3月19日(火) 自由に生きる
息子の学費振り込むため、銀行に立ち寄ってから出社する。
娘は今春で大学を卒業し、息子もあと一年で学校が終わる。となると私の任務は住宅ローンを残すのみ、となるのだけど、これは私が死ぬと消失するので、もはや任務は終了したも同然なのだった。
あれ? おれ、もう死んでもいいのか? いやおれが死んだ方が得なのか? なんて京浜東北線の中で考えていると、母親を預けている介護施設から電話がかかってくる。慌てて電車を降りて通話ボタンを押すと、なんと昨夜母親がベッドから落ちて肩にアザをつくってしまったらしい。現在本人は元気にしているが、頭を打っているかもしれないので念のため病院に連れていくとのこと。
本来は息子である私が駆けつけるべきなのだろうが、本日は今月の新刊『絶景本棚3』の〆作業があり、どうしても仕事を抜け出せず、ケアマネジャーさんに連絡、介護施設へ向かってもらうことにする。
頭を打っていればそこから親の死に目になるかもしれず、ならば仕事など投げ捨てて病院に向かわなければならないはずなのに、私は改めて京浜東北線に乗り込み会社を目指している。私はそういう人間なのだ。
10時半に出社。事務の浜田にことの顛末を話すと、「よくあるんですよね」と言われる。
そうか、よくあるのか。まあ、あんまりあっちゃいけないと思うけど、そう言われたとたん心の負担が減っていく。
もしかするとすべて完璧を目指す社会、あるいは生活というのはとても息苦しいのかもしれない。ほどほどにミスを認めることがかえって自分も楽にするのかも。
ミスを減らし、しかしミスを許す、そういう大人に私はなりたい、と思った。
不在の間に沢野さんから電話があったようなので折り返すと、連載の新しいテーマについての相談だった。
それは数年前に私が打診したテーマで、ボツにされてしまったすっかり思ったのだが、なんと沢野さんはあたためていてくださったのだ。うれしくなっていろいろ案をお伝えする。
その沢野さんのやる気に刺激され、滞っていた企画を一気に動かす。あちこちに連絡を入れ、打ち合わせの予定をどんどん取り付けていく。
夕方ふと、事務の浜田に、「どうして沢野さんってあんなに元気なのかな?」と聞くと、「自由に生きてるからですよ」と即答。そうか、自由に生きればいいのか。
18時過ぎに退社。上野まで歩いて帰っている途中に介護施設から電話あり。CTやレントゲンの結果、母親の身体に異常はなかったとのこと。
続いて母親に会いに行ってくれたケアマネジャーさんからも連絡が入る。母親はたいそう元気だったとのこと。
深く感謝を伝え、目の前にあったコンビニに飛び込む。缶ビールを買い求め、不忍の池のほとりでぐっとあおる。