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6月30日(木)

 ゲラを届けに行って、ゲロを吐きそうなる。

 というのも本日、8月刊行の古書現世・向井透史さんの『早稲田古本劇場』の再校ゲラが出来上がったのでお届けにあがったわけだが、それと同時に都内某所への買取のお手伝いすることになっていたのである。その買取が向井さん曰く、「これ以上ない」レベルの困難極める買取であり(実際日下三蔵さん家も真っ青な魔窟であった)、しかも気温が35度を超える激暑であり、さらにそこはエレベーターのないマンションの2階なのだった。

 せめてもの救いはそれでも2階ということなのだが、2階とはいえ10数段のステップを登り降りするわけで、そこを70本、約1400冊の本を運び下ろしていると、Tシャツは絞れるほどびしょびしょとなり、毎日ランニングして鍛えているはずのふくらはぎもパンパンとなり、意識朦朧としてくる。まるで中学校の部活が如く、「あと●本」とカウントダウンしながら最後の本の束を運び下ろしたときの達成感たるや、やはりそれも中学校の部活以来の達成感なのだった。

 夕刻、車で早稲田の古書現世に戻り、すべての本を店内に運び下ろす。向井さんはここからさらに本の束をひもとき、改めて組合の交換会に出品できるよう整理し直すわけである。おそらくそれは朝方まで続くのだと思われる。

 古本屋さんの本を愛する様子は、あきらかにわれわれ新刊流通の仕事に関わっている人間とは異なる。なにやら深く、そして広大な感じがする。面白いとか面白くないとか、たくさん売れるとかテレビで紹介されたとかそういうものとまったく関係なく、もっと長い年月を通じた本というものと対峙している感じがある。

 向井さんは『早稲田古本劇場』のなかで、「古本屋というのは表面的には小売業だが、実は流通業でもあるのだ。店というのはいろいろな形で本を動かす拠点なのだ。」とおっしゃっているのだが、それはまた換金する方法が様々あり、それを日々本を目の前にして選択していく仕事でもあるのだろう。

 どうにかゲロを吐かずに肉体労働を終え、心地よい疲労を覚えつつ帰宅。

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