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10月18日(月)資料を探索する人々

  • 謎の女 幽蘭: 古本屋「芳雅堂」の探索帳より (単行本)
  • 『謎の女 幽蘭: 古本屋「芳雅堂」の探索帳より (単行本)』
    出久根 達郎
    筑摩書房
    1,870円(税込)
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 それにしても大変だなと思う。平山亜佐子『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)の話である。「京都日出新聞」に幽蘭が連載していた「懺悔録」を発見して、第一章と第二章を大幅に改稿した、とあとがきにあるのだ。

 その「京都日出新聞」はデータベース化されておらず、現状マイクロフィルムしかない。別の資料を探しているときに「懺悔録」を偶然発見したのだという。

 山口直孝が横溝正史の埋もれた小説「雪割草」を発見したことを思いだす。題名から類推して新潟の新聞に連載したものかもしれないと「新潟毎日新聞」「新潟日日新聞」に連載されたものを発見して話題になったが、すごいのはそれから出張のたびに地元の図書館に足を運ぶようになったということだ。

 そうやって、次に発見したのが、小栗虫太郎「亜細亜の曙」。横溝正史「雪割草」と同様に戦時下に地方新聞に連載したもので、誰も知らなかった新発見である。読むとびっくり。あの「黒死館殺人事件」の作者とは思えぬほど読みやすい通俗小説なのだ。

 それはともかく、山口直孝が熊本県立図書館をそのとき訪れたのは、小栗虫太郎の未発見小説を探していたわけではない。横溝正史「雪割草」以来、そうやって何かあるかもしれないと思っていただけだという。熊本県立図書館では「九州新聞」をデータベース化しているので能率的に紙面を見ることが出来た、というのだが、それでも小栗虫太郎やその他の作家の未発見小説がなければそれは無駄足になるわけで、研究家というのはすごいなあと感心する。

 話を『問題の女』に戻せば、著者の資料探索のすごさに圧倒される。この書には本文の下に小さく、補足というか、余談というか、本文を補う文章がずらずらと並んでいる。たとえば、278ページには昭和の初めごろに、幽蘭が綱島温泉地に現れて男千人斬りの秘願をかけたとする資料(田尻隼人「浅酌庵随筆 幽蘭女子の転落人生」『業界公論』第十九巻第四号、業界公論社、昭和四十七年)があると書いたあと、平山亜佐子は次のように続けている。

「但し、最初はこの挿話を戦後と勘違いしていたり、その他の部分でも正確性に疑問が残るため、参考程度に付記しておく」

 こういうふうに、調べたけれど、結果的には使えなかった資料は他にも山ほどあるに違いない。その見えない労苦に圧倒されるのである。

 本荘幽蘭がどういう人物なのかをここまでまったく書いてこなかったが、出久根達郎は『謎の女 幽蘭 古本屋「芳雅堂」の探索帳より』(筑摩書房2016年)の冒頭で次のように書いている。

「何をした女性か。何もしない。強いて言えば、たくさんの職業に就いて、そのつど新聞の三面記事を賑わした女性である。事件を起こしたわけではない。人を傷つけたとか、金を奪ったとか、そんな犯罪に手を染めたわけでなく、巻き込まれたのでもない。いささか常識にはずれた言動で、世間に波風を立てた。それを新聞が面白おかしく書き、人々が愉快がった。一種の有名人になった」

 明治大正昭和と世間を騒がせた女性なのである。その詳細は、平山亜佐子の本書を読まれたい。『問題の女』は、本荘幽蘭に関する本の決定版だろう。たとえば、江刺昭子・安藤礼二『この女を見よ 本荘幽蘭と隠された近代日本』(ぷねうま舎2015年)には、「佳人之奇遇」のヒロインの名前が幽蘭で、その作者東海散士(柴四朗)の夫人もまた「幽蘭」と呼ばれていたと書かれているが(「幽蘭とアジア主義」安藤礼二)、「京都日出新聞」で「懺悔録」を発見した平山亜佐子は幽蘭の結婚相手を吉和國雄と明確に書いている。

 資料を離れれば、出久根達郎の前記書が面白い。店の客である松本克平(『私の古本大学』(青英社昭和五十六年)に「本荘幽蘭著『本荘幽蘭懺悔叢書』」という一文がある)に幽蘭の存在を教えられた出久根達郎が資料を調べ始める「古本小説」だが、自由奔放で面白いのだ。特高は写真を探しているという話から、同業者トンちゃんの話、幽蘭が明治四十年の東京府勧業博覧会場で呼び止めた「当時売出しの小説家は誰か、などなど、話がどんどん飛んでいくのである。もちろんすべて本荘幽蘭でつながってはいるのだが、まさに自由奔放融通無碍。小説家出久根達郎の魅力が全開だ。

 そういえば今年の春、文藝春秋昭和25年10月号に載った菅原通済「芥川賞の殺人」を調べていたとき、2020年2月22日付けの日経新聞に載った出久根達郎のコラム「書物の身の上」にたどりついたことがある。調べるといっても、私の場合はたいしたことはないのだが、最後はいつも出久根達郎に教えられる。プロはすごいな、と感嘆するのである。

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