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4月18日(月)

  • コールセンターもしもし日記
  • 『コールセンターもしもし日記』
    吉川 徹
    フォレスト出版
    1,430円(税込)
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 曇りのち雨。吉川徹『コールセンターもしもし日記』を読みながら出社。

 これは

柏耕一『交通誘導員ヨレヨレ日記』
梅村達『派遣添乗員ヘトヘト日記』
川島徹『メーター検針員テゲテゲ日記』
南野苑生『マンション管理員オロオロ日記』
真山剛『非正規介護職員ヨボヨボ日記』
岸山真理子『ケアマネジャーはらはら日記』
内田正治『タクシードライバーぐるぐる日記』
笠原一郎『ディズニーキャストざわざわ日記』
宮崎伸治『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』

と連なる三五館シンシャの〈日記シリーズ〉の最新作で、ときにお世話になることもあるコールセンターというところの仕事の実情がわかるのと同時に、仕事に対しての不満と誇りが絶妙で、その裏にある人間ドラマも胸に迫ってくる。相変わらずの安定の面白さで一気に読んでしまった。

 午前中、5月より本の雑誌社に正式入社となる前田氏と企画の打ち合わせ。どうみても私よりずっと仕事ができる人なので好きに本を作っていいと思うのだけれど、会社というところは建前上、立場が上にいる人間が確認することになっているらしく、企画書を前に終始頷く。

 午後は営業に。オークスブックセンター南柏店さんでは、本屋大賞4位決定戦などという歴代の4位の作品がずらりと並ぶ楽しいフェアが、本屋大賞コーナーの隣で開催されていた。これまで2位決定戦、3位決定戦、そして天と地の違いの11位フェアなども開催されており、素晴らしい切り口にわくわくしてしまう。


本屋大賞ができるまで(6)


 実行委員会を立ち上げ、会議を開くにあたって最初にぶち当たった壁は、会議をする場所がないということだった。

「本の雑誌社さんじゃ無理ですよね?」

 思い浮かんだ書店員さんに誘いの電話やメールを入れ、実際に会って相談しながら実行委員会のメンバーが決まってきた頃、博報堂の中野さんから会議をする場所について相談を受けた。

「本の雑誌社ですか...」

 流れ的に本の雑誌社でするのが一番無難だろうし、ぼくも会社にいればいいだけなのでたいそう便利なことだとは感じた。

 しかし問題は、本の雑誌社にそれだけの人数の人が入れるスペースがなかったのである。

 実行委員というのは、複数の書店員さんに中野さんやシステムの志藤さんは外せず、それに連なる別の人たちもやって来る予定だった。どう少なく見積もっても15人...いや20人は集まるかもしれなかった。

 ところが本の雑誌社にある共有スペースはアルバイトが使うテーブルしかないのだった。それは120センチ×210センチで、本の雑誌社では「大机」と呼んでいたけれど、丸椅子を8つ並べたら目一杯で、ここにどんなに詰め込んだとしても10人は座れないだろう。いやそもそも椅子が8つしかないのだった。

 ということは椅子からあぶれた人たちは立って会議に参加することになってしまうのだが、そもそも狭い会社にはその立っている場所すらないのだった。

「三密」も「ソーシャルディスタンス」もまだ叫ばれていない時代だったが、それでもさすがにそんな場所で会議をするなんてとても考えられない。中野さんの問いかけにぼくは即座に「NO」と答えていた。

 ではどこで集まるか。博報堂は田町と夜集まるには若干不便なところにあり、古幡さんのように迷う人が出てくるかもしれない。また不特定多数の人が入るにはセキュリティ上問題もあっただろう。いちばん簡単なのは居酒屋...ということになるだろうが、酒場でやっていたのでは議論は大いに盛り上がるものの、どこまで行っても酒飲み話の延長線を永遠に歩き続けることになるだろう。そこは一線を引いて真面目な打ち合わせにしなければならないと、ぼくも中野さんも気づいていた。

 ならば貸会議室というのが無難だろう。実際に当時、それほどホームページが普及していないなかで、ぼくは「御茶ノ水 会議室」なんてワードを並べて検索したような記憶が残っている。ほんのちょっとだけ検索結果が画面に並んだけれど、そこには当然ながら料金というのがあるのだった。

 第二の壁がここに立ちはだかることになる。

 いったい誰がその料金を払うのか、ということだ。

 まだその頃、名もない本屋大賞実行委員会は、有志の、というかよくわからぬ声かけに応じて、飲み会に集まるのとたいして変わらない心持ちで集まるような集団だったと思う。ぼくも中野さんもそれは同じだった。飲み会よりも少しだけ真剣に本や本屋さんや出版業界のことを語り合える。そんなワクワクする機会が得られる集まりであり、だからこれは本の雑誌社の仕事ではないし、博報堂の仕事でもない。個人的に面白そうと感じてるからやろうとしているだけだった。

 そしてそもそもここからお金が生まれるなんて考えてもみなかった。あまりに考えなさすぎて、のちに叱られたり苦笑されたりもするのだが、とにかく誰ひとりとして仕事=ビジネスだとは考えていなかった。

 貸会議室の料金が数千円だとしても、本の雑誌社がお金を出す、博報堂がお金を出すというのも何か違うように感じていた。

 ただしそれを集まってくる書店員さんに負担してもらうというのもお門違いだと思った。なぜなら書店員さんたちも職務ではなく、交通費も自ら払い、しかも仕事の後に集まるいわゆる余暇というか無駄骨というか、その頃は何かに役立つとも考えていなかったから思いもしなかったけど、いわゆる「ボランティア」なのだった。

 ぼくか中野さんのどちらかが負担するとしたらきっとぼくより給料を多くもらっているはずの中野さんになるだろうなあと検索結果の画面を見ていたところ、改めて中野さんから電話がかかってきた。

「昔、博報堂が神保町にあった頃のビルがそのまんま空いてるんですよ。神保町だったらみなさん集まりやすいですよね。そこが無料で使えるかもしれないので確認してみます」

 それは神保町駅からほど近い神田錦町に建つ、博報堂第二別館と呼ばれる、後に建て替えの際には日本建築学会から「保存要望書」が出るような、アールデコ風な格調高い建物だった。

 2008年に博報堂が赤坂Bizタワーに移転するまで、ぼくたちは何度もこの博報堂第二別館に集まることなるのだ。

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