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10月12日(月)読書の秋、競馬の秋

 2月末からずっと続いていた無観客競馬も、先週から観客を入れ始めた。まだ指定客の一部に限っているので、競馬場に入れるのは少数の客に過ぎないが、7カ月半も無観客だったのだから、ようやく動き始めたとの思いが強い。

 折よく、秋華賞、菊花賞、天皇賞秋、とG1が続く。愉しみなシーズンだ。そういうときに、魅力的な本が出た。石川肇『競馬にみる日本文化』(法藏館)。いやあ、素晴らしいぞこれは。

 まず、菊池寛から吉屋信子まで、多くの作家と競馬の関連が描かれる。たとえば、昭和30年のダービーの1番人気ケゴン(皐月賞馬)の馬主は吉川英治で(NHK杯を制したイチモンジも出走していたが、この馬主は吉屋信子)、雨が降りしきる最悪のコンディションで行われたその年のダービーを勝ったのは伏兵の逃げ馬、「雨の鬼」オートキツ。そのときの様子を、舟橋聖一は小説新潮の昭和30年8月号に「ケゴン買う夏子」として書いている。夏子ものの第46作である。この「ケゴン買う夏子」は、舟橋聖一の夏子を通したダービー観戦記、反省記だ、と石川肇は書いている。

 石川肇は、平成27年に、週刊ギャロップのエッセイ大賞を受賞した人である。そのときのエッセイが「舟橋聖一の愛馬命名と女たち」で、それが縁で同誌で「馬の文化手帖」の連載が始まり、そのシーズン1が本書の第1部。シーズン2が第2部だが、この第2部については後述する。

 日本初の競馬ミステリーが、大庭武年「競馬会前夜」(新青年の昭和5年12月号)であること。遠藤周作『競馬場の女』は福島競馬場小説であること。井上靖にも「鮎と競馬」を始めとして競馬小説が幾つもあること。中里恒子「競馬場へ行く道」は根岸競馬場小説であること──文学者と競馬の関係が次々に飛び出してくるから、滅法面白い。

 つまり第一部だけでも面白いのだ。帯に「競馬文壇史」とあるけれど、小説と競馬を好きな人には絶対のおすすめなのである。ところが本書には第二部「競馬場の地図絵巻」がおまけのように付いていて、これが白眉。吉田初三郎の鳥瞰図が、カラーで次々に出てくるのだ。吉田初三郎ファンにはこれだけで嬉しい。日本各地はもちろんのこと、樺太、台湾まで、全12回(ちなみに第1部は全23回だ)。

 吉田初三郎は「大正の広重」と言われた人で、数多くの鳥瞰図を残しているが、高知県を描いているのに富士山が見えたり、ハワイが見えたりするように(そんなバカな!)、極端なデフォルメが特徴。見ているだけで飽きないが、これが私らのような競馬ファンに興味深いのは、各地の競馬場が描かれているからだ。青森の八戸競馬場から、京都の長岡競馬場まで、いまはなき競馬場がその鳥瞰図に残されているのである。

 吉田初三郎が競馬に興味があったわけではないと思う。全国の鳥瞰図を描くと、競馬場が入ってしまうのである。そのくらい、昔は各地に競馬場があった。グリーンチャンネルで放映していた「競馬ワンダラー」は、その「今はなき競馬場の跡地をめぐる」ドキュメントだったが、各地にあった競馬場の息吹を伝えて大変興味深かった。そうか、「競馬ワンダラー」のファンにも本書はおすすめだ。

 第二部「競馬場の地図絵巻」では、吉田初三郎の鳥瞰図を紹介しながら、いまはなき各地の競馬場と文学者(そしてその作品)との関係を描いていて、興味は尽きないのである。

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