。これを「新しい女性」などとは呼びたくない。古い女性像、新しい女性像という問題ではないからだ。彼女たちは「像」などというものをはねつけるだろう。時には「○○な女性像」といったものを利用するだろう。そんな生々しさと生命力がこの物語全体を引っ張っている。
 桐野夏生の巧みなところは、政治的な事象――徐の体験した光州事件など――を俯瞰して書かず、あくまでも登場人物のなまの体験から描くところだ。誰と誰が争って、何百人に被害が出たかということよりも、追われて逃げ込んだ家の女の流し目のほうが、ずっと様子を物語るということがわかる。『ダーク』でも存分に発揮されたその生々しさが、ぐいぐい読ませる。

白菊

白菊
【創元推理文庫】 
藤岡真 (著)
定価700円(税込)
ISBN-4488436021

評価:★★★★

 インチキ超能力者探偵、そして記憶喪失の女という設定にまず惹きつけられた。読み進めるにつれ、どれも個性の強い登場人物を楽しみながら一気に読んでしまった。
 「強烈でわかりやすい(時にマンガ的な)キャラクター」と、ミステリは相性がいいのだと思う。誰が犯人だろう、と考えるのがより楽しくなるからだ。この小説でも、キャラクターを楽しみながら深まる謎を追った。
 大黒屋光太夫の弟子がロシアにいたという史実も、記憶を失った女性が犯人とどう関わってくるのかも、謎解きの要素としてすごく面白い。ミステリの醍醐味である、謎が解けたときの「やられた!」という感覚もしっかり味わった。
 願わくば、文庫の表紙は大黒屋光太夫の絵にしてほしかったが……。

ミャンマーの柳生一族

ミャンマーの柳生一族
【集英社文庫】 
高野秀行 (著)
定価450円(税込)
ISBN-4087460231

評価:★★★★

 タイトルを見て何事かと思ったが、これほどわかりやすく史実を噛み砕いてくれる旅行記だとは思わなかった。
 ミャンマーの政治情勢を江戸時代に例えて説明しながらの旅行記。多少例えに無理があるのはご愛嬌として、重苦しい情勢がほとんど滑稽なくらいに語られているのが面白い。だってアウン・サン・スー・チーが高野秀行にかかれば千姫である。なんだかぐっと身近になった気がする。
 加えて現地で出会った人々が非常に可愛く描かれているのだ。自分たちを監視する役目にある政府側の人間たちでさえ、あくびをしたり買い物に走ったりといった人間くさい姿を見せる。こうした目線で人間をとらえているからこそ、筆者はこのような楽しい旅行記を書けるのだと思う。ただ表紙がなんでこんなにシリアスなのかがよくわからない。

99999(ナインズ)

99999(ナインズ)
【新潮文庫】 
デイヴィッド・ベニオフ (著)
定価700円(税込)
ISBN-4102225226

評価:★★★★

 ひとの人生がぴんと張り詰める瞬間を切り取ったような短編集だ。走行距離が「99999」になる瞬間を楽しみにするドライバーがいて、そのドライバーの恋人はスターになるために彼を見切る。戦場で罪のない老婆を殺さねばならなくなった軍人。ライオンのような王者になりたいという夢がかなうか、かなわないかの瀬戸際にいる少年、盗んだ車で出た旅。ひきこもって狂っていく青年、女優になることで変わってしまう女、恋人の亡き父を理想化する少年、不条理な医学に直面した青年。それまでの人生をくつがえしてしまう瞬間、それからの人生を決定してしまう瞬間がここにある。どうしようもない、とりかえしのつかない出来事がその人の価値観を変えてしまう。その意味でこれは青春小説なのかもしれない。自分にもこんな瞬間がかつてあり、これからもあるのかもしれない。変わっていくことが良いのか悪いのか。そんなやるせなさを感じさせてくれる。

ティモレオン

ティモレオン
【中央公論新社文庫】 
ダン・ローズ (著)
定価760円(税込)
ISBN-4122046823

評価:★★★★★

 いくつもの愛の物語を横切っていく犬。犬じしんも、ある愛によって犠牲になり捨てられる。裏切られたり、取り返しのつかない事故にあったりしながらも、馬鹿なまでにひとを信じたり愛したりする人々が、主人公の犬、ティモレオンとだぶる。ひとつひとつの物語の、独特の残酷さはマザー・グースのようでもある。酷い話なのに、哀しい無邪気さがある。
 翻訳が素晴らしく、流れるような文章だ。詩を読んでいるような気持ちになる。汚いところも酷なところも、いやらしいところも醜いところも、すべてを淡々と語ることで不思議な美しさが生まれる。それは詩的な感性と小説ならではの描写が合わさった結果だろう。解説で述べられているように、本棚に置いていつまでも愛でたい一冊だ。

影と陰

影と陰
【ハヤカワ・ミステリ文庫】 
イアン・ランキン (著)
定価890円(税込)
ISBN-4151755020

評価:★★★

 悪魔崇拝を匂わせる殺人事件が起きた……というところで、ダ・ヴィンチ・コードのようなものを想像してしまったがまったく違って、警部ジョン・リーバスと仲間の警部との微妙な関係性や、舞台となるエジンバラの退廃的な雰囲気を楽しませてもらった。そしてラストのどんでん返しに驚く。
 タイトル通り、町が影と陰に覆われている様子がまるで映画を見ているように目の前に立ち上がってくるのが凄い。暗いなかにもさらに闇があり、よからぬことが蠢いている。そのくせ文体がすっきりしているので、後味がよい。もう少しインパクトが欲しかったところだが。

博士と狂人

博士と狂人
【ハヤカワ文庫NF】
サイモン・ウィンチェスター(著)
定価777円(税込)
ISBN-4150503060

評価:★★★★★

 オックスフォードの編纂事業の中心に、殺人を犯した狂人がいたなど想像もしていなかった。
 このドキュメンタリーは、中心になって編纂を進めた一人の天才・マレー博士と、陰ながら大きな力になった殺人犯にして精神病院入院患者・マイナーの物語だ。この事実にまず驚くが、マイナーが精神病院のなかでどのように辞典編纂にのめりこんでいったか、マレー博士とどのように親睦を深めたかが事細かに描かれていて、まるで実際に見てきたように書く筆者の力量にも驚く。調査の量もなみたいていではないだろう。
 辞典の編纂に関する情報も面白く、好奇心をそそられる。また、この二人がいかに数奇な運命をたどったかにも感服させられた。陳腐な感想しか浮かんでこないくらい素晴らしかった。最後、二人が死ぬくだりは涙なくして読めない。素晴らしいノンフィクションだ。