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5月31日(水)

 仕事を終えて帰宅すると、ベッドに腰掛け、スタジアムに向かうかしばし悩んでしまう。

 試合は観たい。浦和レッズを応援したい。今日のサンフレッチェ広島戦は、優勝戦線に残れるかとても大切な試合なのだ。だから昨日面会に行った母親にも、明日はレッズの試合があるから病院に来られないと伝えていたのだ。

 ベッドにいったん横になる。天井を見ながら考える。今、この状況で、スタジアムに行って、そして応援して、僕の身体はもつのだろうか。

 満身創痍。去年の秋から、娘の渡独、目黒さんの死、息子の寮暮らし、父との別れ、そして母親の入院と続いているのだ。僕の心と身体は、僕が思っている以上に痛めつけられているだろう。このまま身体を横たえて、1時間でも2時間でも眠った方がいいのは間違いなかった。

 95年にシーズンチケットを買い始めて以来、自らの意志でホームスタジアムで試合が行われているのに観戦に行かなかったのは、妻が入院していたときと父親が死んだときだけだった。100%で戦えないならスタジアムに行くべきではないと判断したのだ。

 今日はどうだろうか。戦うことはできる。ただ、戦ってどうなるかが心配なのだった。

 観戦仲間からぞくぞくとLINEが届く。スタジアムに行けば彼らに会える。彼らは父や母とも一緒に応援していた仲間なのだった。気を許し合い、心の底から語り合える仲間に会うことは、今、僕が一番欲していることの気がした。

 よし、行こう! スタジアムに行って、仲間とともに浦和レッズを応援するのだ。それが、僕の、生きる、なのだった。

 後半5分に先制されたとき、今日は絶対負けるわけにはいかないんだとエンブレムを強く握った。病室で結果を気にしている母のために、明日、面会に行って良い報告ができるために、今日は絶対勝たなきゃいけないのだと誓った。レッズの結果が、まるで今後の母親の病状であるかのように思った。

 それから狂ったように声を出した。暴れるかのように飛び跳ね、手を叩いた。僕だけではなかった。観戦仲間がボルテージをあげて叫び出した。通路の向こうのおじさんも、後ろにいる女の子も、みんなみんな浦和レッズの勝利のために、大声を上げていた。2万人の観客が、まるで5万人いるかのような迫力で後押しした。酒井宏樹をはじめすべての選手が、スタッフが、サポーターが、ここにいる誰もが、諦めてなかった。逆転し、浦和レッズが勝利するのだと信じきっていた。

 その声を聞きながら、自分でもその声を発しながら、涙があふれた。ついさっきまで、僕は人生をあきらめようとしていた。嫌なことが続き、もうどうでもいいやと投げやりになろうとしていた。

 必死にゴールを目指す選手を観て、逆転を信じきって応援を続けるサポーターの中にいて、思った。人生に永遠はない。いつまでも元気な父親も、母親もいない。いるわけがない。どんなときでもそばにいる娘も息子もいない。いるわけがない。この試合はこの試合でしかない。みんな変わっていくのだ。変わっていって当たり前なのだ。

 酒井宏樹の同点ゴールが生まれ、伊藤敦樹の逆転ゴールで浦和レッズが勝利した。

 僕はもうあきらめてなかった。投げやりでもなかった。
 何もかも受け止めて、今を、精一杯生きるしかない。
 精一杯生きることこそが、きっとPRIDE OF URAWAなのだ。
 観戦仲間と抱き合った。
 そして僕は、ひとりではなかった。

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