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4月26日(火)

 晴れ時々雨。9時半出社。

 内澤旬子さんの新作『カヨと私』のイラスト部分の色校が出てきたので、しばし眺める。二色刷りで印刷されたヤギたちが、美しく、そしてかわいい。内澤さんとデザイナーの松本さんのスケジュールを調整しつつ、チェックの日取りを決める。

 午後、高野ひろしさんのやっている「ペンギン堂雑貨店」へ初訪問。ベンギングッズのコレクターだと思っていたら、いやはやこんな立派なお店を構えていらしたとは。ペンギンの話はもちろん、本業であるガラス屋さんの話、そして代々住み暮らしている東京の話を伺う。

 夜、ご無沙汰していた書店員さんからメールが届く。内容は、早見和真の『八月の母』(KDOKAWA)がどれだけ面白かったかということで、実はその書店員さんから『イノセント・デイズ』を激推しされ、私は早見和真を読み始めたのだった。それが時間が経ってまたこうして新作の話で再会でき、こんなうれしいことはない。本の持つひとつの力だ。


★★★★★★★

「本屋大賞ができるまで」(11)

【藤坂康司(当時:丸善お茶の水店、現在:名古屋市志段味(しだみ)図書館館長)】

 1980年代後半広島のフタバ図書で働いていたころ、当時は珍しかった、会社の垣根を超えた書店員同士の飲み会をしてました。啓文社の児玉さんを誘ってわざわざ尾道から広島まで来てもらったこともありました。

 その後丸善に転職してからは福岡、京都、名古屋でその町の書店員さんたちの飲み会に参加してました。お茶の水の丸善に異動したときも、おなじように「面白い=すごい」書店員さんを古幡さんに紹介してもらおうとおもったわけです。

 その飲み会のあと、何日かたってからお店に杉江さんから電話があって、「書店員さんたちのつくる賞をつくろうと思うので、藤坂さんも参加しないか?」と誘ってもらいました。が、実は半年後に丸善を退職し書店員でなくなることが決まっていたので、そのことを杉江さんにだけお話して、半年間だけお手伝いをすることになりました。

 博報堂さんでの会議に何回出席したか記憶が定かではありませんが、新しい賞の名前を「本屋大賞」とすることと、投票をインターネット経由とすること、書店員である証拠として取次の番線と書店コードを記入してもらうこと、発表のときに店頭に受賞作がならぶこと、とか決めたことを覚えています。茶木さんが「打倒直木賞」とか話されてたと思いますが、個人的にはそういう過激な表現はやめてほしいなあと思ってました。

 あと、書店員が投票で決める賞にどういう本が選ばれるのだろうかと、まったく想像できなかったこと。どんな本が大賞になっても、その横に書店員の「私の本屋大賞」本を並べて売ってほしいなと思っていました。

 そして、一番強く思ったのは、この賞の話がもっと早い時期に立ち上がっていて、お誘いがあったら、転職しなかっただろうなということです。

 結局半年後に偕成社に転職し、退職するまで一度も本屋大賞にはスタッフとして参加することはありませんでした。

 退職後、図書館員になったとき、本屋大賞実行委員に復帰しないかと声をかけられたのは嬉しかったです。16年ぶりの復帰でした。

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