4月13日(月)送っておいてください

本屋大賞の発表会場から送った荷物が届いたので、その片付けと、各所に送る作業に勤しむ。

「送っておいてください」の後には、

宛先を打つ
宛先の表記を整える
封筒を数える
ラベルを出す
ラベルを貼る
案内文を書く
案内文をプリントする
案内文を折る
送付するものを数える
ひとつずつ間違えないように封筒に入れる
封をする
切手を貼る
郵便局にもっていく

という手間がかかる。

髪を切る。DAZNを解約して、U-NEXTサッカーパックに入る。

4月12日(日)繁延あづさ『鶏まみれ』

  • 鶏まみれ
  • 『鶏まみれ』
    繁延 あづさ
    亜紀書房
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おそらくこの先どんなにたくさんの本を読んだとしても、これほどまでに強烈なノンフィクションは読めないだろう。

繁延あづさ『鶏まみれ』(亜紀書房)は、著者自身が鶏肉を加工する現場で働き、しかもそれは取材ではなく、のちに自身が養鶏場を営むために必要なことであった。

殺すこと、さばくこと、育てること、売ること、食べることすべてが当事者として記されるとてつもないルポルタージュだ。

しかも肉や命のことだけが書かれているわけではない。働くということ、家族というもの、すなわち社会のすべてが描かれている。

この本に出会えて良かった。これまで本を読んできて本当に良かったとつくづく感じた。

4月11日(土)お守り

朝、介護施設に母親を迎えにいき、週末実家介護。

最近、母親をお守りように感じている。いや母親自体がお守りというわけではなく、母親の世話をしていることをお守りのように思っているのだ、私の身の回りが比較的穏やかに過ごせているのは、こうして母親の世話をしているからと。

母親と母親の友達がお茶を飲みながら話しているのを聞いてると、よく「バチが当たる」という言葉が発せられる。「あの子はいつかバチがあたるよ」「あれはバチが当たったんだね」と。

バチとは罰である。「バチがあたるよ」ということは悪いことを天に懲らしめられることだ。

私は日々、人を傷つけたり、嘘をついたり、悪いことをしている。それでも私も家族も健康でおおむね楽しく過ごせているのは、きっと母親の面倒を見ているからだ、と最近感じている。

4月10日(金)規模

本屋大賞の疲労を引きずりつつ出社すると、その本屋大賞のために上京していた書店員さんたちが会社に遊びにやってくる。その数13名。本の雑誌社の収容人数を遥かに超える数だ。

聞けばこの後、小学館→ KADOKAWA→ 講談社→ 文藝春秋と訪問するらしい。

それは規模が違いすぎるだろう。

小学館 711名(自社ビル)
KADOKAWA    2343名(自社ビル)
講談社 948名(自社ビル)
文藝春秋 342名(自社ビル)

に比べて
本の雑誌社 5名(築55年の雑居ビル)
なのだ。

恥ずかしくうつむいて応対していると遊びにきてくださった書店員さんのひとりが、社内在庫を見て声を上げた。

「ああ、『マンションポエム東京論』って本の雑誌社刊行だったんですか! これ去年読んでめちゃくちゃ面白かったです」

そう、出版社は規模じゃないのだ。

4月9日(木)2026年本屋大賞

集合時間の10時に明治記念館に着くと、すでに実行委員の面々が荷物を運んでおり、すぐに朝礼が始まった。

その様子を眺めつつ、ひとりでできないことってあるんだなあと改めて思う。

本屋大賞を思いつくことはひとりでできるかもしれないが、こうして投票から集計、出版社との交渉、そして発表会を開催することは絶対にひとりではできない。

しかも気づけば23年。適材適所で各々がやるべきことをやっている。飾り付けをする者、司会をする者、受付をする者、それらを司る者、ひとりひとりの小さな力がより集まって本屋大賞といういつの間にか大きくなってしまったものを必死に運営しているのだった。

発表会を無事終え、打ち上げも盛り上がり、さらに二次会でとことん本について語り合う。家族も知らない私の仲間、私の大切な友達。

ひとりでできない。
お金をかけてでもできない。
それが本屋大賞。

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