著者インタビュー

文字を食して、言葉をあじわう。『文字の食卓』正木香子

文字の食卓
『文字の食卓』
正木 香子
本の雑誌社
1,944円(税込)
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■書体から伝わる「想い」

-- さて、本書の内容は手に取っていただくとして、この本のもとであるWebサイト「文字の食卓」をつくろうと思ったそもそものきっかけはなんだったんでしょう。
正木 怒りです(笑)。

-- 怒り?
正木 大好きで読んでた雑誌が、ある号で急に書体が変わったんです。読者になんのことわりもなく。

-- ことわり。
正木 どこかにかいてあるんじゃないかと思って、隅々まで探すんだけど...。

--「この号で写植最後です」とか?
正木 「石井明朝やめてリュウミンでいきますが今後も本誌をよろしく」とか。

-- なかった。
正木 ありませんでした。しかも何誌も時期が重なったんですね。それで、ああ、またか、この雑誌もなのかって。

-- いつごろの話ですか。
正木 三年ぐらい前、2010年ぐらいですかね。すでに世の中の出版物のDTP化がかなり進んでいて、写植の文字を続けている雑誌や書籍というのは、書体にすごくこだわりをもっているイメージがあったんです。それなのに、結局、読者は気づかないだろうと思われているんだと感じて、すごく悲しかった。

-- ショックだったと。
正木 ええ。でもそのときに気がついたんです。そう思われるのも仕方ない、だって私は「この書体が好き」って一度も声に出したことはないし、誰かに伝えたこともないし、第一、この書体の名前さえ知らないものって。名前も知らないのに、勝手に奪われたような気持ちになって...。だから怒りというのは、自分への怒りなんですよね。大切なものがなくなるのは、誰のせいでもない、自分のせいだと思った。

-- 自分のせい。つまりサイレントマジョリティの一人として?
正木 その時はわたし個人のせいって思ってた(笑)

-- それがサイトづくりのモチベーションに。
正木 はい、もう遅いかもしれないけど、何の反響も反発もなかった、情報さえ伝わればどんな書体でも全部一緒だったみたいになるのはいやだった。でも、自分だけじゃない、声をあげればきっと共感してくれるひとがいると思ったんです。

-- 反応ありましたか。
正木 はい、サイトを始めてすぐに「自分も同じようなことを考えていた」というメールをいただきました。

-- いわゆる「文字っ子」という?どういった層なんですか。
正木 いろんな文字好きの方がいます、私のような読者もプロも。以前写植のオペレーターをしていた方や書体デザイナーの方まで読みましたよとメールくださったり。

-- やはりいた、と。
正木 ええ。そういういろんな声がすごくうれしくて、最初は一週間に一度、一書体のペースで更新してました。

-- すごい勢い。
正木 あと、ちょうどそのころ「紙の本がなくなる」っていう議論がさかんにあって、あるデジタルな著名人が「紙の本は『味がある』っていうこと以外メリットない」みたいな発言をしていたんですね。DTPより未来の話だけど、「よし、じゃあ私は『味がある』ってことだけでどれだけ語れるかやってやろうじゃないか」と、それでさらにやる気に火がついて。

-- 書体ごとに「実例」をあげてますよね、何冊ぶんも。あれって大変じゃないですか。手間も時間も。
正木 新たに探すと大変だったと思います。でも、ある書体について書こうと決めたら、以前読んだ記憶のなかから「あの本とあの本」って思い出して、手元にないものは書店や図書館で入手して、っていうふうにやっていたので。

-- 心に残ってる言葉や文章は文字の形こみで、視覚としておぼえているってことですか。
正木 そうです。書体の名前を覚えているわけじゃなくて、その文字で読んだ本や言葉を覚えてるの。たぶん映像記憶みたいなものじゃないかなと思います。

-- それは才能だ。自慢になりますねえ(笑)。
正木 そんなことが役に立つとは思ってもみませんでした(笑)。かなり最近まで、というか自分だけじゃない、みんなそうだと信じてたんです。

-- うーん。いや、変わってますよねえ。
正木 一般の読者は、書体の名前を知る機会なんてないし、私自身もずっとそうでした。本書の「卵の文字」という章の中に「ほんとうは、(書体の)名前を知る必要なんかなかった。このまるくて温かい文字を通して、『ふしぎなたまご』をたくさんみてきた。」と書いたんですが、それって自分にとっては昔からすごく大事にしてきた感覚なんですね。だからこの本のレイアウトを決めましょうっていうときに、「書体名はまったく重要じゃない、『チューインガム』とか『卵』の方が上位概念なんです」とお願いしました。

-- 編集部では最初、逆に考えてました。
正木 書体の本なのに本来はありえないと思うんですが、「じゃあ、そうしましょう」って、そういう思いを汲み取ってくださったのがうれしかった。私がそうだったように、書体の名前を知らないひとに読んでもらえたらいいなと思いますね。

-- 書籍版はちょっと構成変えましたが、サイトでは「石井細明朝」という本文用の書体からお話がはじまっています。いわゆるデザイン関連書の書体やフォントの話ってまずそこからフォーカスしていくってないように思うのですが。もっと派手なとこから、というか。
正木 それは私が一文字一文字の形やデザインではなくて、「読み心地」で書体を見分けているからだと思います。言葉を伝える道具としての機能が大切で、書体によっていちばん差が出るのは本文だと。

-- 制作側からいうと、あまり意識されたくない部分ではあるんですけど。本文書体がどうとか見破られたくない。
正木 ええ、そうかもしれません。ただ、これはあなたのための本だよっていうメッセージが書体にこめられていて、ページ全体、本全体から、その声が届いてくることもある。そういう、恋愛みたいな幻想が本を読むよろこびでもあると思うんですよね。片想いかもしれないけど(笑)。


■なくなってはじまったこと

正木香子


-- ネットを発信の場にしたのはなぜですか。アナログ対デジタルみたいな図式でいうと、デジタルの最たるものな気がしますけど。
正木 最初は、どこかの出版社に企画を持ち込もうと思ったんです。

-- やってみたんですか?
正木 いえ。主旨をわかってもらう自信がなくて。

-- 説明しづらい本というか。
正木 そう、それで次にリトルプレス的なものを考えました。流行っていたし。でも、違うな、と。

-- なにが違ったんですか?
正木 ひとつには、いまわたしが個人でリトルプレスをつくるんであれば、DTPソフトとデジタルフォントをつかったものにならざるを得ないですよね、現実的に。写植で組んでもらって、とか、自費出版は敷居が高すぎますし。

-- そうか、DTPによって失われたものがあるんじゃないかって本をDTPでつくるって、矛盾しますもんね。
正木 あとひとつは、あこがれというか、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、選んでもらいたかったんです、書体を。

-- 選んでもらいたい。誰に?
正木 それは編集者さんかもしれないし、デザイナーさんかもしれませんが、とにかく、わたしがずっと大好きだった「言葉+文字=本」っていうかたちは、文章を書くひとがいて、制作するひとが書体を選んでレイアウトして組版のひとが組んで、という一連の作業の結果だと思うんです。そのシステムに対するあこがれがずっとあって、だからこの本に関しては、自分が文章を書いて、自分のパソコン環境でつかえるフォントの中から選んで、ひとりで組版してっていうのは嫌だなって。

-- インターネットならそこはあいまいにしておけますからね。OSやブラウザ次第で見え方が変わったり。
正木 はい、そこはもう、逃げたというか(笑)。だから書籍化が決まったときはまず、本文書体はどうなるんだろうってワクワクしました。

-- 今回の書籍化では、DTPはDTPでも文字はちょっと工夫を。一部は写研書体で、本文の明朝体はデジタルフォントですが、普通じゃ手に入らないものです。しかも写研書体を組んだ印刷会社では、写植は新規の書籍としては最後になるだろうと。
正木 そのお話をうかがったときには、間に合ってうれしいというより、ようやくここまで来たのに、また端境期に立ち会うのかという寂しさの方が強かったですね。

-- 「文字の食卓」で語られている一読者の読書歴、「読〈書体〉歴」というべきかもしれませんが、というのは写植文字がデジタルフォントに置き換わっていく過程を読者の立場から見てきたものでもありますね。

正木 はい。十代のころから写植の文字がなくなっていくことは感じていました。じつは、一時期制作側にまわりかけたこともあったんです。
-- 出版の?写植を使って?

正木 ええ。大学を卒業してから出版社に勤めていたことがあって。入社する直前に写植からDTPに完全移行していたので、結局「写植指定」は一度もできなかったんですが。

-- いよいよあこがれの世界へ、というときに。タイミング悪い。
正木 そう。「出版社に入ったら好きな書体を使い放題だろう」というのが唯一の志望動機だったから、バックナンバーをこっそり眺めて、「なんでこの書体使えないのかなあ」とひとりで悩んでいました(笑)。その後、編集とはまったく関係ない仕事に転職して、好きな本を読んだり文章を書いたりする時間ができて満足していたんですけど、やっぱり「本の文字」に未練があって。プロにはなれなくても、デザイナーさんみたいにMacをつかえたら、あこがれに近づけるんじゃないかと思って、DTPのパソコンスクールに通い始めたんです。

-- なるほど。
正木 ところが今度はその学校のパソコンに入ってるフォントが少なかった。だから講師の先生のところに昔の雑誌を持って行って、バッと石井明朝か何かを指さして、デザインを学ぶにしても、まずわたしはこの書体を使いたいんだと(笑)。そしたら先生の顔つきが変わって、「それはパソコンでは使えない。写植ってものがあってね...」と熱く教えてくださって。

-- とうとう出会いました。
正木 そのときに、昔から見聞きしていた断片的な記憶、いろんな点と点がつながったんですね。書体が目の前で消えていくのも、雑誌の書体をもとにもどすなんてことが簡単じゃなかったのも、本をつくるシステムが変わったからだったんだと気づいたんです。それが四、五年くらい前。そこから自分でも調べるようになって、今まで知らなかったことを吸収していきました。

-- 遠まわりをして、ようやく知識を得た。でも一方で、その間にも写植はなくなっていくわけですよね。つまり「失う」「ない」ということから文字への愛着が深まって、書きたいものが生まれていったということでしょうか。
正木 そうですね。世の中とは関係なく、個人的な状況として、もし、DTPを学んでたときでも、あらゆるフォントが使い放題の「ある」っていうことだったら、そこで思考が止まってたかもしれない。

-- 写植以外に気になっているテーマはありますか。デジタルフォントですけど、文字への関心って、パソコンやDTPの普及のおかげか、以前より高まっている気がします。デザインにしても、写植文字をトレースしたような雰囲気のものが多かったのに、最近は、例えば古い活字を復刻したり、大胆にアレンジしたりといろんなチャレンジがあって面白くなってますよね。
正木 わたしも単純に写植だからいい、デジタルだから嫌だというわけではないんです。実際、後期の電算写植はデジタル化されていたそうですし、DTPになってから生まれた中にも好きな書体はたくさんあります。今後はそういうテーマについても書いてみたいとは思ってます。

-- また一筋縄じゃいかない話になりそうな。
正木 ただ、「文字の食卓」に登場するさまざまな書体と、その文字からできあがった世界は、私にとって、かけがえがないものです。作り手にも、読み手にも、文字と本を愛するひとたちに届いてほしいと思っています。




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