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勝手に目利き
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照柿
照柿 (上・下)
高村薫 (著)
【講談社文庫】
(上巻)税込680円(下巻)税込650円
2006年8月
ISBN-406275245X
ISBN-406275259X

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  久々湊 恵美
 
評価:★★★★☆
序盤はただひたすら丁寧に人物背景や工場の様子が執拗なまでに描かれていて、興味深い部分もあったものの少し退屈にも思えました。
一転、中盤から急激に物語が展開していき、それに思い切りひきつけられてしまいました。
というより、この一見事象だけが書かれたような散漫とした序盤があったからこその展開だと、あとから気がついたのです。
派手な物語ではないけれど、人間が持っている業のようなもの、とどめる事のできない情念のようなものが全体を覆っていて、それがこの作品の素晴らしさにつながっている様な気がしました。
そしてとにかく読んでいて、暑い。
真夏の太陽と熱処理工場からの熱、そして様々な人間模様が発していく暗く重い熱。
それらがあいまってこの作品の膨大な熱量となり、深みを増していくんだと。
非常に、心に残る一冊となりました。

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  松井 ゆかり
 
評価:★★★★★
 再読である。私は高村薫という作家のかっこよさは卒倒ものだと思っているのだが、「照柿」は単行本が刊行された直後に読んで以来読み返したことはなかった。理由はずばり「こんな合田は見たくない」ということに尽きた。
 一目見ただけで合田が心を奪われてしまった女、美保子。その美保子と愛人関係にある合田の幼なじみ、達夫。美保子に執着するあまり嫉妬に狂い、職権を濫用してまで達夫を陥れようとする合田の姿を、初読のときにはほとんどまったく理解できなかった。合田、どうしてこんなことになっちゃったんだ…、と。が、同様に苛立ちながらも今回は「人生にはこのようなことも起こり得るのだろうな」と受け入れることができたのも、少しは大人になったからか。もうひとつの発見は、なかなか読み進められず苦労した工場での作業風景の描写がとてもおもしろく感じられたことだ。
 そして極めつけ、最後の最後で母親を求める達夫の姿に、3人の息子を持つ母親として「もうこの小説のすべてをよしとする!」という気持ちになった。時は流れるのだな…。

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  西谷 昌子
 
評価:★★★★☆
 読んでいる間中、照柿の色が目の前に広がるような作品だ。熟した柿の、濃い緋色。主人公である男二人の、仕事上での行き詰まり、夏のうだるような暑さ、女をめぐる熱情と嫉妬……それらが照柿の色に象徴されるように、どろどろと煮詰まっていく。
それに対して二人が夢中になる女性は「葡萄のような目」をしており、相手を直視することなくいつも視線を逸らし、自分の闇の中に沈んでいく。そのマイナスの力に強烈に惹かれていく二人。相手の女が空虚なものを持っているからこそ、より強烈な負のエネルギーを噴出させる。この強烈な情景と、それを象徴する色は、読後しばらく瞼の裏から離れない。肌寒い季節に読んでも暑いかと錯覚するくらい、生々しく夏が描かれる。

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  島村 真理
 
評価:★★★☆☆
 かつて、この本を読むのを挫折している。ホステス殺しの捜査をしている合田雄一郎が女性の電車飛び込みを目撃し、幼なじみの野田達夫が駅前で美保子に再会するという、ほんの30ページにもみたないところで。何が気持ちを萎えさせたかというと、葡萄の目を持つ女への嫌悪と、その女に惑わされる男たちが気に入らなかったのかもしれないし、小説の全体から漂う、じんじんとした暑さが嫌だったのかもしれない。
 正直、今回もじくじくと不快を感じるところがあった。けれど、それが突然目の離せないものに変貌して、男たちの狂う様に魅せられていったのだ。そうなると、崩壊に身をまかすことが心地よくなる。狂うというのはそういう甘美なところがあるのかもしれないと考えたりもして。
 とにかく濃い小説だ。真夏の暑さ、狂って堕ちていく2人の男。壊れていくことの怖さと開放感。文庫化にあたって、全面改稿されているそうだ。そうなると、その前はどうだったかが知りたくなってくる。

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  浅谷 佳秀
 
評価:★★★★☆
 齟齬(食い違い、ものごとがうまくかみ合わないこと)という言葉が浮かぶ。意識と行動の齟齬、性格と職業の齟齬。多かれ少なかれ誰しもそうした齟齬を抱えているものだろう。だが警視庁の合田雄一郎刑事や、彼の幼馴染で金属加工工場労働者の野田達夫の場合、その齟齬が極端に大きい上に思いつめる性格だ。彼らはもともと崖っぷちに立っているといえる。その彼らの背中を一押しするのが、主婦の佐野美保子だ。作者独特の、観念的で粘着質な描写はこの女性に生々しい陰影を与えている反面、エロスからは却って遠ざけている。そこにもまた齟齬がある。
 ところで、この作者のディテール描写の、異様なほどの克明さが実はちょっと苦手だ。例えばレディ・ジョーカーという作品で歯医者が登場する。本職の私としてはその描写が気に入らない。概ね正確なのだが、描写の焦点が状況と微妙にそぐわない気がする。本作における、野田達夫の勤務先の工場に関する記述にもそういうものを感じた。ここにも齟齬。あるいは、そういう齟齬の積み重ねもまた、重く澱む読後感をかもし出すのにプラスに作用しているのかもしれない。ごつごつした読み応えのある小説だ。

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  荒木 一人
 
評価:★★★★★
 じりじりと心が枯渇し、ひりひりと欲望が滾る。愛憎が交錯し、情念が慟哭する。繊巧無類な心理描写。ミステリでは無い、サスペンスでは無い。凄いの一言しか出ない、人間ドラマ。前作の「マークスの山」を読んで於く事を御勧めするが、単独でも十分堪能出来る。
 主人公は、警視庁から八王子署に出向している合田雄一郎警部補。十数年ぶりに会った幼なじみの野田達夫。達夫の元恋人で信用金庫に勤めている美保子。
偶然、雄一郎が乗り合わせた電車に、飛び込み自殺があった。運命の輪が狂おしい音をたてて回り出す。
 猛暑の時期に読みたい一冊。細かな比較はしていないが、単行本と比べると、かなりの修正・加筆が行われている印象。是非、読み比べて欲しい。私も再読をした。
忙しい……。心を亡くすと書く、有名な台詞だが実感させられる。読後、もう一度文頭にあるダンテ「神曲」地獄篇一・一〜三を読み直し、吐息が出てしまった。審判を下すのは神ならぬ、我々自身なのだろう。

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