« 前のページ | 次のページ »

4月19日(火)

 晴れ後雨(夜)。

 御茶ノ水のソラシティで開催されている古本市を覗くが、蔵書整理ユニット「本の雑誌スッキリ隊」のスッキリグリーンこと岡島さんの姿は見つからず。残念無念。

 御茶ノ水の丸善さんでフェアのお話を聞いた後、中井の伊野尾書店さんに追加注文いただいた「本の雑誌」5月号を直納。

(7)

 もしタイムマシンが開発されたらぼくはあの日の会議の時間に戻って、音声レコーダーかビデオカメラを設置しておくことだろう。

 2003年6月5日に開催された本屋大賞実行委員会の記念すべき一回目の会議は、のちに中野さんが「書店員さんたちがほんとにモチベーション高くて、意見が建設的で、終わったあとふだんの社内会議もこういう人たちだったらもっと前に進むのになあ」とこぼしたほど白熱した議論が取り交わされ、また古幡さんが「長かった、あの会議」と苦笑いを浮かべるほど、長時間に渡る会議だった。

 仕事を終えた夜7時前、神田錦町にある博報堂第二別館と呼ばれる建物に、のちに本屋大賞実行委員会となるメンバーが三々五々集まった。入口にある守衛室で名前を記し、会議室のある三階へ階段で上がっていく。階段の手すりはまさしく歴史的建築物を思わせる堅牢なものだった。

 そこに集まったのは書店員さん5人、博報堂の中野さんと嶋さん、それに中野さんの上司や部下、BDI(現在ユーピー)の志藤さんに、志藤さんの上司の秋山さん、楽天ブックスの出向から日本出版販売に戻った古幡さん、そして浜本とぼく。

 まったくそれまで面識のなかった朝日新聞社の広告部の人たちもいた。中野さんが声をかけ、朝日新聞とも組んで何かできるのではと目論んでいたのだと思われる。どんな理由かわからないものの朝日新聞社の人が来たのは一回目の会議のときだけでその後やってくることはなかった。

 さて、ここから古幡さんが長かったと苦笑いを浮かべる会議を再現しようと思う。思うけれど残念ながら記録がない。記録がないので記憶で書くしかない。それが残念でならない。ぼくの人生であれほどエキサイティングした会議は他になく、中野さん同様すべての会議がこうして行われるのであれば、会議ほど楽しいものはこの世にないと思ったほどだ。

 僕の正面に5人の書店員さんが並んで座っていた。左から順にオリオン書房ノルテ店の白川浩介さん(31歳)、ブックファースト渋谷店の林香公子さん(29歳)、青山ブックセンター本店の高頭佐和子さん(31歳)、丸善御茶ノ水店の藤坂康司さん(44歳)、ときわ書房船橋本店の茶木則雄さん(46歳)だ。実行委員の呼びかけに即座に快諾してくれた人たちであり、みな毎日売り場に立つ書店員だった。

 第1回会議が行われた2003年というのは、それまで右肩上がりだった出版販売額が96年を頂点に減少し始め、6年が過ぎた頃だった。いっときの出版不況ではなく、このまま売上が下がり続けるのではと気付き出した頃でもあった。

 そんな中、気を吐いていたのが書店員による販促だった。その端緒となったのは、なんといっても書店員が書いた1枚の手書きPOPから大ベストセラーとなった津田沼のBOOKS昭和堂と『白い犬とワルツを』(テリー・ケイ/新潮文庫)の出来事だろう。

「本の雑誌」2001年9月号には「書店発、驚異のベスセラー」という記事が掲載されており、ちょっと長いがその時代の空気が伝わると思うので引用しようと思う。

「新潮文庫の『白い犬とワルツを』が全国各地でバカ売れしていることをご存知だろうか。新刊ではない。九八年三月に文庫化された、すでに発売から三年以上を経過した既刊本である。初版三万部。なんとこの本がここ二か月で十五万二千部!も増刷、累計二十万を突破したというのだ。いったい何が起きたのか。

 実は千葉県は津田沼の昭和堂という書店の木下さんという書店員がきっかけなのである。親本を読んで感動していた木下さんは、文庫化されてもあんまり動かない『白い犬』を見て、もっと売れるし売れるはずの本だと思い、この三月に、

〈妻をなくした老人の前にあらわれた白い犬。この犬の姿は老人にしか見えない。それが、他のひとたちにも見えるようになる場面は鳥肌ものです。何度読んでも肌が粟立ちます。〝感動の1冊〟プレゼントにもぴったりです!!〉

 という手書きポップを立て、文庫の棚前で平積みを開始。その途端、一日で五冊が売れるようになったかと思ったら、日が経つにつれてどんどん売れ行きが加速するものだから、店内の一等地でどかーんと十二面積みを展開。四月に百八十七冊売れて、すごいねえと言っていたのが、五月、六月にはなんと四百七十冊を売って、全書店でトップの販売数にしてしまったのだ。

 これを伝え聞いた新潮社も、おおっと驚いたのでしょう。さっそく木下さんの了承を得て、木下さんが作ったのと同じ文面のポップを手書きで作成、書店に配布して『白い犬』を強力プッシュ。その結果、全国の書店でどかどか売れているというのがことの真相なのである。

 つまり一書店の一書店員が全国規模のベストセラーを、それも三年前の文庫で、生み出してしまったのである。いや『白い犬とワルツを』は単行本が九五年に出ているから、邦訳以来、正確には六年目にして火がついたことになるのだ。いや、なんともすごい話ではないか。

「ベストセラー、話題作ではない本の中にも面白い本があるという棚作り、平積みをしている」と木下さんは言うが、まさかここまでいくとは想像していなかったんでしょう。「普通、売れる本というと、宣伝がすごいとか、あるいは映画化テレビ化といった外からの要因がありますけど、この本の場合、外の力を借りずに、純粋にうちの店の力だけで売れたというのが嬉しいですね」と喜びを隠さずに話すのである。書店発のベストセラーということで、新潮社営業部も浮かれ騒いでいるらしい。

 本が売れない売れないと嘆いてばかりが聞こえてくるが、嘆いてばかりでは始まらない。どこにベストセラーが眠ているかわからないのだ。全国の書店の皆さん、本を選ぶ目に自信を持って、どしどし仕掛けてみてはいかがか。たった一枚のポップと平積みにするだけで、次のベストセラーを生み出すのはアナタかもしれないのだ!」

『白い犬とワルツを』はその後二十万部どころか百万部を軽く超える大ベストセラーになっていったのだった。

「本の雑誌」の呼びかけに応じたわけではないが、当時の「本の雑誌」を紐解くと、毎月のように書店発の取り組みが紹介されている。

●本邦初!?の人間ポップを発見(青山ブックセンター六本木店間室道子さんが名札の代わりにポップを胸につける)=2002年4月号
●第二の「白い犬」が渋谷にいた!?(山下書店渋谷南口店による遠藤周作『わたしが・棄てた・女」の多面展開)=2002年4月号
●裏百冊の夏はただいま開催中(パルコブックセンター吉祥寺店によるオリジナル夏百フェアの紹介)=2002年9月号
●来年の夏は「裏百」で対決しよう!(ブックファースト京都店での「夏の文庫、裏百選。フェアの紹介」)=2002年10月号
●ハチクロ応援団「自腹'S」登場!(山下書店本店の永嶋恵理子さんを団長に書店横断で『ハチミツとクロバー』を販促)=2003年4月号
●書店員の時代(扶桑社ミステリーフェア冊子「全国名物書店人が贈る12の傑作」フェア及び文教堂書店の「書店発!ベストセラー創造プロジェクト」の紹介)=2003年5月号
●第三回のチャンピオン本は何だ!?(紀伊國屋書店新宿本店の「チャンピオン本」フェアの紹介)=2003年7月号
●カリスマ書店員?(読売新聞夕刊の駅売店ポスターに「カリスマ書店員」という言葉が使われる)=2003年7月号

 そして2002年5月号では「全日本書店員が選ぶ賞を作ろう!」と題して、『オリンピア』(あすなろ書房)という訳書についた「全米書店員が選ぶ2000年度売ることに最も喜びを感じた本賞受賞」と『スター★ガール』(理論社)の帯にある「全米書店員が選ぶ『2000年いちばん好きだった小説』」というコピーから、日本でも両賞を作ってくれと呼びかけてもいるのである。

 2003年とは、「本の雑誌」の記事だけでなく、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『天国の本屋』などたくさんのベストセラーが書店発で誕生していた時期だった。

 たとえぼくらが本屋大賞を作らなくても、誰かが書店員が選ぶ賞を作る気運が高まっていたのだ。

« 前のページ | 次のページ »