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12月2日(水)『追憶の東京』と「時の鐘」

  • 追憶の東京:異国の時を旅する
  • 『追憶の東京:異国の時を旅する』
    アンナ シャーマン,吉井 智津
    早川書房
    2,420円(税込)
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 アンナ・シャーマン『追憶の東京』(吉井智津訳/早川書房)は、2000年代始めの10年あまりを東京で過ごした英国在住作家の日本滞在記だ。

 この本にはさまざまな本が紹介されていて、長谷川時雨『旧聞 日本橋』、川端康成『浅草紅団』など、読みたくなる本が多い。中でも冒頭に引用されている吉村弘『大江戸時の鐘 音歩記』(春秋社 2002年)の印象が強い。おお、これを読みたいと思ったが、いろいろ調べても入手できず、諦めかけていたころに知人が送ってくれた。

『追憶の東京』は素晴らしい書だが、この『大江戸 時の鐘 音歩記』も素晴らしい。寛永3年(1750)、幕府公認の「時の鐘」が江戸には10箇所あったという。日本橋本石町、浅草寺、上野山内、本所横川町、芝切通、市ヶ谷亀岡八幡、目白下新長谷寺(目白不動)、四谷天龍寺、赤坂田町、下大崎寿昌寺の10箇所だ。のちに、中目黒祐天寺と巣鴨子育て稲荷が加わって12箇所。無認可で撞いていたところも数カ所ある。

 この中で現存している「鐘」は6か所。さらに、今日でも撞かれているものには、上野(明け六つ、正午、暮れ六つ)、浅草寺(明け六つ)、中目黒祐天寺と3つ。興味深いのは、これらの「時の鐘」の音が、どのように周囲に伝わっていったのか、その音が届く範囲を図に描いていることだ。その口絵を見ると、江戸の町がほぼ音で覆われていることがわかる。江戸のどこに住んでいても、どこかの「時の鐘」が聞こえるのである。
 
 花の雲 鐘は上野か浅草か

 という芭蕉の句を取り上げた著者は、芭蕉が住んでいた、大川と小名木川が交わる深川芭蕉庵は、上野から3・8キロ、浅草から3・4キロ。本当に聞こえたどうかは微妙であると書いている。鐘の大きさによっても音の届く範囲は異なるから何とも言えないが、日本橋本石町の「時の鐘」から2キロ、本所横川町の「時の鐘」から1・8キロ。こちらのほうが近いことはたしかだ。近隣の寺々の梵鐘も鳴っていただろうから、深川では多くの寺からの鐘の音につつまれて人々は暮らしていた、ということになる。

 江戸の初期、寺院の鐘とは別に、純粋に時間だけを知らせる目的で始められたことは画期的なことであった、と吉村弘は書いている。江戸に住むひとびとは、二時間おきに鳴る鐘を聞いて起き、仕事に出掛け、そして寝た。「時の鐘」は彼らの生活に欠かすことが出来なかった。

 幕府の公認以外の鐘もあったと先に書いたが、鐘の音が届く範囲ぎりぎりのところでは、近隣に住む人々のために無認可で鳴らす鐘もあったのではないかと著者は書いている。そのひとつの例として、深川富岡八幡の例をあげている。
 この書から引く。

「時の鐘」が明け六つの時を告げると,朝靄がたちこめる町内には朝食の支度がはじまるのを見計らって,シジミ売り、とうふ売りなど独特の口調の声が聞こえてくる。物売りの声は日暮れまで様々な職種が登場して、1日中どこからともなくストリートの調べを奏でている。物売りの声によって時間がわかったりする。

 鐘の音の向こうに、物売りの声、そして人々の暮らしがつくる音が聞こえてきそうだ。

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