1月19日(金)母親の重み
介護休暇。
思い起こせば昨年の5月27日の夕刻、「お母さんなんだかおかしいの」という母親自身の電話から救急車出動依頼、脳梗塞の治療を経て、リハビリの日々を送り、本日8ヶ月に及ぶ入院生活を終え、無事母親は退院となった。
母親は左半身に麻痺が残っており、おおよそ車椅子での生活になるのだが、命は繋がっているので無事と言っていいだろう。
5月27日というのは、その一週間前には父親の四十九日を済ませたばかりだったので、父親の諸々による疲労が溜まっての脳梗塞発症だろうというのが我々親族の見立てである。その疲労に気づいてあげられなかったのは痛恨の極みだ。
まあ後悔なんてものはすればするだけ膨らんでくるので一切をドブに流し、今日という日を歩くに限る。
その今日は、前日までの寒さも和らぎ、晴れ渡る空の下、母親は病院から出る。「外、久しぶりだねえ」と青空を眺め、迎えに行った妻とともに人生というものを噛み締める。
介護生活一日目。やることと言ってもトイレの補助と食事の用意、それと話し相手くらいなのだが、こちらも初めてのことなので終始気が張っており、気づけば疲労困憊になっているのだった。
人の世話をするというのは、それ即ち命を預かるというものであり、命というのはやはり重いものだった。
いや今日母親を車椅子から立ち上がるのを手伝い、玄関を上がるのを支えたとき、私は生まれて初めて、52年の歳月を経て、母親の重みを感じたのだった。それは40キロそこそこの重みというものではなく、母親のまさしく存在という重みなのである。
何度も首を回し、部屋中を眺め、そしてその度に、「やっぱり家はいいねえ」とつぶやいた母親は、夜の8時を過ぎると介護ベッドに横になり、眠った。
ずっと緊張していた心が解けると、今日が目黒さんの一周忌だと思い出した。目黒さんの存在は、というか不在はまったく埋まらないまま一年が過ぎてしまった。
目黒さんに会いたい。とても会いたい。