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浅谷 佳秀

浅谷 佳秀の<<書評>>



イッツ・オンリー・トーク

イッツ・オンリー・トーク
絲山秋子 (著)
【文春文庫】
定価410円(税込)
2006年5月
ISBN-4167714019

評価:★★★

 主人公の「私」は恋愛に幻想を抱けない。「私」にとって、セックスはコミュニケーションの道具でしかない。相手の好き嫌いはあんまり関係ない。男友達と飲んだりすると、そのままさっさと寝てしまう。で、寝たとたん、男が離れていく。うーん、こういう女性、いそうでもあり、あんまりいなさそうでもあり、微妙だ。
 そんな「私」を取り巻く男性には、やはりというべきか、まともな奴がいない。そんな中でもヤクザと痴漢がいい味だしてる。彼らは確かに、まともな奴ではないが、ろくでなしでもない。「私」と痴漢との間には、需要と供給のバランスがぴったりととれている。そこにあるのは刹那の気晴らし。痴漢との交情を終えた「私」が、痴漢にお風呂で体を洗ってもらうくだりは、この小説中の白眉のシーンだろう。一方、やばい仕事に手をだそうとしているヤクザとの別れのシーンは、ちょっとリアリティに欠けるが、なかなかクールで渋い。どちらのシーンにも、あっけらかんとした諦観と、かすかな哀しみが漂っている。
 併録されている「第七障害」の方は、表題作よりももっと熱っぽくてストレートな恋愛小説という感じで読みやすい。

さよなら、スナフキン

さよなら、スナフキン
山崎マキコ (著)
【新潮文庫】
定価620円(税込)
2006年5月
ISBN-4101179425

評価:★★★

 常にコンプレックスに苛まれながら、自分の居場所を必死に探しているような主人公。しかし引きこもるわけでもなく、ちゃんと大学にも通い、アルバイトにも打ち込むことができるのだから、そこまで自己卑下しなくてもいいんじゃないか、と思う。アルバイト先でも非常識な行動をして恥をかいたりもするが、そんなこと、最初のうちは結構誰でもやらかすものだ。些細なことでいちいち萎縮する主人公だが、アルバイト先の社長からは評価され、とんとん拍子にライターとして作品を出版させてもらえることになるくだりなど、逆に、話がうまく進みすぎという感じだ。
 主人公よりもよほど不可解なのが、アルバイト先の社長だ。ずぶの素人である主人公を、才能があるとおだてていきなり本を書かせるかと思うと、夜にアパートに押しかけたりして、何か下心丸出しの観があるが、かといってストレートに口説いてくるわけでもなく、主人公の無知に付け込んでギャラを搾取するようなセコイことをする。ひどく人間的にいびつな感じ。この社長に主人公が三行半をたたきつけ、契約社員を辞めるくだりは爽快だ。

ブレイブ・ストーリー

ブレイブ・ストーリー (上・中・下)
宮部みゆき (著)
【角川文庫】
上巻定価700円(税込)
中巻定価700円(税込)
下巻定価740円(税込)
2006年5月
ISBN-4043611110
ISBN-4043611129
ISBN-4043611137

評価:★★★★★

 この作者の作品には裏切られたことがない私だが、この作品はどことなくジュブナイルというイメージがあり読んでいなかった。だが、読み始めたらあっという間に引き込まれてもう止まらない。時間を忘れて読んだ。
 上巻では、主人公ワタルの家庭崩壊や、ミツル、大松香織の身の上にふりかかる悲劇など、現実世界の残酷さがリアルに描かれ、胸をえぐられる。そこから中巻、下巻では幻界へと物語の舞台が移っていく。幻界の描写は圧倒的で、ワタルが遭遇する様々なキャラ、風物など、容易に映像となって脳裏に立ち上がる。イメージの奔流は尽きることがない。それらは唖然とするほど美しかったり、思わず涙するほど切なかったり、逆に、身震いさせられるほどグロテスクだったり。村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を髣髴とさせるところもある。愛と憎しみ、エゴと自己犠牲、人間の弱さと強さ、醜さと美しさ。壮大な舞台で織り成されていく冒険物語は、揺るぎのないヒューマニズムの世界観に貫かれている。
 11歳になる私の長男に貸してやったら夢中になり、数日で一気読みしてしまった。主人公のワタルと同じ年齢でこの物語に出会えた息子がちょっとうらやましい。

非・バランス

非・バランス
魚住直子 (著)
【講談社文庫】
定価470円(税込)
2006年5月
ISBN-406275391X

評価:★★★

 小学校でいじめを経験した少女が、中学校では友だちをつくらずに、一人でクールにやっていく、という決心をする。共働きの両親は、彼女の上っ面しか見ず、彼女の孤独などまったく理解しない。少女は学校でも家庭でも、誰とも交わらずに孤独に生きている。時々万引きをしたり、自分をいじめた相手に無言電話をかけたりもする。そんな彼女が、ある夜、アパレル業界で働いている年上の女性・サラさんと知り合い、徐々に心を解きほぐされていく。一方、サラさん自身もまた、仕事での自分の夢と現実との距離が埋まらないことに悩んでいる。
 淡々とした思春期小説だ。読みやすく、感情移入もしやすい。ミドリノオバサンの道具立ても巧みだ。エンディングも爽やか。ただ、少女が、万引きした商品を返したりすることをちょっとでも考える気配はないし、無言電話を、嫌がらせに対する仕返しだと正当化したまま、自分の受けたトラウマを克服するだけで終わってしまうところはちょっと引っかかる。

ジゴロ

ジゴロ
中山可穂 (著)
【集英社文庫】
定価460円(税込)
2006年5月
ISBN-408746041X

評価:★★★

 ゲイやレズビアンの人たちは、ヘテロの人たちに比べ、恋愛に対してより真摯に、そしてアグレッシブに向き合っているような気がする。パートナーを獲得するために、多くの障壁を乗り越えなくてはならないからだろうか。この小説の中心的な登場人物である、ストリート・ミュージシャンのカイも、仕事に打ち込む同性のパートナーを愛しつつ、夜毎、新しい恋を追いかける。
 この作品ではカイと、彼女をめぐって、女性たちがくりひろげるドラマが描かれている。「ダブツ」という1篇を除いては、登場する女性はほぼ真性のレズビアンだけだ。愛し合う彼女たちに、マイノリティの哀感みたいなものはない。彼女たちはヘテロの恋人同士と同じように、浮気も駆け引きも嫉妬もする。恋愛という人間同士のもっとも根源的な営みのありようという点では、レズビアンとヘテロとの間にそれほどの差はないのかもしれない。とはいってもこの作品、間違いなくヘテロよりもゲイやレズビアンの読者の方が感情移入しやすいだろう。

隠し部屋を査察して

隠し部屋を査察して
エリック・マコーマック (著)
【創元推理文庫】
定価924円(税込)
2006年5月
ISBN-448850403

評価:★★★★

 マックス・エルンストの絵画世界を思わせる。シュールでグロテスク。残酷でエロチック。それでいて静謐な美しさに溢れた作品集である。ジョー船長は一夜で40年も年老いてしまうし、南ボルネオのとある村では、少年が上半身を180度ねじられ蜘蛛人間に改造される。オルバ島の男性は、女司祭の手によって毎年身体の器官を1個ずつ切除されなくてはならず、最も長生きしても31歳で死ぬ運命だし、「アブサロムの柱」というカルトの信者の女性は、絞首刑に処せられた男の死体と交わらなくてはならない――。
 想像力の飛翔に一切のタブーを設けない作品群に、激しく揺り動かされたり、凝固させられたりしながら、現実世界の裏側に広がっている迷宮へと踏み込んでいくような心持ちになる。
 私としては「トロツキーの一枚の写真」という1篇が最も気に入った。奇怪なエピソードに彩られた1人の女性カメラマンの物語。どの作品も脳裏に鮮やかな映像を喚起するが、ことにこの作品は、才能のある監督の手によって映画化されたら、きっと奇跡のような作品になりそうな気がする。

フェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理
サイモン・シン(著)
【新潮文庫】
定価820円(税込)
2006年6月
ISBN-4102159711

評価:★★★★

「私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が少ないのでここに記すことはできない」フェルマーはこう記して、その定理の証明を残さなかった。何とも人を食った話だ。そっけないほどシンプルな定理でありながら、証明不可能といわれ、350年もの間、名だたる数学者たちの挑戦を退けてきた。
 この史上最大の難問を、1995年、アメリカの数学者アンドリュー・ワイルズがついに証明するに至るまでの道のりを描いたのが本書である。本作中のワイルズ自身の言葉を引用すると「とてもシンプルで、とてもエレガント」となるのだが、実際は200ページを越す化け物みたいな論文らしい。このワイルズの証明は、無から飛び出した啓示のようなものではなく、モジュラー形式だの、楕円方程式だの、谷山=志村予想だのという、連綿と洗練され続けてきた現代数学の、緻密な組み合わせと応用の末に得られたものだ。となると、素朴な疑問が生じる。350年前のフェルマー自身による証明というのは、ワイルズのそれと同じだったのか、いや、そもそもフェルマーは正しく証明できていたのか、と。ともあれ数学の神秘は計り知れない。本書は、ピュタゴラスからワイルズに至る、数学に憑りつかれた人間たちのドラマを、数々の印象的なエピソードを交えつつ生き生きと描いている。