対談 橋本倫史+宇田智子
ライターの橋本倫史さんは、2019年6月に『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社)を刊行したあと、WEB本の雑誌社で『東京の古本屋』と題した連載を始めました。連載は書籍化され、『東京の古本屋』として出版される運びとなりました。書籍の刊行を記念して、『市場界隈』で話を聞かせていただいた宇田智子さんとの対談を収録いたしました。神奈川県生まれの宇田さんが、那覇の市場で「市場の古本屋ウララ」をオープンされて、この11月でちょうど10年を迎えます。「市場の古本屋ウララ」の10周年も兼ねて収録された二人のトークをお届けします。
橋本 今日、那覇に向かう飛行機の中で、宇田さんの『那覇の市場で古本屋 ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』(ボーダーインク)を読み返していたんです。宇田さんがお店を始めたのは2011年11月11日だったということは、10年前のこの時期は開店に向けて、てんやわんやになっていた時期ですか?
宇田 そうですね。昼間はまわりのお店に迷惑なので、夜8時とかに友達に集まってもらって、深夜2時ぐらいに解散してみたいなことを毎日やってました。看板を描いてもらったり、ペンキを塗り替えてもらったり――私は全然そういうことができないので、人に任せてただ見ているような状態で。だから、『東京の古本屋』で「コクテイル書房」さんが、改装工事を"監督"に任せてるっていうのも、なんかわかる気がしました。私はあんまり「こうしたい」っていうのもなかったので、プロに考えてもらったほうがいいだろう、と。
橋本 じゃあ、10年前は慌ただしく開店準備をしてたというより、見てるだけって時間も長かったんですね。
宇田 自分は何もできないんだって、痛感していた気がします。免許も取ったばかりで、ひとりで運転することも怖くてできなかったから、たとえば「メイクマン」(沖縄のホームセンター)に備品を買いに行くにも誰かに乗せて行ってもらわないといけなかったですし、古書組合の市会に行くにも誰かに連れて行ってもらわないといけなくて。やりたいことがあってもひとりではできなくて、誰かを頼るしかないのがもどかしかったですし、「こんなに何もできないのに、なんで店をやることにしたんだろう」と毎日思ってました。力不足なのに、身に余ることをしてしまっている、って。今もそうなんですけど、市場って場所だからなんとか成立しているだけであって、自分の力っていうのがないですね。
橋本 さっき名前の挙がった「コクテイル書房」さんは、最初のうちは「俺が店だ」ぐらいに思っていたけれど、お店を続けられているうちに「店は店主のものじゃないんだ」と気づいたんだという話をされていたんですよね。そうやって、店を続けるうちに感覚が変わるのはなんとなくわかるんですけど、宇田さんの場合は最初から「店は自分だけでどうにかなるものじゃない」と思っていたんですね。
宇田 始める前からそう思ってました。そもそも自分はゼロから始めたわけじゃなくて、「とくふく堂」という古本屋があって、そのお店を引き継いで始めたので、最初から誰かの力があったわけですよ。こういう店がやりたいって意志があったわけでもなく、とにかくこの場所にいることにしようと決めただけだったんです。だから、「商品は古本じゃなくてもいいんじゃないか」ってことも考えたんですよね。この通りにはいっぱいお店があって、場所としてはいいはずだから、手ぬぐいや箸を置けば売れるんじゃないか、って。まあでも、扱うものはあとからでも変えられるから、とりあえず古本を売ろうと思ったんです。
まだわからないから、この場所にいたい
橋本 「市場の古本屋ウララ」の店内には、イラストレーターの武藤良子さんの色紙が飾られてますよね。宇田さんと武藤さんはジュンク堂書店池袋本店で一緒に働いていた時期もあるということですけど、色紙の日付を見ると開店の一ヶ月前ですね。
宇田 10年前の10月8日に東京に行ったとき、一箱古本市をやっていて、「古書ほうろう」の前で武藤良子さんが色紙を書いて売っていたんですよね。そこにふらっと行って、武藤さんに再会して。「今度古本屋をやるから、なんか書いてください」とお願いして。その時点ではまだ店の名前が決まってなかったから、「本屋繁昌」と書いてもらったんです。一ヶ月前になっても、店の名前すら決まっていなかったんだなって、最近それを見て思いました。それぐらいぼんやりした感じで始まったんです。
橋本 宇田さんが沖縄に移り住んだきっかけは、ジュンク堂書店の那覇店がオープンしたことですよね。そこから自分のお店を始めるまでの成り行きについて、『那覇の市場で古本屋』を読み返すと、そろそろ別の店舗に異動があるかもしれないと考えたときに、「せっかく意を決して来たのに、好きかどうかも断言できないまま出ていくなんて」と思ったことがきっかけのひとつとして書かれてますよね。ここが面白いなと思うのは、「沖縄に2年住んで、沖縄のことが好きになったら、自分で店をやりたいと思った」という話ではないというところで。人が何か人生を左右する決断をするときって、必ずしもロジカルに説明がつくことばかりじゃないという気がしていて、そこが知りたくてぼくはいろんな人に取材している部分もあるんです。100人のうち99人は通り過ぎてしまうのに、ひとりだけがそこで立ち止まって、「私はここにいることにします」って決断する。自分には起きなかったことが、誰かの中では起きているってことが気になって、こうやって人に話を聞いている気がするんですよね。
宇田 自分で前に読み返したときに、なんでも「わからない」って書いていて、何もわからなかったんだなと思ったんです。「沖縄にきて、本屋をやる」ってことに対して、自分なりにストーリーを考えてみたんですけど、それはあとから考えただけで、なんであのときそうしたのかっていうのはやっぱりわからなくて。まあ、それは一生わからないと思うんですけど。
橋本 「好きかどうかも断言できないまま出ていくなんて」と思っていたのが2011年だとして、それから10年経って、宇田さんの中で感覚が変わったところはありますか?
宇田 たとえば、今何かの理由で出ていかなきゃいけないかもしれないとなったら、同じことを思う気がします。まだわからないから、もう少しいたい。それは「好きだとわかったから、ここにいたい」ってことではない気がします。もちろん、好きになったところはいっぱいあるし、「沖縄が好きです」とも言えるんですけど、「だからずっといます」ってことではない気がするというか。まだわからないし、まだ面白いと思っているから、「もう少しいさせてください」って言うんじゃないか、って。まだ気が済んでないんです。橋本さんは、取材していて「もう気が済んだ」と思うことってあるんですか?
橋本 気が済んだとは少し違いますけど、原稿にすることができないとすれば、自分はその場所に居続けることができないって気持ちはあるんです。自分の中で、「原稿にする」ってところにしか出口が作れないんですよ。たとえば古本屋に対しても、こうして一度本になってしまうと、わかりやすい例だと『続・東京の古本屋』というくくりで取材するってこともありえるかもしれないんですけど、ぼくは古本屋を専門的に取材している書き手ではないので、その枠組では取材を続けることができなくて。いちど本にしてしまったことで、最初のフレームはいっぱいになってしまったという感覚があって、もちろんまだまだ取材したいお店はあるんですけど、そこで話を伺うためにはまた違った枠組みを作り出さないことには取材できないなって感覚があるんです。
宇田 前に「水納島再訪」(『群像』での短期集中連載)の話をしたとき、橋本さんは「あの原稿は小説としても読めるんじゃないか」と言ってましたよね。
橋本 しましたね。もちろん「水納島再訪」はノンフィクションですけど、特に「これはノンフィクションです」と銘打った連載ではなかったので、小説として受け取られる可能性もあるんじゃないか、と。ノンフィクションかフィクションかという分け方をするなら、「水納島再訪」はノンフィクションですけど、小説というのはいろんな散文が含まれる表現でもあるから、そういう捉えられ方をするってこともあるんじゃないかと思ってたんですよね。
宇田 その話をしたときはあんまりピンとこなかったんですけど、『東京の古本屋』を通して読んだら、たしかにそうだなと思ったんです。『東京の古本屋』は、『ドライブイン探訪』や『市場界隈』とは全然違う本だな、って。あの2冊は聞き役に徹して、橋本さんはあんまり出てこなくて、そのお店の人がしゃべっていることがすべてじゃないですか。『東京の古本屋』は日記風だってこともあると思うんですけど、お店までの行き帰りのことも書かれていたり、店主と一体化しているかのような場面があるかと思えば、急に離れたりするところがあって、だんだん橋本さんの存在が消えていくんですよ。
橋本 存在が消えていく?
宇田 一番それを感じたのは、お昼ごはんを食べる場面で。最初の「古書 往来座」のときは、武藤さんが「お弁当を2個買ってきてくれたので、瀬戸さんと食べる」って、普通の書き方なんです。でも、「丸三文庫」のときは、「3人でお昼ごはんを食べることにする」と言ってお店に入るのに、「先輩は角煮定食を、藤原さんは唐揚げ定食を注文する」とだけ書かれていて、自分は何を食べたか書かれていない。それで、藤原さんと先輩が「年を取ると、ごはんが食えなくなりますね」「ですよねえ。今もちょっとどきどきしてます」って話している場面があって、そのあとに「途中で休んでしまうと食べきれないような気がして、一気に平らげる」と書かれているんですけど、この「一気に平らげる」っていうのは先輩ですよね? どうして先輩の心情を「途中で休んでしまうと食べきれないような気がして」というふうに内面から書けるのか。
橋本 そういうことになりますね。おっしゃる通り、そこはなかば一体化してるところですね。
宇田 誰かわかんないですよね、これ。そういうのがいっぱいあるんですよ。「岡島書店」の回でも、皆でごはんを食べに行ったとき、他の人は「俺はワンタンメンにしよう」とか言ってるけど、橋本さんがごはんを食べているかどうかわからないし、そのあと喫茶店に行ったときも、皆はコーヒーに砂糖を溶かしたりしてるけど、橋本さんはそもそも一緒にテーブルを囲んでいるかどうかもよくわからなくて、「どこにいるんだろう?」と気になってきたんですよね。「コクテイル書房」のときは「作業がひと段落したところで、『ユータカラヤ』まで買い出しに出かける」とあって、ここで買い出しに出かけるのは店主の狩野さんですよね。でも、続けて「棚の並びを眺めていると、昨日にも増して歳末感がある」と書かれていて、ここで「歳末感がある」と感じているのは橋本さんですよね。そのあと、狩野さんがエレベーターの防犯カメラに幽霊が写っていたって動画をYouTubeで見てる場面が出てきますけど、この幽霊って橋本さんのことなんじゃないか、と。エレベーターに乗ってたりしても、橋本さんがカウントされているのかされていないのか段々わからなくなってくる。そこがただのドキュメンタリーじゃないというか、不思議だったんです。
橋本 そこは文章のリズムとして、ぬるっと移行させたほうがするする読んでもらえると思ったんですよね。だから今――もちろんそんなことしたことないですけど――万引きをして店を出ようとしたら、「まだレジを通してない商品がありますよね」って声をかけられたような感じがしてます。見つかった、っていう。他の人が書いた文章ならともかく、自分の文章の場合、「書き手がその風景を前に何を思ったか」みたいなことを別立てで書くと、やかましいなと思っちゃうんですよね。ぼくが書いているのはドキュメントだから、書き手がどう思ったかみたいなことを全面に押し出すよりも、ただ感じていることを――あの、森の中で道しるべを置いていく童話って何でしたっけ?
宇田 『ヘンゼルとグレーテル』ですか?
橋本 そうだ、『ヘンゼルとグレーテル』。わかりやすい道しるべを設置したり、書き手が道案内をしたりするんじゃなくて、パンのかけらをそっと置いていくぐらいささやかに、自分の感じたことを置いておきたいって感じがあるんです。さっきの「丸三文庫」のときのことを厳密に説明すると、藤原さんや先輩と違って、僕が頼んだのはそんなに盛りがいいメニューではなかったんですよ。だから、ふたりに比べると、食べ切るのが大変だって感じはなくて。ただ、自分も昔に比べると食べられる量が減ってきてるなとは感じているし、ふたりの会話を聞いているうちに、いつかはこの量でも食べきれなくなってしまう日がくるんだろうなって、ぼんやり考えていて。そうやってぼんやり考えているときって、相手の言葉に意識の中で同化している部分もあるんです。それをひとつひとつ説明して書いてしまうと文章のグルーヴが下がってしまうし、話が逸れ過ぎてしまう。どうすればあの時間のことを行数かけずに書けるかって考えると、さっき宇田さんがおっしゃったように、店主と同化したかと思えば離れているって書き方になったんだと思います。
宇田 読んでいると、橋本さんはどこにいたんだろうって、すごい気になるんです。私の店だと、狭いからそんなにいる場所がないと思うんですけど、他の店だったら棚の前にいたり店主の横にいたり、移動してたのかな、と。
橋本 宇田さんのお店でも、取材しづらいとは思わない気がします。
宇田 3日間、いられますか?
橋本 宇田さんが迷惑でなければ。取材のときは、ほとんどの時間はお客さんのふりをして過ごしてるんです。いかにも「取材してます」みたいな感じが出てると、お店にもお客さんにも邪魔になってしまうから、他にお客さんがいるときは自分もお客さんのように振る舞って、お客さんが途切れたところで気になっていたことを質問して、お客さんが入ってきたらまた帳場から離れて――だから、結構変な動きはしてたと思います。
移り変わる今を書く
宇田 これまでの本だと、橋本さんはあんまり自分が思ったことを書かれなかったと思うんですけど、今回はいつもより書いてますよね。特に「古書みすみ」さんのときだと、POPの文章に「胸を打たれる」とか、ツイートを読んで「胸が一杯になる」とか、橋本さんにしては強い書き方だなと思ったんです。
橋本 なんでしょうね。それがないと終われないと思ったんでしょうね。そういう記述が多過ぎると邪魔だなと思うんですけど、この本の「東京」という部分に対しても、「古本屋」に対しても、この文章の書き手はどういう位置にいるのかってことをどこかに書いておかないと、無責任だと思ったのかもしれないです。あと、『ドライブイン探訪』のあとがきには「心がけたのは、表現しないということ」と書いていて、そのことに言及してくれる方もたまにいるんです。2019年のときはそう考えていたし、今もそれに近い感覚はあるんですけど、「表現しないのは無理でしょう?」とも思うんです。過剰に表現しなかったとしても、ある瞬間に目が留まったのは、それはあなたの目だからでしょう、と。そのあなたは誰なのかってことも、書いておかないと駄目なんじゃないかって、どういうわけか変わったんでしょうね。書き手が前に出過ぎると、自分の書くドキュメントの枠からはみ出てしまうけれど、どこかに書いておかないと、と。
宇田 『東京の古本屋』をウェブで読んでいたときは、今までとそんなに違うと思わなかったんですけど、本になると全然違う感じがしたんですよね。あと、今回は「今」のことが書かれていると思ったんです。ドライブインや市場にはある程度共通する時代があって、店主が語るのは個人の人生でもあるし、時代も見えてくる感じだったじゃないですか。でも、『東京の古本屋』は、それぞれの人生も書かれてますけど、今のことがメインになっている気がして。お店のことを書くときに、そこに3日間いるっていうのはいい手段なのかなと思いました。
橋本 何度も行ったことがあるお店でも、ずっと居座ることで「ああ、こういう時間があるのか」と気づく部分があって面白かったです。
宇田 ただ「話を聞かせてください」ってことだと過去の話が多くなるし、ストーリーみたいになってしまうと思うんです。私も自分が取材されるとき、いつも同じ話をしゃべっているのが嫌なんです。どうしてここでお店をやっているのか、前は何をしていたのか、今までにも話したり書いたりしてきたようなことばっかり毎回話していて。かといって、じゃあ何を話せばいいかって考えても、何も思い浮かばなくて。やっぱり、お店は毎日の積み重ねじゃないですか。それはずっといることでしか見えないもので、いることでしかわからないことってあるんじゃないかなと思いました。
橋本 『東京の古本屋』は、『市場界隈』を出したあとに考えたことがすごく入ってるんだろうなと思うんですよね、きっと。『市場界隈』は、那覇市第一牧志公設市場が建て替え工事を迎えることになって、工事が始まると風景が変わっていくだろうから、その前に今の姿を記録しようと取材を始めた本だったんです。あのときはタイムリミットが迫りつつある今ってことも意識してましたけど、今にいたる何十年の積み重ねを記録しておきたいって気持ちが強かった。それで『市場界隈』を出版して、その数ヶ月後に琉球新報で「まちぐゎーひと巡り」という連載を始めるんですけど、この連載を始めたのは今を記録しておきたいって気持ちが明確にあったんですね。公設市場が一時閉場を迎えたあと、解体工事も始まらないうちに人の流れが変わって、「これは、建て替え工事の3年のあいだに、思った以上に風景が変わるんじゃないか?」と。そうだとすると、『市場界隈』を出して終わりにするのは無責任な気がして、同時代を生きている誰かに向けても、何十年後に生きている誰かに対しても、市場の今を書いておかなければと思ったんです。そうやって今って時間のことを考えながら毎月那覇にきて取材を重ねてきたことは、『東京の古本屋』にも影響があった気がします。こんなに変化が起きるとは、当然ながら思っていなかったですけど。
宇田 まちぐゎーもそうだし、古本屋もそうですね。
橋本 『那覇の市場で古本屋』を読むと、お店を始めるにあたり、店名をどうしようかって悩んだときのことを書かれてますね。その中で、市場には名前を店名にしているお店が多いって話を書かれていて、その例として挙がっているのが「ミヤギミート」と「大城文子鰹節店」と「糸洲雨合羽店」と「浦崎漬物店」で。この4軒のうち、2軒が閉店して、大城さんのお店も仮設に移転中で。本に掲載されている地図を見ても、かなり移り変わりがありますね。
宇田 そうなんです。こないだ、「くじらブックス」の企画でボーダーインクの新城和博さんと対談する動画を収録したんですけど(https://peatix.com/event/3047198)、そのときにもこの本に出てくるお店がかなり閉まっているって話になって。だから、当たり前にまわりにあるものを書いたはずが、すでに歴史的な風景になっていて、出てくる人たちが今はほとんどいないんですよ。何十年も続いていたはずなのに、この10年で立て続けに閉まっていて。市場は戦後まもない時期に始まったものだから、皆さんの年齢が関係していることでもあるんですけど、もっと写真を撮ったり書いたりしておけばよかったなと思います。最初は自分のことで精一杯だったのと、これまでずっとあったものはこれからもずっとあるだろうって思っていたから、そういうところに目が向いてなかったんですよね。
まだこの場所で見ていたい
橋本 この10年、どんどん街の風景が移り変わる中で、宇田さんの感覚が変わったところもありますか?
宇田 それまでは市場というのは当たり前にあるものだと思っていたから、自分の店のことだけ考えてたんですね。でも、市場の建て替えが決まって、2018年の初めに市場に面するアーケードの撤去の話があって、当たり前だった環境が変わっていくときに、自分も何かしないといけないなと思うようになったんです。「市場の古本屋」って名前も、ここは市場だから市場ってつけようぐらいの気持ちだったんですけど、段々名前が重みを増してきて。移転することもできたはずなんですけど、やっぱり市場にいようと思ったのは、さっきの「沖縄にいよう」と思ったのと同じで、市場のことをまだ全然知らないし、ここで見ていたらきっと面白いことがまだまだ起こるから、もう少し見ていたいって気持ちが出てきたんですよね。晶文社から『市場のことば、本の声』を出したのは2018年で、タイトルに「市場」って入れてますけど、このときもまだぼんやりしてたと思います。
橋本 宇田さんは『市場のことば、本の声』の中で、「マチグヮー楽会」のことを書かれてますよね。まちぐゎーをテーマにシンポジウムやワークショップ、それに模合などをおこなうイベントですけど、このイベントに参加するようになったのも、「もっと市場のことを知らなければ」という使命感のような感覚というより、近くでやっているから参加してみようという感覚だったんですか?
宇田 最初のうちは、市場っていうより、それぞれのお店の商売に興味があったんです。私は本屋のことしか知らないけれど、他のお店に業者さんが台車で商品を持ってきているのを見て、「ああ、こういうふうに仕入れているんだな」と思ったり。「マチグヮー楽会」も、大学の先生はこんなことを考えてるのかってことを、皆と一緒に楽しく聞いていたんです。でも、いろんな変化が出てくると、市場という場所自体に興味が出てきて。アーケードの成り立ちとかも、最初は全然興味がなかったんです。私のところは市場中央通りの第一街区と第二街区の境目にあって、両方に会費を払ってるんですね。その通り会費も、徴収にくるから払ってたんですけど、それがアーケードの管理のお金だってこともよくわかってなくて。なんで第一街区と第二街区が分かれてるかって言うと、アーケードが別々に作られたから管理も別ってことなんですけど、それすら知らなかったし、アーケードは当たり前にあるものだと思っていたんです。それが撤去されることになって、初めて「そもそもなんでここにあるんだろう?」と調べて、通り会の人たちが自分たちでお金を出しあってアーケードを作ったことを知って、市場という場所にも興味を持つようになって。それまでは安定したものの上に自分がいると思っていたけど、それを自分も作っているんだって意識がやっと出てきたし、今頑張らないと大変なことになるかもしれない、って。
橋本 そういう意味で言うと、やっぱりぼくはただ見ている人なんです。もちろん、言葉にすることで何か関わることもできるんじゃないかとは思っていますけど、どこか俯瞰で見ているところがあって。宇田さんの中では、この10年、街が変わっていくことに対する感覚が変わった部分もありますか?
宇田 那覇ってきっと、ずっと変わっている街だと思うんです。私が来る前から、いろんなものがなくなったり、できたり――「昔は山形屋があって」とか、「国際ショッピングセンターに遊びに行った」とか、そういう思い出を聞くのは楽しいなと思っていたんです。それは単に、観客として楽しんでいたというか。でも、この10年で「ああ、これもなくなっちゃうのか」ということをいくつも経験していくと、段々当事者になってきて。それまでは単に面白がって聞いてたことを、いろんな感情を伴って体験できるようになってきたんです。自分も店をやっている立場としては、なくなってしまうことを嘆くのも違うなと思うし、そこで働いている人にもいろんな気持ちがあるはずだから、「市場は昔のままがよかった」とは簡単に言いたくないと思うんですけど、寂しいと思ってしまうのも確かで。なんでも嘆くのは違うけど、新しければいいってわけでもないから、そのあいだでうろうろしてます。
座っている視点と、歩いている視点
橋本 『那覇の市場で古本屋』を読み返して印象深かったのは、「机とヒンプン」という文章で。開店3日前に折り畳める机と椅子を買ってきて、それを広げて座ってみたら、「ぱっと景色が変わった」「すばらしく気分がよかった」「目の高さが定まり」「落ち着く居場所が見つかった気がした」と書かれていて、そんな感覚になるんだなと思ったんです。宇田さんが前に働かれていた新刊書店であれば、店内にいる人たちは皆、本を探しにやってきた人たちですよね。でも、ここは壁も扉もなくて、ほとんど路上で、通行人が行き交う場所で、そこに椅子を置いてみたときに「落ち着く居場所」だと思えたんだな、と。
宇田 「とくふく堂」のふたりは机と椅子を置いていなくて、店主のひろみさんはキャンプとかで使う椅子に座って、うずくまって本を読んでいたんです。私は店をやると決めたあと、その隣に座って見てたんですけど、目線が低過ぎて落ち着かなくて。でも、テーブルと椅子を買ってきたら目線が上がって、しっくりくる高さになったんですよね。キャンプの椅子ってぺこぺこしてるし、安定しなくて縮こまってたのが、背筋も伸びたし、テーブルがあると自分の居場所だって思えたんです。ライブハウスで「ここにしよう」って、居場所をキープした感じですかね。たしかに、路上だし、変なんですよ。低い椅子だとそわそわしてたのが、ここに座ったらとりあえず身体が安定したって気持ちですかね。
橋本 宇田さんに限らず、店をやっている人は皆そうだと思うんですけど、宇田さんはずっとここに座って、ここから街を見ているわけですよね。それはすごいことだなと思うんです。ぼくはひとつの場所に居続けることができなくて、『東京の古本屋』のときでも変な演技をしながら観察してるし、こうして市場にいるときも旅行客のような顔をして、ひたすら歩きながら街を眺めていて。
宇田 それは単に、タイプの違いじゃないですか? 私は演技ができないんですよ。店があって、「ここに座ってていい」ってならないと、そこに居られない。だから旅行とかもあんまり得意じゃなくて、全然知らない場所に行ったとき、歩き続けることはできるけど、どこで店に入って休めばいいのかとか、よくわからないんです。一日をどう過ごしたらいいか、考えるのが苦手で。でも、店があると、そこに毎日行けばいいだけなんですよね。そこに座っていたら、いろんな人が勝手にきてくれて――すごい理想的な状態なんです。自分から話しかけられないから、橋本さんのやっていることは絶対に自分にはできないと思うし、自分にできるやりかたはこれしかないんですよ。ライターの人や学者の人はいろんなフィールドを持っているけど、私には那覇の市場しかなくて。でも、それで満足なんです。気が済んだと思ったら、どこか別の場所に行くかもしれないですけど、今はまだよくわかってないし、面白いし、まだ離れられないと思うからいるだけで。この場所に座っていると、いろんなものを見ることができるから面白いんです。橋本さんはどこにでも出かけていって、演技ができるわけですよね?
橋本 そのはずなんですけど、でも、やっぱり「どこにでも」じゃないんですよね。ぼくはいろんな街に出かけてますけど、そのすべてを取材しているわけではなくて。じゃあ、どうして市場のことを取材しているのかと言うと――なんでしょうね。誰に頼まれたわけでもないんですよ。「音の台所」の茂木淳子さんから、「那覇の公設市場も建て替えになって、風景が変わってしまうから、ドライブインのように取材してほしい」って、ふいに言われて、その言葉を受け取ったからには何かしないとって気持ちになって、本の雑誌社に企画を持ち込んで、変な演技をしながら街を歩き始めたんです。ぼくは沖縄に縁もゆかりもないですし、沖縄に惚れ込んで、「思い入れのある市場の風景を記録したい」ってことでは全然なくて。偶然受け取った言葉があって、その言葉が自分が過ごしてきた時間にかちっとはまって、ああ、それは必然だという気持ちになって、取材するしかないと思ったんです。そこには偶然としか言いようがない何かがあって、どうして他の偶然ではなくその偶然に突き動かされたのかは、宇田さんがここで古本屋になったことがわからないとおっしゃるのと同じように、ぼくもわからないんですよね。
宇田 いや、聞いてたらまったく同じだなと思いました。人の何気ない言葉に引っ張られて、なんとなくそうなっただけで、こうしたいって気持ちが強くあったわけではなくて。たまたま私はここにずっといて、橋本さんは通っているというだけで、そんなに大きな違いはないのかもしれないですね。
住んでいる人の視点と、旅行者の視点
橋本 そこで改めて感じるのは、宇田さんがひとつの場所から見ているんだってことで。ぼくはひとつの場所にじっと座っていることが落ち着かないですけど、宇田さんはきっと、座っていられる場所がないと落ち着かないわけですよね。逆に言うと、今の場所が落ち着けると思ったから、そこから街を見ているんだろうな、と。
宇田 たしかに、そうですね。席が決まってないと、どこにいていいかわからないから、立見のライブとかもあんまり好きじゃないんですよ。これが自分の椅子だみたいなのがないと、落ち着かなくて。先月、喫茶店の「いるか」に行ったとき、「久しぶりに座って街を眺めた」って橋本さんが言っていたじゃないですか。私はいつも座っているけど、橋本さんはいつも歩き続けてたんだなって、そのとき思ったんです。ここに座っていると、「なんで見てるんだ」と咎められることもないし、堂々と見る場所を確保できた感じがして。休業しているあいだ、通販の仕事があって、机と椅子を出さずに店内で作業をすることもあったんです。本を梱包して、店の前に立って郵便屋さんの集荷を待っていると、「ここにいるのは変なんじゃないか?」と思ってしまって、自分の店なのにそわそわしたんですよ。でも、とりあえず椅子と机を出すと、落ち着く。単に座っているのが好きなのかもしれないですけど、この店がなくなったら、こんなふうに堂々と見られなくなる気がします。
橋本 喫茶店の「いるか」に行ったときに印象的だったのは、「久しぶりにこっち側にきてみたら、風景が変わっていて驚いた」って話をされてましたよね。「いるか」と「ウララ」は、市場を挟んで反対側にありますけど、2分ぐらいで辿り着ける距離で、その距離でも久しぶりなんだと意外に思ったんです。でも、お店をやっていると、お店と自宅との往復が基本になるから、その動線の外側に出ることってあんまりないよなって気づかされて。ぼくは生活抜きに街を歩いているけど、ここに住んでいると生活の視点で街に触れるんだよな、と。
宇田 前は店の前の道を通り抜けて「コーヒースタンド」に行ったりして、毎日のように向こうの道を通っていたんです。でも、今は店の前の道が市場の工事で通れなくなって、迂回しないといけなくなったし、「コーヒースタンド」も移転したので、向こうの通りを歩く用事がないんです。そうすると、あえて歩こうとしないと、向こうの道を歩くことはなくて。そう考えると、用もないのに歩いているわけだから、街歩きって特殊なことですよね。
橋本 宇田さんはこの街で店をしながら、文章を書いている。あるいは、平民金子さんは神戸に暮らしながら、その土地のことを書いている。その身の置き方にはかなわないなといつも思うんですよね。ただ、その一方で、縁もゆかりもなければ、そこに住んでもいない人間が何かを見るってことは、必要なことだと思っているところがあるんです。特にコロナになってからは、石を投げられてもきますからって気持ちがあって。
宇田 すごいですね。そんなに固い決意が。
橋本 去年の春に、最初の緊急事態宣言が出たとき、しばらく那覇に取材にくるのを控えていたんです。それで、5月25日に緊急事態宣言が取り下げられるときに、「県をまたぐ移動6月19日から解禁へ」とメディアが報じて、すごく違和感があったんですね。もちろん人の移動がリスクを高めるところはあるので、厳重に警戒しなければならないにしても、禁止されていたことではなかったのに、「解禁」という言葉が使われるんだ、と。去年の4月と5月だとか、今年の夏だとか、状況を鑑みて移動を控えていた時期はありますけど、自分とは縁もゆかりもない土地に移動することができるっていうことを、ぼくは希望だと思っているんです。同じ場所にとどまることもできるし、移動することもできる、と。反対に言うと、ひとつの場所のことを、その場所にいる人だけが見ている状況っていうのは、時と場合によっては地獄になりうると思うんです。こういう状況になると、外からやってきた人間は石を投げられかねないところもありますけど、毎回PCR検査を受けたり、飛行機に乗るときは高性能なマスクをつけた上でゴーグルをつけたり、なるべくリスクを避けた上で移動して、とにかく見に行こうと思っていたんです。
宇田 ここにいる人だけがこの場所を見ているのは地獄だっていうのは、私もあの時期思っていたんです。それまでは橋本さんだったり、新雅史さんがアーケード協議会のために毎月きてくれたり――そうやって外からきてくれる人と話す時間が私には大事だったんです。誰もこなくなると、どうしていいかわからなくなる。今までは一緒に見てもらって、「こうですよね」とかって話すことで確認してたから、ひとりで見ててもよくわからなくなっちゃったんです。ちょうど市場も解体工事が進んで、風景がどんどん変わっているのに、私ひとりでこれを見ているのは重圧だと思っていたんですよね。那覇は特に、外からやってくる人が常にいる場所だったから、それがなくなるといろんなことが不安になって。だから、あの4月と5月は、市場を歩いてたんです。店は閉めてましたけど、皆がこれないから私が見ておかないといけないって気持ちになって、何か記録をしていたわけじゃないんですけど、なんとなく歩き続けてました。
誰かが発した言葉を書く
橋本 『市場のことば、本の声』を読み返してハッとしたのは、「辻占」という文章で。そこで宇田さんは、「路上にウララの看板を掲げて人の声を聞きつづけている」と書かれていますよね。ここが路上に限りなく近いってこともあると思うんですけど、宇田さんの中ではお店をやっていることと人の声を聞くことがすごく繋がっていることなんだなと思ったんです。ここで見ていることと同じように、ここで聞いていることも大事なんだな、と。
宇田 いつも「見てる」ってことばかり話してしまうんですけど、実はそんなに見てるわけじゃないんですよね。基本的には下を向いていて、たまに顔をあげるぐらいだから、ずっと見てるわけじゃなくて。でも、音はずっと聞こえてるし、何をしてるときでも人の声は耳に入ってくる。そう考えると、見ている時間より、聞いている時間のほうが長いかもしれないですね。自分に向かって話された声じゃなくても、誰かが話している声が気になるんです。普通の古本屋だともっと奥に座って、外のことは見えないし聞こえない場所にいると思うんですけど、私は聞こえる場所を選んだので。
橋本 隣にあった洋服屋さんがお店をやめられて、その場所を引き継いで「市場の古本屋ウララ」が少し広くなったときに、その奥の場所に帳場を移動することだって可能性としてはありえたわけですよね。
宇田 最初はそのつもりで、引っ込みたかったんですよ。市場の工事の音もうるさいし、奥にいようと思って、それを楽しみにしてたんです。でも、奥に入ると、店の反対側が全然見えなくなるんですよね。ほんとは室内に入って、クーラーがあたる場所に移動したかったんですけど、それができなかったのは残念です。『東京の古本屋』で、店主たちが本だけでなく人についても話してますよね。「自分は人間嫌いだと気づいた」とか、「お客さんが何を買うのか、目の前で見たい」とか。私もやっぱり、店を開けられないあいだ、そういうことを考えていたんです。売るだけなら通販でもいいのに、なんで店をやるんだろうって。私も、人間が好きとかってことじゃないはずなんですけど、やっぱり面白いなと思うんですよね。皆と仲良く話せるわけじゃないけど、誰かが話しているのを聞くのは面白いし、人の声が聞こえるってことが面白くてここにいるんだなと思いました。
橋本 それで言うと――今日、宇田さんが『ドライブイン探訪』や『市場界隈』と、『東京の古本屋』は違う本だと思ったと言ってくれたことは、自分ではそんなに意識してなかったんですけど、なるほどなと納得した部分があるんです。前の本では「橋本さんは聞き役だった」と言ってくださいましたけど、たしかに『ドライブイン探訪』や『市場界隈』は聞き役だったし、「まちぐゎーひと巡り」も聞き役として取材をしているんですね。あの連載は2000文字ぐらいのボリュームだから、30分取材しただけでも書けてしまう。そのお店がどういう成り立ちで、その方がどんなプロフィールで、どういう商売をしていて、どんなことを思っているのか。30分話を伺っただけでも、2000文字はゆうに埋まるんですよね。もちろん2000文字のために2時間話を聞かせてもらって、話を厳選して記事を書くこともできるんですけど、「時間を尽くして語ってもらったのに、記事になるのはこんな一部分だけか」ということになってしまうのも申し訳なくて、それはそれで失礼なのではということも考えてしまう。ただ、2000文字というボリュームだから、たくさんの方に読んでもらいやすいっていうこともあるんですけど、宇田さんがここに座っている時間の中から文章を書いているように、その場所に滞在している時間も含めて原稿にできないかって考えたことが、『東京の古本屋』の3日間滞在して書くってことに繋がった気もしているんです。宇田さんはここに座っている時間に聞こえてきた誰かの言葉を文章に書かれたりしますけど、それを自分の中に留めておくだけじゃなくて、文字にしておきたいと思うのは、何が一番大きいんですかね?
宇田 私はあんまり「100年後の誰かに伝えたい」みたいなことは考えないんですけど、ここにいると普通なら考えられないようなことが起きたり、思いがけない言葉が聞こえてきたりするんです。そういう驚きみたいなものを、自分だけのものにしておくのはもったいないって気持ちがあるのかもしれないです。誰かは面白がってくれるんじゃないかって。私は、自分から出てこない言葉が聞きたいんですよ。ただ、それを聞いて書くのはすごく難しくて、原稿にするとき自分の言葉に翻訳してしまう。そのときの言い回しを記憶できなくて、書こうとすると普通の言葉になってしまって。そうだ、聞きたかったんですけど、『東京の古本屋』のときは録音してたんですか?
橋本 しっかり話を聞くときは録音してましたけど、たとえば移動しながら話をしてるときとか、お客さんのふりをして帳場から離れているときとかはそれが難しいので、ひたすらケータイでメモを取ってました。ぼくが書いているものはドキュメントなので、本人がぽろっと言ったいいまわしを記録するのが一番いいと思っているので、なるべくそのままをメモしておこう、と。もちろん、メモが追いつかなくて、あとから翻訳してしまっている部分もあるんですけど、それはご本人のしゃべり口調を思い返しながら書いてますね。
宇田 たとえば「岡島書店」のところは、私たちの世代とは違う言葉遣いだったから、それをどうやって記録したんだろうって気になっていたんです。お客さんと話していて、すごく面白いと思ったはずなのに、お客さんが帰った瞬間にその言葉を忘れてしまう。自分が何をそんなに面白いと思ったのかも、よくわからなくなってしまう。自分にはない言葉を誰かが言ってくれた面白さを書きたいけど、記憶できないから書けないんです。
橋本 それで言うと、宇田さんが『フリースタイル』に書かれていた「おうちってどういう意味ですか?」ってコラムは、すごく宇田さんらしいなと思ったんです。
宇田 へえ。どのへんがですか?
橋本 沖縄特有の「おうち」という言葉遣いと、コロナ禍で政治家も「おうち」って言葉を使うようになった状況があって、あのコラムを書かれているわけですけど、ぼくもいろんなところでその言葉を耳にしているはずなのに、聞き流してるんですよね。でも、宇田さんはあの文章の中でも「ちょっとした物言いに沖縄の人の機微が現れているような気がして、つい『ほかにはどんなふうに使う?』と食い下がってしまう」と書かれていましたけど、そうやって言葉に対して食い下がる感じが、宇田さんらしいなと。
宇田 しつこいですね。色々調べたり。「おうち」っていうのは、普通はかわいい言葉じゃないですか。でも、こっちだとパンクスの青年が「おうちに帰る」って口にするし、おじいちゃんやおばあちゃんも「おうち」って言葉を使っていて。調べてみたら、「おうち」っていうのはうちなーぐちで家屋をあらわす普通の言葉だから、かわいい言葉だと思ったのは私の勘違いだったんですけど、その言葉を聞く機会が去年は増えて。首相も知事も「おうち」と言っているけど、その「おうち」は何なんだって、つい考えてしまって。外から来た人間だから、そういうのにいちいち引っかかるのかもしれないですけど、やっぱり言葉は大事だと思うし、どんな言葉を選んでしゃべるかにその人があらわれると思うから、追及してしまう。だからお客さんが言った言葉も、なるべく翻訳せずにそのまま書きたいと思うんですけど、難しいですね。
(11月4日、那覇にて)