3月3日(日)初午祭り
朝から実家の前の道は車の通行を禁止され、露天商が店を広げている。綿菓子、あんず飴、広島風お好み焼きなど、色とりどりの屋台から美味しそうな匂いが風にのってやってくる。
小学校の校庭には折り畳みの椅子が並べられており、50人ほどの子どもたちが楽器を手に持ち、先生の指揮のもとリハーサルを繰り返している。
今日は実家から歩いてすぐにある備後須賀稲荷神社の初午祭りなのだった。
父親はこのお祭りの手伝いを若い頃からしていた。寄り合いに参加し、開催前にはポスターを貼り歩き、前日は朝から準備に大騒ぎしていた。
そして祭りが始まれば半被を着て、境内で様々な仕事をし、いざ、神輿が担がれると真っ白に顔を塗り、お面を被って練り歩いた。
ブライドが高く、人付き合いの苦手な父親が、ほとんどが地主とその家系の人たちの集まりのこの祭りだけは、ずっと縁を切らずに続けているのが不思議だった。
その父親は昨年の4月に亡くなった。その半年前から入院していたので、父親は去年の初午を知らない。いやもしかするとその前はコロナで中止していたので、この3、4年、この時期を手持ち無沙汰にしていたのかもしれなかった。
父親が居なくなっても祭りは当たり前のように進む。昼には開催を伝える花火が打ち上げられ、子ども神輿が練り歩き、神社にはたくさんの人がお賽銭を投げ入れ、願い事を祈る。
そして、夕方、神輿が動きだす。「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ」。遠くからその声が聞こえてくる。
車椅子に乗った母親を道路に面した窓辺に連れていく。
「ほんとは窓から見るなんて失礼なのよね」
母親はそう言いながらも顔が上気している。
「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ」
いよいよ神輿が家の前にやってくると、母親は神輿に向かって手を振った。
すると、ピーと笛が鳴り、家の前で神輿の動きが止まる。
「杉江さんに長年の感謝を込めてー」
先頭で指揮する人が声をかける。
「おー」と担ぎ手の人たちが反応し、ひときわ大きな声とともに神輿が上下に揺れる。
「ワッショイ、ワッショイ。ワッショイ、ワッショイ。ワッショイ、ワッショイ」
葬式でも泣かなかった母親の頬を涙が伝った。