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いつか王子駅で
いつか王子駅で
堀江敏幸 (著)
【新潮文庫】
税込380円
2006年9月
ISBN-4101294712
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  久々湊 恵美
 
評価:★★★★☆
ああなんて上品で心地よいのだろう。
というのがまずは読んだときの感想。
分量はさほど多い小説ではないのですが、情緒と味わいががこの一冊にに色濃く凝縮されているのです。
特段大事件が起こるわけではなく、ただ日々の生活をエッセイとも取れるような雰囲気で綴っていて。
ちょっと懐かしい感じの風合いなのが、とてもホッとさせられます。
主人公も朴訥とした感じで、ややもすれば世間から一歩ひいた風なのがまた良いのです。
昔ならどこにでもいたであろう登場人物たちに囲まれた生活ぶりが羨ましくなってしまいました。
何だか昔の日本映画を観ているような気分になります。
こういった、ひとつひとつを丁寧に捉えて文章化する素敵な作品に出会えてラッキーです!
東京に遊びに行くときには、こんな下町を歩いてみたいなあ、なんて気分になっちゃいました。

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  松井 ゆかり
 
評価:★★★★☆
 東京都北区にある王子駅は私が生まれた当時の住まいのすぐ近くだ。自分ではまったく記憶がないが、初めての育児に奮闘する両親と3人、どんな日々を送っていたのだろうと思う。
もしも国語の授業で書いたら、おそらく文法的によろしくないと注意されるであろう長々と続く文章。しかしながら、堀江敏幸という作家によって紡ぎ出されるそれは、紛れもなく美文と呼ばれるものだと思う(世の小説家のみなさんはうかつに堀江さんに解説など依頼されませんよう。本文より美しい解説など不要でしょう)。この小説が懐かしさを呼び起こすのは、昔住んでいた場所を描いているからだけではあるまい。

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  島村 真理
 
評価:★★★☆☆
 “ああそうだ”と納得する日常が濃厚に満ちている。
 背中に“龍”を背負った正吉さん、一日パラフィン紙を本にかけている古書店の筧さん、「かおり」の女将さん、家主の米倉さんと娘の咲ちゃん。ご近所さんがちゃんと身近にいて、適度に接近していて心地よい空間なのだ。
 ふんわりとした温さというよりは、夕暮れに郷愁をかきたてられるような。そして、昭和を思い出させる空気がある。
 時間給の教師をしている“私”には、生活にせっぱ詰まった様子もなく、それどころかどこまでも贅沢な時間がひろがっているように思える。古書店で本をえらぶ、新米よりも古米・古古米を好む、風呂屋でのコーヒー牛乳にフルーツ牛乳。
こんなにゆったりと流れる時間と、古いものを大切にできる環境に嫉妬してしまう。いいなぁと思ってしまう。“なつかしい”のある風景は安心できて心地いい。

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  浅谷 佳秀
 
評価:★★★★★
 酔っ払いの千鳥足のようにあっちこっちにふらふらする話の流れが、実にゆるくて気持ちいい。電話の調子がおかしくなって業者に修理を頼んだ話に、王子という地名が絡まってきて、それが徳田の秋声『あらくれ』に繋がってゆくと思えば、自転車を買った話から瀧井孝作の文章に関する話になったり。かと思うと「トム・ソーヤー」を「トム木挽き」と訳してあっけらかんと笑う咲ちゃんを所々で登場させてなごませてくれたり。この咲ちゃんという中学生の女の子、のびやかで、すれてなくて、ほんとに可愛らしい。
 それにしてもこの作者の文章、センテンスがやたら長いのに、ちっとも読みにくくないのは不思議。いろんな職人の話が作品中に出てくるが、この作者こそまさしく文章の職人に違いない。居酒屋のピンク電話を囲っている飾り戸の障子についた染み、などといった何でもない瑣末な描写ひとつをとっても、文章を書くことに対し妥協しない作者の姿勢がよくわかる。料理の描写なんか、それを肴にして一杯飲みたくなるくらいだ。まろやかで芳醇で、滋養分に富んだ文章というか。読むほどに脳みそがβ−エンドルフィンで満たされてくる。

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  荒木 一人
 
評価:★★★☆☆
 さらりさらりと読める。これが昇華された純文学というものなのか? 日常の平凡な生活を平凡に描く著者の凄さに驚嘆するばかりだ。読後感も儚い。
 東京の都電荒川線、路面電車の町に越してきた主人公。講師、翻訳、家庭教師をしながら気ままに暮らしていた。「かおり」という小さな居酒屋で知り合った昇り龍の正吉。ある日、正吉さんが忘れたカステラの箱を届ける事を引き受ける。
 淡々と、ひたすら淡々と書かれている。登場人物達が、力を入れず、力を抜かず、自分たちのペースで生きている。厭世的部分も持っているが、決して人生を嫌っている訳では無く、きちんと楽しんでいる所が良い。
 少し語彙に難しいものが含まれているので、辞書は必要かも。あと、著者には悪いが、競馬の描写が多いので、興味が無い方々は読み飛ばしても差し支えないかも。もっとも、私は楽しく読ませて貰ったのだが(笑)。

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  水野 裕明
 
評価:★★★★★
 句点の極端に少ない、うねうねと続く独特の長い文章の心地よさ。静謐な毎日が静かに綴られてゆく気持ち良さ。瀧井孝作や島村利正の作品からの抜粋が時々のアクセントとなりながら、波紋ひとつ無い水面のような静けさ……。そして主人公がよく行く居酒屋兼食堂「かおり」での穏やかで暖かい食事の様子、古書店の落ち着いた佇まいとその店主のパラフィン紙がけへのこだわりなどが淡々と綴られ、山もなければ谷もなく事件もなければ激することもない怒することもない、静かな下町の日々が情感豊かに描かれている。それが読む人の心にひたひたと滲み込んできて、何とも言えないやさしく平穏な心持ちにさせてくれる……。こんな小説作品は本当にいいよなぁと感じさせてくれた佳作であった。

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