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松井 ゆかり

松井 ゆかりの<<書評>>

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ウェルカム・ホーム!
ウェルカム・ホーム!
鷺沢萠 (著)
【新潮文庫】
税込420円
2006年9月
ISBN-4101325200

 
評価:★★★★☆
 鷺沢萠という作家のデビューは衝撃だった。清冽な作風、美人であること、そして若さ(自分より年下の作家の出現は、これが初めてだったと思う)。当時数多の物書きが彼女の才能に嫉妬したことだろう。
 そしてそれと同様に、いやそれ以上に、鷺沢萠の逝去は衝撃だった。精神的に不安定だったということも言われているようだったし、最近は小説のうまさに対して作家としての知名度が追いついていないという感じもあったかもしれない。
 「ウェルカム・ホーム!」は鷺沢さんが自らの命を絶った直後に読んだことがあって、今回は再読である。今にして思えばショックで頭に血が上っていたと思われる初読のときよりも、ストレートにこの本のよさが伝わってきた。収録の2編はどちらも世間一般の“家族”のイメージから遠い共同生活の有り様を描いている。フツーでなくてもいい、と全編を通じて登場人物たちに温かい眼差しを注ぐ著者本人が、自分ではとうとう現実の厳しさから逃れられなかったのだろうか。それでも彼女の遺した作品は、私たちの心を温め続ける。

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いつか王子駅で
いつか王子駅で
堀江敏幸 (著)
【新潮文庫】
税込380円
2006年9月
ISBN-4101294712

 
評価:★★★★☆
 東京都北区にある王子駅は私が生まれた当時の住まいのすぐ近くだ。自分ではまったく記憶がないが、初めての育児に奮闘する両親と3人、どんな日々を送っていたのだろうと思う。
もしも国語の授業で書いたら、おそらく文法的によろしくないと注意されるであろう長々と続く文章。しかしながら、堀江敏幸という作家によって紡ぎ出されるそれは、紛れもなく美文と呼ばれるものだと思う(世の小説家のみなさんはうかつに堀江さんに解説など依頼されませんよう。本文より美しい解説など不要でしょう)。この小説が懐かしさを呼び起こすのは、昔住んでいた場所を描いているからだけではあるまい。

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ハリガネムシ
ハリガネムシ
吉村萬壱 (著)
【文春文庫】
税込600円
2006年8月
ISBN-4167679981


 
評価:★★★☆☆
 小説というものは、作者の「書かずにいられない」という欲求によって創作されるものかと思うが、そうだとすればこの作品もやはり筆者がどうしても表現したくて生み出したものであろう。暴力的な衝動や性欲が発生すること自体はしかたないかもしれないが、この小説にみられる過剰さは残念ながら自分が小説に求めるものとは違っていた。しかしもちろん、「こういうものを読みたかった」と思う人もいるだろう。作者が書きたかったものが読者の読みたいものであれば、こんなに喜ばしいことはないし、もしかしてその読者とはあなたかもしれない。幸福な出会いがありますことを。
 この本で胸を打たれたのは、併録作「岬行」の主人公が図書館で見かける老人の本の読み方だ。彼は分厚い本の任意のページを開き、暫く眺めた後数行の文章を写し、また他の本を物色し始める。ゾッとするような焦りに襲われるのかも、死ぬまでに何冊読めるかを計算したのかも、と主人公は推測する。本好きには身につまされるエピソードだ。

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ミカ×ミカ!
ミカ×ミカ!
伊藤たかみ (著)
【文春文庫】
税込580円
2006年8月
ISBN-416767999X

 
評価:★★★★★
 双子という存在は、兄弟姉妹の中でも特に不思議に思える関係である。男女ひとりずつの双子は特に。自分とそっくりな顔をしているのに性別が違うというのは、いったいどんな感覚なのだろうか。
 この小説の主人公ユウスケとミカも双子の兄妹である。大人びたユウスケと天真爛漫なミカは、性格的には正反対のようだけれどそれでもとても仲がいい。お互いのことを心配しながらも、ベッタリと寄りかかるようなことはなく、相手の気持ちを尊重することができるきょうだいって理想だ。
 伊藤たかみさんが児童文学も書いておられたことを初めて知った。児童文学出身の女性作家の活躍は枚挙に暇がないが(夫人でいらっしゃる角田光代さんもそうだ)、男性作家にもこのような逸材がおられたとは。人材の宝庫だと思うと、当分目を離せない分野である。

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照柿
照柿 (上・下)
高村薫 (著)
【講談社文庫】
(上巻)税込680円(下巻)税込650円
2006年8月
ISBN-406275245X
ISBN-406275259X


 
評価:★★★★★
 再読である。私は高村薫という作家のかっこよさは卒倒ものだと思っているのだが、「照柿」は単行本が刊行された直後に読んで以来読み返したことはなかった。理由はずばり「こんな合田は見たくない」ということに尽きた。
 一目見ただけで合田が心を奪われてしまった女、美保子。その美保子と愛人関係にある合田の幼なじみ、達夫。美保子に執着するあまり嫉妬に狂い、職権を濫用してまで達夫を陥れようとする合田の姿を、初読のときにはほとんどまったく理解できなかった。合田、どうしてこんなことになっちゃったんだ…、と。が、同様に苛立ちながらも今回は「人生にはこのようなことも起こり得るのだろうな」と受け入れることができたのも、少しは大人になったからか。もうひとつの発見は、なかなか読み進められず苦労した工場での作業風景の描写がとてもおもしろく感じられたことだ。
 そして極めつけ、最後の最後で母親を求める達夫の姿に、3人の息子を持つ母親として「もうこの小説のすべてをよしとする!」という気持ちになった。時は流れるのだな…。

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無名
無名
沢木耕太郎 (著)
【幻冬舎文庫】
税込560円
2006年8月
ISBN-4344408284

 
評価:★★★★★
 私の父は3年前くも膜下出血で亡くなった。享年61歳。家族の誰もまったく予期していなかったことだった。
 くも膜下出血というのは、一命を取り留めた場合には重い後遺症が残りやすい病気なのだそうだ。周りの方からは「もし助かっても後遺症に苦しむことがあったら、お父さんも家族も大変だった。つらいけれどこれでよかったのかもしれない」と慰めの言葉をかけられた。私もそう思うことで自分を納得させようとしたのだが、罪悪感のような後ろめたい気持ちは消えなかった。父は生きたかったのではないか、どんな姿になろうと生きていたかったのではないかと。
 「無名」には、著者の父親の闘病の日々とその死が描かれている。私の父に訪れた死もこのようにゆっくりとしたものだったら、もっと落ち着いてあるいは覚悟を決めて、自分も別れることができたのだろうか。沢木さんをうらやましく思うと同時に、どんな死であっても遺されたものの悲しみが軽減することなどないのだという思いが胸をかすめもする。

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僕たちの戦争
僕たちの戦争
荻原浩 (著)
【双葉文庫】
税込820円
2006年8月
ISBN-4575510866

 
評価:★★★★☆
 希望がある結末にも思えるし、ものすごく救いのないものだという気もする(吾一はもちろん健太についても)。
 終戦から60年ちょっと。もう直球で戦争を描くことはほとんどの作家には無理なのか(果敢に挑戦しているのは古処誠二氏くらい)という気がしていたところへ、タイムスリップという変化球を取り入れながら戦時中の人間を主人公のひとりに据えたのが新鮮さを感じさせる作品である。
 1944年の世界からやってきた吾一が、喧噪に満ちた現代の日本の姿を見て抱く、「自分たちがこれが、自分たちが命を捨てても守ろうとしている国の五十年後の姿なのか?」という悲嘆は重い。しかしいろいろと問題はあるにせよ、強制的に死を選ばされることのないこの世界を私は大切にしていきたい。自分たちの幸福は戦争で踏みにじられた多くの人々がいたからこそ成り立っているのだと、改めて思わされた戦後61回めの夏だった。

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風の影
風の影 (上・下)
カルロス・ルイス・サフォン (著)
【集英社文庫】
税込780円
2006年7月
ISBN-4087605086
ISBN-4087605094

 
評価:★★★★☆
 謎に満ちた作家というのは、なんと魅惑的な存在であることだろう。J.D.サリンジャーしかり、トレヴェニアンしかり、舞城王太郎しかり。「風の影」とは、作中に登場する謎の作家フリアン・カラックスが著した小説の題名でもある。そしてそれは、主人公ダニエルが“忘れられた本の墓場”で見つけた運命の本となった…。
本好きとしてはこの設定だけでわくわくしてくるが、ミステリーとしてもしっかりした筋立てで読み応えがある。恋愛あり冒険あり親子の絆ありの盛りだくさんな内容だが、特に胸を打ったのは登場人物たちの友情であった。揺るぎないものもあれば、すでに失われてしまったものもある。それでもかつてそこに友情と呼ばれる感情が存在したという記憶は、いつまでも人の心に残るものだろう。

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天使と罪の街
天使と罪の街 (上・下)
マイクル・コナリー (著)
【講談社文庫】
税込680円
2006年8月
ISBN-4062754762
ISBN-4062754932


 
評価:★★★★☆
 スリルありサスペンスあり、そのうえ謎解きまでも楽しめるという、これぞエンターテインメントと呼ぶべき作品と言っていいだろう。惜しむらくは筆者マイクル・コナリーの他の作品を読んでいればもっと楽しめただろうなということ。少なくとも「ザ・ポエット」(扶桑社ミステリー)は先に読んでおいた方がいいみたいですよ!
 かつての仕事仲間だった友人の死の謎を調査する探偵ボッシュと冷酷無比な連続殺人犯を追うFBI捜査官レイチェル。まあよくあると言えばよくある設定なのだが、引っぱるだけ引っぱってうやむやという消化不良を起こしかねない作品も多々ある中、筆者のはっきりとした形で決着をつけようという意気込みが感じられて潔い印象。硬派な描写が続く合間に、時折差し挟まれるナイーブな文章にもぐっとくる。

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ドラマ・シティ
ドラマ・シティ
ジョージ・P・ペレケーノス (著)
【ハヤカワ文庫HM】
税込882円
2006年8月
ISBN-4151706615

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評価:★★★☆☆
 ところどころ8月の課題図書「魂よ眠れ」を読んだときの既視感が生まれるが(血で血を洗うギャングの抗争、いきがるだけで中身のない若者と口数は少ないが聡明で上の人間から見込まれる若者との対比、ギャングの中に共存する、邪魔者を容赦なく切り捨てる非情さと母親への心からの愛情などなど)、一度は犯罪に手を染めてしまった人間が更生しようと努力する姿に感動を覚える。きっと筆者ペレケーノスは人間の意志の力というものを強く信じているのだろう。今さら指摘するまでもなくアメリカの貧困層は暴力や犯罪と密接に結びついているとされるわけだが、そこから抜け出すことはまったくの不可能ではないのだと、これからも筆者は訴え続けていくに違いない。
 ところで水を差すようで申し訳ないが、裏表紙の「仮釈放監察官がギャングに撃たれ」とあるのは「刺され」の誤りではないでしょうか。

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