3月25日(土)
朝、7時半、キャリーケース、ポストバッグ、そしてリュックと荷物を抱え、雨降る中妻と息子と3人で近所のバス停に向かう。息子の巣立ち。
浦和から大宮へ。大宮から上越新幹線とき311号に乗車するとあっという間の1時間で新潟に到着。レンタカーを借りて、息子の学校のある聖籠町へ向かう。新潟は雨が降っておらず曇り空。この空の下で、息子は今日から一人暮らしを始める。
娘はドイツ、息子は新潟。いろんな人から「淋しいでしょう」と声を掛けられるが、曖昧に頷くことしかできない。たしかに淋しいことは淋しいのだけれど、すっきりとした気持ちもあれば誇らしい気持ちもある。これまでと変わらぬ想いもあれば、欠落意識もある。ひとつの感情ではとても表せないたくさんの想いが胸に湧いている。
1時間ほど車を走らせると息子の暮らす予定のアパート(寮)に到着。築2年のまだピカピカの10畳ほどの部屋が今日から息子の棲家。すぐ近くにある人工芝の敷き詰められたサッカーグラウンドが息子の通う学校。息子はそのグラウンドをうれしそうに眺めている。
荷物を運び込むとガス会社が来るのを待つ息子を残して、妻と買い物へ。ニトリにてフライパンやら食器など生活用品をカート2台山盛りにして購入。近場にニトリがあってよかった。その後、ドラッグストアにてこれまた買い物カゴ2つにトイレットペーパーやら洗剤やらを買い求め、息子の部屋に戻る。
自宅から送っていた宅急便も到着しており、一気に部屋作りを開始。カーテンを取り付け、布団を並べ、クローゼットに服をかける。
その間、生真面目な妻が備え付けられている洗濯機を回し、カビ取り清掃。しばらくするとぐんぐんと汚れが浮かび、妻が「ほらね」とまるで犯人のアジトを見つけた刑事のように胸を張る。息子には月に一度はカビ取りしなさいと厳命を下している。
部屋が整うと5時。昼食をとっていなかったので息子は腹ペコで倒れそうと泣き顔に。車を走らせ、近場の食堂へ。私は肉そば、妻はタレカツ丼、息子は味噌チャーシュー麺とミニタレカツ丼。
どんぶりを前にした息子は、まったく幼き頃と変わらぬ様子でにこにこと麺を啜っている。
ふいに、こんな幼き18歳の、たいして世の中を経験していない子どもを残して、自分は浦和に帰っていいのだろうかという想いが湧いてくる。
その想いにふたをして、私もそばを啜る。