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WEB本の雑誌今月の新刊採点【単行本班】2007年5月の課題図書図書ランキング

林檎の木の下で
林檎の木の下で
アリス・マンロー(著)
【新潮社】 
定価2415円(税込)
2007年3月
ISBN-9784105900588
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  川畑 詩子
 
評価:★★★★★
 七十五歳の作家がひもとく「わたし」に連なる人びとの物語。
 スコットランドの寒村から北米に渡った祖先。その三代前の人物から語り起こされる。過去の人びとが入れ替わり立ち替わり現れては一瞬スポットライトを当てられて、また背景に戻っていく。それもとてもとても静かに。ずっとそんなイメージを持ちながら読んだ。
 さっきまで肉声を聞こえるかのように生々しく存在した人が、次の段落では墓碑の記録上の人になっている。そんな切り取り方が鮮やかで、かえって現代にいたるまでの連綿としたつながりが、ほのかにたち昇ってくる。歴史とはこのように描くことも出来るのか。
 これが作品を貫く大きくて静かな流れとすれば、伴走するようにもう一本、全体を通底する流れがあって、それは訳者あとがきで述べられた「地位にふさわしい以上の知性を負わされた」一族という意識。ことに女性にとってはプラスに結びつきがたい歓迎されないもの。そんな風潮は根強く残っていると思う。「生活力旺盛で女としての魅力にみちた」人へのコンプレックスは私にとってずっとつきまとって離れない感情。それがここでこんな風に文章化されていることが新鮮だった。静かな驚きと感銘がゆっくり広がる一冊。

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  神田 宏
 
評価:★★★★★
 僕たちに馴染みの、一人称で語られる私小説めいた家族の物語。しかしスケールは大きく、古くは19世紀のスコットランドの妖精蠢く丘陵地帯から、大西洋を渡って未開のカナダへとそれぞれの土地で生をまっとうしてゆく祖先のつつましくも逞しい姿を著者は静かな、慈しむかのような緩やかな筆でゆっくりと書き進める。その悠久の流れは、個を超えて累々と流れる物語を、古層から蘇(よみがえり)させることに成功している。インディアンの娘に向けられる人攫いの疑惑の挿話。活動的な母が夢見た煌びやかな時代の挿話。平凡な労働者になった父。若かりし著者が感じた階級社会への違和感。そういったものの、背後はあの貧しいスコットランドの前近代的なまどろみに端を発していたのだ。そしてそこは『黄金なる林檎の樹、美しく流るる歌姫のこえ』(ゴールズワージ)と歌われた調和の世界への黄泉帰り(よみがえり)でもあったのだ。そういえばゴールズワージの主人公の少女も貧しさの中、疑心にまみれて旅立ったのではなかったか? しかしそこには、個を超えた貧しくも美しいものへの憧憬があったのではなかったか? この長編が燻らす上質な憧憬は、はかなくも散る林檎の花びらとなって静かに静かに僕の心に降り注いだ。

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  小室 まどか
 
評価:★★★★
「短篇小説の女王」が、長年にわたって少しずつ発表していた短篇に書き下ろしを加えてまとめた、自らの一族にまつわる物語。あくまで「小説」と断りながら、淡々と運ばれていく短篇のいずれにも、身内に対する遠慮のなさと、その裏に存在する親愛の情があふれている。
 初恋という日本人好みの題材を扱っていることや、語感の美しさから、邦題に「林檎の木の下で」が選ばれたのは頷けるし、こうした自伝的小説にあたる部分では、生き生きとした描写や、当時の自分を取り巻く環境に対する突き放したようなまなざしが冴えている。しかし、原題には、アメリカへと向かう船上の祖先たちを描いた「キャッスルロックからの眺め」が選ばれているように、この本の白眉は、わずかな手がかりから想像力を駆使して血族の足跡をたどる部分にこそある。マンロー自身が魅せられた、妖精の生きていた時代から連綿と紡がれてきた糸が、たしかに自分に結びついていることを実感する喜びが、ゆっくりと流れ込んでくる。

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  磯部 智子
 
評価:★★★★★
 前作『イラクサ』を読んで、じっくり読まなければいけない作家だと知っていた。マンローがもつ言葉は静かだが、それは人生を見通すような諦念と反発がせめぎ合いを繰り返した結果であり、読み手がどちらを自分に引き寄せて読むかはそれぞれが背負う年月、深さに委ねられる。作家75歳の短編集は、「作家自身の一族の物語」であり、全てをはきだす決算の時。同時にどこまでも作家であり続けるマンローは物語を「でっちあげる」はずで、どれくらいフィクションとノンフィクションが交じり合っているのだろうかと考えながら、そんなことは実はどうでも良いことなのだとも思った。物語はスコットランドからカナダに渡り根を下ろす一族にまつわる第一部から、作家自身に直接かかわる二部へと続いていく。海を越え大陸へと渡る一族の決断、何者でもなかった者たちが何かになろうとする年月は希望と挫折を繰り返す。子供時代を何かが欠落していると感じることなく送った人間などいるだろうか、その記憶がそこかしこから恥ずかしさや痛みとして呼び覚まされ私自身に重なっていく。マンローは私にとって、自分を作り上げてきた過去そして現在を受け入れ、成熟への手掛かりを潜ませた言葉にじっと耳を澄ませる、そういう読み方をする作家なのだ。

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  林 あゆ美
 
評価:★★★★★
『木星の月』、『イラクサ』につぐマンローの単行本として日本に紹介される3冊目は自伝的短篇集。そう、マンロー自ら「これらは短編小説である」とまえおきして編まれている。ストーリー的には、前著2作に比べ、ずっと地味に、だがやはりマンローらしい一文にあらゆる角度をもたせ空から土から眺めるような文体で、自身のルーツを語っている。多くの固有名詞が出てくる。見知らぬ土地や人の名前が、読んでいるうちに立ち上がって息をしはじめ、その裏に流れる時間や歴史が見えてくる。自伝、なのだろう。本人以外、いや本人すら直視したくないことも、小説に成熟させる巧みさにうなる。そもそも綺麗な人生などあるのだろうか。生きていたら、醜聞といわれるようなことにまきこまれることも自然なのだ。自分の生きる人生など、歴史の中においてはほんの短い間なのだと、ここでは19世紀初頭にまでさかのぼり、血族の時を目の前に差し出してくれる。語られたその物語には確かに人がいて、苦しみがあり喜びもある。なんと豊かな物語だろう。

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