11月7日(金)睡魔

溜まっていたメールの返信を終えた夕方5時過ぎ、突如睡魔が襲ってくる。目黒さんならこのままソファーでダウンだろうが、ソファーは神保町に越してくる際に捨ててしまったし、机に突っ伏して眠るわけにもいかない。

こんなに眠くなるのも珍しい。いやほとんどない。しかし眠くなるのも当然かもしれない。

今朝は4時に起きて真っ暗な中、8キロほどランニングをした。その後はスッキリ隊の出動で、約1000冊の本を運び古書会館に下ろし、会社に戻れば「本の雑誌」12月号が出来上がってきたので、集中して封入作業(ツメツメ)に勤しんだ。

まるで30キロ以上走ったときの、体内のエネルギーが空っぽになったときのような疲労感に襲われる。慌てていただきものの亀澤堂のどら焼きを食す。

終業時間の6時を待って帰宅。上野まで歩くはずが、その体力が残っておらず御茶ノ水駅から電車に乗る。

週末は実家介護でのんびり過ごせるだろう。そして来週は深呼吸しながら仕事ができるはず。

朝、ランニングしながら聴いていた内沼晋太郎氏のPodcast「本の惑星」でもここ数年秋から冬にかけて本のイベントが続きあっという間に師走がやってくるというような話をされていたが、まさしく私の師走も9月から始まっている印象だ。

そして「ブックイベントは第三の本屋である」という指摘はさすがだと思った。そう、ネット通販の対極にブックイベントがあり、それが求められているのだ。

11月6日(木)出川イングリッシュ

朝、秋葉原から歩いて会社に向かっていたところ、淡路町のあたりで女性から声をかけられる。

一瞬なにかの勧誘かと身構えた自分を恥じたい。顔を見ればアジア系の外国人で、スマホを差し出し、画面を指差している。

そこには「Shinochanomizu ST」の文字が記されていた。

あっ、道がわからないのか。

目の前の階段を降りて淡路町の駅から新御茶ノ水駅にも歩いていけるけれど、地下通路もわかりにくかろう。そういえば先日パブリシャーズウィークリーの外国人記者から取材を受けた際、私はまるで出川哲郎の英会話のように「ドゥー ユー ノウ リュウムラカミ?」と質問をして通じたのだった。

OKの意味を込めて大きく頷き、「カモン!」と声をかけ、私は彼女と並んで歩き出した。彼女も安心した表情を浮かべついてくる。

しかしである。よくよく考えてみると、新御茶ノ水駅という行き先は間違っていないが、そこから電車に乗りたいのかは聞いていなかった。

そこで出川イングリッシュを発してみる。

「ドゥー ユー ウォント ライド トレイン?」

しかし彼女は?の表情を浮かべる。どうやら私の「トレイン」という発音が伝わらないらしい。

そこで言い方を変えて「チヨダライン?」と尋ね直すと、彼女は大きく頷き、「なんとかかんとか荒川」という返事がきた。

荒川なら千代田線で間違いない。

地下への入り口で別れてもよかったのだけど、私も急いでいるわけではないので千代田線の改札まで案内した。

改札で別れる時、また私は出川イングリッシュを発してみた。

「ディス イズ チヨダライン。ホームナンバー トゥー」

すると彼女は、満面の笑みを浮かべてこう答えた。

「アリガトウゴザイマシタ」

もしかして日本語ができる人だったのだろうか。

11月5日(水)往復書簡

京都の鴨葱書店の大森さんとひょんなことから書簡のやりとりが始まった。テーマは「これからの本屋、これからの出版」といった内容で、お互い毎度原稿用紙にして10枚から20枚程度書き送っている。

二回りも年下(24歳差)の大森さんとは経験でいえば私の方が圧倒的なのだが、知識や教養ではまったく歯が立たず、さらに現状認識の聡明さには毎度教わることが多い。ほとんど私が疑問に感じていることを問いかけ、大森さんがそれに答えるといった問答になっている。

書簡だから私と大森さんしか読んでおらず、何も気にせず本屋さんや出版のことを語れるのがとても楽しい。私はこういう話をずっとしたかったのだとワクワクしながら手紙を書き、読んでいる。

今日は第五便めの書簡をしたためた。

11月4日(火)運

9時半に京都の定宿となっているアルモントホテルをチェックアウトし、あちこちの書店さんを覗いて歩く。

歩きながら自分の幸運について考える。

36年前、高校を卒業し、八重洲ブックセンターでアルバイトを始められる確率は90パーセントくらいだっただろうか。

その後、一旦父親が営む町工場を継ごうと考え、機械設計の専門学校に入学した。しかし結局、出版社で働くことの夢諦めきれず、歯科の専門出版社クインテッセンス出版に就職することとなる。門外漢の専門学校卒の人間が、大卒でもなかなか入れぬ出版社に採用される可能性は5パーセントあるかどうかか。

さらにそのクインテッセンス出版で3年半働いた後、新聞でたった4行の求人広告で見つけ本の雑誌社に入れる確率は0.1パーセントくらいではなかろうか。あるいはもっと低い確率かもしれない。

私は本当に努力というものをほとんどしてきていないので、クインテッセンス出版に入れたのも本の雑誌社で働けているのも運でしかない。

その運のおかげで、今、京都を歩いている。京都を歩いているとなぜかこういうこと、人生について考える。だから私は京都が好きなのだ。

11月3日(月・祝)おひがしさんブックパーク

6時すぎにホテル尾花を出、近鉄奈良駅に向かう。昨日あれだけの人でごった返していた街中はまだゴミ収集車以外の姿もなく、街自体が寝静まっていた。

京都駅に着いたのは7時半。昼食抜きになる可能性が高いため八条口前のなか卯に入り、銀鮭牛小鉢朝食(具だくさんとん汁に変更)を食す。店内はインバウンドのお客さんでいっぱいで、商品の出来上がりを告げるアナウンスも多言語で伝えられている。

8時過ぎに会場となる東本願寺に着くと、すでに140Bの青木さんが車で荷物を運び終えてくれていた。今日は「おひがしさんブックパーク」という本のイベントに140Bと英明企画編集と本の雑誌社の3社で合同でブースを出すのだった。

10時開店を目指し本を並べていると強い風とともに北の空から真っ黒い雲がやってきて、テントを建て終えた頃、ポツリポツリと雨が降ってきた。そこから断続的に雨が降り続ける。

ウインドブレイカーのフードを被り、息子のことを思う。きっと今頃息子も寒空の下、サッカーグラウンドにいるだろう。サッカーの仕事についた息子は、毎日、外にいる。雷以外の日は、雨が降ろうがボールを蹴っている。びしょ濡れになって帰ってくることもしばしばだ。

息子は何を思って毎日働いているのだろうか──。

いつも息子は玄関を開けると大きな声で「ただいま」というのだった。
そして晩御飯のメニューを確かめるようにして食卓を覗くと、「よし」っと小声でつぶやき風呂場に向かう。

そこには微塵の後悔もなく、その日一日太陽や月の下で身体を動かし働いた人間だけが手にできる疲労と満足感がみなぎっている。

雨の中、本を売る。ここ数日、私も空の下で必死に働いている。
息子の背中が東本願寺に向こうに見えた。

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