11月13日(月)いつか新宿書房のような本を作りたい
この間の日曜日にルヴァン・カップ決勝で負け、水曜日には予選突破をかけるACL予選で逆転負けを期し、念願のJリーグ制覇に向けた昨日の神戸戦では埼スタのコンクリを地団駄踏む敗戦となった。
後世語り継がれる「最悪の8日間」を過ごしたのだが、今朝起きてみれば名将スコルジャ退任の報が飛び交い、「悪魔の9日間」になっていた。
父親が死んだ翌週も会社に出て平然と仕事をしたのだが、今日はもう無理だった。私ももう50過ぎだ。ひとつやふたつの苦しみは乗り越えられる。しかしここまで立て続けに苦しみが押し寄せては、もう立ち上がることもできない。
いくつか届いていた仕事のメールに返信する気力もわかず、スマホを放り投げ、薄明かりの差す天井を見上げる。
会社に行きたくない。とても行けるメンタルではない。
しかし先週木曜金曜と福岡へ出張に行っていたため仕事が溜まっており、行かないわけにはいかない。満身創痍の浦和レッズに今季まだ試合があるように、私にも仕事あるのだ。
魂をかき集め9時に出社してみれば、やはり仕事は山盛りで、浦和レッズのことを忘れて、と言いたいところだけど、時折ため息とスコルジャの続報と誤審の確認をしつつ、バザバサと処理していく。
2時頃どうにか目処が着いたので昼飯に出かける。あまりの寒さに光華飯店に飛び込み、ワンタンと半チャーハン。私にはもう麺は不要なのだ。
3時にK出版社のYさんがやってくる。出版四方山話。
そうこうしているうちに東京堂書店さんから『神保町 本の雑誌』の2度目の追加注文が届く。50冊を両手と肩にかけ、直納。累計250部。ご当地本の売れ方のすさまじさに慄く。
17時デスクワークを終えたので、丸善御茶ノ水店さんを訪問。こちらでも『神保町 本の雑誌』がバカ売れ中。
担当のSさんとフェアや売り場の話などしているうちにやっと気持ちも上がってきて、結局、私は本屋さんに救われているのだ。
上野まで歩いて京浜東北線に乗って帰宅。群ようこ『こんな感じで書いてます』(新潮社)を読む。椎名さんのことを「編集長」、目黒さんのことを「社長」と書いているのに胸が熱くなる。
胸が熱くなるといえば、完結となったカミムラ晋作さんの『黒と誠 〜本の雑誌を創った男たち〜』の第3巻である。この巻末についている元本の雑誌助っ人であり、『黒と誠』の担当編集者でもある山沢くんの「編集後記」は涙なくして読めない。
彼はここにも書かれているとおり、アルバイトを始めるとともに自転車で日本縦断の旅に出てしまうような青年であり、雇う側の我々としたら「なんだ? なんだ?」であったのだけれど、まあ来るもの拒まず、去る者追わずの伝統なので、旅行を終えると平然とバイトにやってきたので、そのまま働いてもらっていたのである。
ただしそれほどの本の雑誌社への熱さも感じず、ただ出版社志望の学生がたまたま本の雑誌社にやってきたのかと思って、こちらも変に熱くならずに、普通に接していたのだ。そしてその後、彼はしっかり出版社に就職し、雑誌編集者としてばりばり働いていた。
おそらくこのままそれほど接点もなく過ごしていくことになるだろうと思っていたところ、3年ほど前に『社史・本の雑誌』(椎名誠『本の雑誌血風録』と目黒考二『本の雑誌風雲録』)を漫画化したいと言って来たから驚いたのだった。さらにそれを『黒と誠』として実現したのだから、これはそんじょそこらの驚きどころではない。
その山沢くんがこんなにも「本の雑誌」を愛していたのか、そして私と同様、椎名誠、目黒考二ら「本の雑誌」によって人生を変えられていたのかということを、この「編集後記」を読むとわかった。
これを同志と呼ばずになんといえばいいのか。山沢くんがたどり着いた「本の雑誌とは?」の答えに、私は号泣したのだった。
憧れの出版社、新宿書房が出版活動を終えたらしく、今後その出版物を港の人が販売するとのことで、4冊ほど注文し、代金を振り込む。いつか新宿書房のような本を作りたい。