12月7日(日)長谷川晶一『正しすぎた人』
長谷川晶一『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』(文藝春秋)読了。
ヤクルトスワローズが初優勝し、私は小学1年生だったかですっかり強いチームだと思い込んでファンになってしまった1978年のヤクルトを描いたノンフィクションだ。
しかしそれと同時に、93才となりもはや耳も遠く大きな声で話さなければ通じず、また毎回名前とインタビューの理由を問われ、それでもまったく関係ない話を延々とする広岡達朗の心のスイッチを探して、どうにか知りたいことを聞き出すスリリングな状況を伝えるノンフィクションでもある。
その様子は私が毎週末実家で介護している母親とのやりとりとほとんど変わらない。戦争のことを知りたくて何度当時のことを聞いても、母親は疎開先で目の前で白いおむすびを見せびらかしながら食べた従姉妹への恨みしか話さないように、広岡の記憶もかなりの偏りがある。
主題とは関係ないだろうけれど、人間は最後にいったい何を覚えているのか──ということを深く考えさせられてしまった。
それはともかく、あの当時からのヤクルトファンとして、水谷新太郎や杉浦亨や八重樫幸雄がどのように花開いていったのかがわかり、大変おもしろかった。もしかすると私がマイナーで地味なものが好きなのは、どこかで広岡の思想が植え付けられたからなのかもしれないと気付かされた。
広岡は「あんなヤツと一緒にしてもらったら困る」とまったく評価していないのだけれど、のちに同じヤクルトの監督になり黄金時代を築いた野村克也氏はこんな言葉を語っていた。
「金を残すは三流、仕事を残すは二流、人を残すは一流。」
若松、松岡、水谷、八重樫...とたくさんの人を残した広岡もやはり一流の人だろう。
その広岡は著者に何度もこう言ったという。
「人生はいくつになっても勉強だよ」
私の母親はことあるごとに私にこう言うのだった。
「人の嫌がる仕事をしなさい」








