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6月29日(火)

  • 小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常
  • 『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』
    辻山 良雄
    幻冬舎
    1,760円(税込)
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 生まれ落ちた時に人が平等であるなら、あるいはすべての人に同等の可能性があるなら、ぼくにもディエゴ・マラドーナになれる可能性があったのだろうか。

 マラドーナのようにサッカーが上手くなって、英雄として崇められる人生があったのだろうか。

 しかし実際にはぼくは、50歳になろうとしてサッカーを続けているけれど、マラドーナみたいにボールタッチもドリブルもシュートもできず、いまだリフティングも30回くらいするとボールを地面に落としてしまう。

 しかも英雄どころか相手チームから「10番口だけだから大丈夫」とマラドーナに憧れてつけた背番号を揶揄されてしまうほどだ。

 ぼくの人生はどこの時点でマラドーナになれない道を歩んでしまったのだろうか。どうしてマラドーナになれなかったのだろうか。

 同じようにぼくにはTitleの辻山良雄さんになれる人生があったのだろうか。辻山さんのように誰からも羨望の眼差しで見られる素敵な本屋さんを作り、軽やかにそれでいて深く、心に沁みる文章を書ける可能性があったのだろうか。

『小さな声、光る棚』(幻冬舎)を読んでる間、何度本を机に置いて目をつぶり、深い息をはいただろうか。その度に文章を咀嚼し飲み込むんで、考えてみる。そしてもう一度深い息をはいて、うつむく。

 ぼくにはできない。ぼくにはこんな風に感じることができない。ぼくにはこんな声が聞こえてこない。ぼくにはこんな文章を書けない。なにもかもうらやましくて、少しだけ暗い気持ちが覆ってきそうになる。

 居ても立っても居られず、ある人に本の感想を書いてメールを送ったらこんな返事が届いた。

「辻山さんは勇気を出して独立し、自分の手でみんなの理想を体現しています。しかも円満でスマートに。スマートさが一見眩しく見えるでしょうけど、円満は努力の賜物です。」

 ぼくに足りなかったのは、センスでも教養でも神戸生まれでもなく、そう、勇気と努力だったのだ。

 いつもそうだった。だれかに憧れて、結局だれにもなれず落ち込んで、そして自己嫌悪に陥って、途方にくれていた。

 マラドーナでもなく、辻山さんでもなく、他の誰でもなく、自分自身になれてよかった、と思える日が、ぼくには来るんだろうか。

 そこにたどり着くにはやっぱり勇気と努力が必要なんだ。辻山さんが小さな声で教えてくれた。

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