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4月30日(火)本談義

「眠れないからなんか本貸して」と言ってきたのは、週末に実家に泊まりにきた母親の親友の85歳のおばさんだった。

実家にせっせこ運び込んでいた本の中から、同年代の物語だしと、藤野千夜『じい散歩』(双葉文庫)を渡すと、布団を敷いた客間に入っていった。

翌朝、朝食の用意をして、母親とおばさんと3人で食卓を囲むと本の話となる。

「借りた本、すごく読みやすいからもう半分読んじゃった。しょうもない3人の子供がいて大変よね。このお母さんちょっとアルツハイマー入ってるんじゃない?」と、本当に読んだことがわかる感想を語りだす。

「いつもはね、藤沢周平とか読んでるの。時代小説が好きでね。前は市が尾にも本屋さんが3軒あったんだけどみんな閉店しちゃったのよ。だから今は三ヶ月に一度神保町の日大病院に検査で行った時に、古本屋さんの店先にある3冊100円の文庫本を買って、何度も読み直してるの」

おばさんが帰るとき、『じい散歩』とともに、『高瀬庄左衛門御留書』(砂原浩太朗/講談社文庫)を渡した。おばさんは「ええ?! もらっていいの? すごくうれしい!」と言って、カートにしまった。

4月29日(祝・月)親子間のサービス残業

朝、8時半過ぎ、介護施設の車が母親を迎えに来る。本日は三連休の祝日であるけれど、母親にはいつも通りショートステイに行ってもらう。

私は介護を、親子間のサービス残業と考えており、サービス残業で心労を重ねてもまったくの徒労なのだ。だからこうして祝日であろうと施設に預け、それ以上のことはどんなに母親が寂しい顔をしても気にすることをやめた。

そもそも母親が介護施設に対して不満を言おうと、それもまた生きるために必要なストレスと考えることにしたのだ。なぜならわれわれサラリーマンだって日々ストレスに囲まれており、平穏無事な一日などほとんどない。それでいてこれが定年退職したりすると、そのストレスの日々を愛しく思ったりするのは、人生には適度なストレスが必要ということだ。

実家の戸締りをし、走って自宅に帰る。15キロ1時間半。ランニングは渋滞もなくすこぶる快適。

4月28日(日)遠慮せず

昼前に母親の親友が帰路につき、昼飯を食べてほっとしていたら、お隣の山本さんがアイスを持ってお茶を飲みにくる。

2時間も話していると、今度は亡き父の親友夫妻が、晩御飯を作ってきたよとたけのこご飯を持ってきてくれる。

いったいここはどんだけ人間関係の濃厚な田舎なんだと思いつつ、遠慮せずに諸々いただく。

4月27日(土)お泊まり

朝9時、妻と介護施設に母親を迎えにいく。

本日は母親の親友が実家に神奈川から泊まりに来ることになっているのだけれど、少し前の私であればそれだけで1週間前から準備に頭を悩ませ、精神的に疲労困憊になっていたことだろう。

しかしこのコロナ禍に、辺境チャンネルというオンライン配信イベントを高野秀行さんとその仲間である小林渡さんとするようになり、その二人から「杉江さんは、起きてもいないトラブルを心配しすぎ」と注意されていたのだ。

言われてみれば私は、出張にいくとなればもしや新幹線が大雨の影響で止まってしまうのではと雨も降っていないのに心配し、宿泊予定のホテルも予約ミスで門前払いされるのではと不安に陥ったりしているのだ。そうやって心配したトラブルの99・99%は実際に起こることはなく、高野さんと小林さんから、「トラブルは起きてから考えればいい」と大切なことを学んでいたのだった。

さらに二人から教わった重要なことは、もしトラブルが起きたら、酒を飲んでぼんやりしていれば、たいていのことは誰かが代わり対応してくれるということだ。

なので本日は母親の友人がすき焼きを作ってくれている隣で缶ビールを開け、陽気に春日部音頭を歌っているうちに1日が無事終わったのだった。

4月26日(金)装丁

佐久間さんとデザイナーの松本さんと坪内祐三『日記から 50人、50の「その時」』の装丁を打ち合わせ。私と松本さんのイメージが合致し、その資料を佐久間さんに探していただくこととなる。

古書会館で開催されている「ぐろりや展」を覗くと、立石書店の岡島さんが出店しており、しばし立ち話。

先週はみちくさ市、今週は御茶ノ水のソラシティでの古本市にも岡島さんは出店しており、その都度、本を仕入れ、車に積み、並べ、そして終わればまた縛り、車に積み、倉庫に戻しと、その仕入から販売までとにかく本と共にあるのだった。古書現生の向井さんが「流通業」というのがよくわかる。

「ぐろりや展」では、

夕張・働くものの歴史を記録する会編『わが夕張』(みやま書房)
田中圭一『佐渡=金山と島社会』(日本放送出版協会)
原ひろ子『極北のインディアン』(玉川選書)

を購入。しめて800円。バラバラに見えるけど自分の中では「人がどう生きてきたのか」というカテゴリーなのだった。

夜、総武線平井駅の超人気店「豊田屋」にて、I社のSさん、K社のSさん、蔵書家のNさんと酒。

4月25日(木)ベストセラー作家

晴天。一気に気温上がる。午前中、『日記から 50人、50の「その時」』の校正を終えたゲラと自分が確認したゲラを照合していく。脳がヘトヘトになる。

午後、営業にでかける。初夏のよう。

池井戸潤『俺たちの箱根駅伝』(文藝春秋)読了。

実は初めて池井戸潤の作品を読んだのだけれど、そりゃあ売れるよなと納得する。

まず読者を飽きさせない工夫が随所に光っている。『俺たちの箱根駅伝』では、登場人物のほとんどに対立する相手を配し、この二人いったいこのあとどうなるの? どっちが成功するの? とあの人もこの人も気になって、まさしくページをめくる手が止まらなくなるのだった。

次に設定だ。学生連合という一緒に走るけれども記録には残らないチームを主役に配し、さらにそこに一流企業から突然監督がやってくるなんて、もう興味をひかないわけがないのである。

さらに凄いところは箱根駅伝を走るランナーだけでなく、伝える側のテレビ局をもうひとつの舞台するのだった。スポーツ報道とは何か? 視聴率との戦いの中、テレビ局の裏側と葛藤も描かれるのだ。

そしてなんと言ってもみんな大好きな「箱根駅伝」なのだ。これが最強のエンターテインメントにならずに何になるのだというくらいエンタメのてんこ盛りなのだった。

そういう構成だけでなく、やっぱり唸るような文章表現もあって(特に走ってるところ)、ベストセラー作家というのはベストセラー作家になる理由があるのだ。

4月24日(水)河出書房新社

天気悪し。雨降る中、昨日に引き続き千駄ヶ谷へ。しかし今日は神宮球場ではなく、河出書房新社へ。GW中に東五軒町へ引っ越す様子を取材にきたのだった。

ひとまず一階の「茶房 ふみくら」で人気のポークカレーを食した後、社内をあちこち拝見させていただく。

所狭しと積まれた資料やゲラの束から、まさしく出版社らしい出版社であることが伝わってくる。出版社でフリーアドレスなんてとんでもない話だ、が、これで果たして本当に引っ越しができるのだろうか......。

2時間ほど取材させていただき会社に戻る。6月刊行予定の坪内祐三さんの新刊『日記から 50人、50の「その時」』の原稿の引き合わせ作業を夜遅くまでする。

どうしたらこんなに濃密な原稿を、毎週書くことができたのだろうか。坪内さんの卓越した能力を今更ながら思い知る。この本を作れることに深く深く感謝の念を持ちつつ、夜遅くまで勤しむ。

4月23日(火)神宮球場

西荻窪の今野書店さんへ『本屋大賞2024』の追加納品に伺う。なんだか今年の本屋大賞発表号は妙に売れている。

夜、神宮球場へ。中学、高校の同級生とヤクルト対広島を観戦する。

ヤクルトファンの私にとって、始球式の松岡弘と八重樫幸雄の姿(と配布されたカード)以外特に見るべきものもなく、なんと八時半に試合が終わってしまう。

そんなことより驚いたのは、隣の席がF社の旧知の営業マンだったこと。完全試合くらいの奇跡ではなかろうか。

4月22日(月)直納三軒

  • みやこまちクロニクル 父ありき編 (トーチコミックス)
  • 『みやこまちクロニクル 父ありき編 (トーチコミックス)』
    ちほちほ
    リイド社
    1,430円(税込)
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紀伊國屋書店新宿本店(古本屋台2=10冊)、八重洲ブックセンター阿佐ヶ谷店(本屋大賞2024=15冊)、丸善丸の内本店(本屋大賞2024=10冊)と直納に勤しむ。

丸の内から阿佐ヶ谷、新宿と持参するか、新宿、阿佐ヶ谷、丸の内へ納品するかしばし悩み、重量でいったら前者からするのが正解なのだが、仕入のスケジュールから後者を選ぶ。

ちほちほ『みやこまちクロニクル 父ありき編』(トーチコミックス)を読了。

何度も何度も書店で手に取り、その度に棚に戻していた本(漫画)なのだが、ついに思い切って購入し、一気に読む。なぜそんなに躊躇したかというと、父親の介護と看取りを描いた漫画で、その父親の圧迫骨折から死に至る流れがわが父そっくりだったからだ。

勇気をもって読み進むもあちこちで号泣。そして介護をここまでがんばった著者に頭がさがる。しかもそれでも「生きてけろ」とお父さんに願える愛情の強さに感服する。

4月21日(日)みちくさ市

鬼子母神通りみちくさ市に出店。そもそもは昨年目黒さんの蔵書整理をしていたときに、読者のみなさんに蔵書の形見分けをしようよと古書現生の向井さんから提案があり、このみちくさ市に参加させていただいたのだった。

その縁で今年も出店させてもらうこととなり、曇り空の下、机に本を並べる。こうして読者のみなさんに直接本を売るのは、昨秋の神保町フックフェスティバル以来の約半年ぶり。

開店と同時に鬼子母神通りにはたくさんの人が集まり、あちこちの売り場で本に手を伸ばす光景が繰り広げられ、わが本の雑誌社のブースにもたくさんの方がやってきてくださる。

そんななか二桁の号のバックナンバーを手にした方が、「この号、大学を卒業して高松の実家に帰った頃に読んでいた号です。あの頃、高松で『本の雑誌』を購入するのが大変で、あちこちの本屋さんを廻って手にしたときのほっとした気持ちが忘れられません」と話すのであった。

人生の思い出の中に「本の雑誌」があることに感動する。49年続いている雑誌というものはそういうものなのだろうか。毎号、私は一生懸命作っているのだけれど、より一層、気持ちを入れて作らなければと身が引き締まるのだった。

こういう出会いこそイベントの醍醐味だ。

4月20日(土)やり過ごす

本来であれば母親を介護施設に迎えに行き、週末実家介護生活をするのであるけれど、明日、鬼子母神通りみちくさ市があるため、今週は母親にショートステイを続けてもらうことにしたのだった。

当然、胸が痛くなるのだけれど、こんなことで胸を痛めていたら介護などしていられないわけで、目を瞑ってやり過ごすことにする。

ここ数試合、春日部から自転車で埼玉スタジアムに参戦していたため、We are Diamondsも歌えずに帰っていたのだけれど、せっかく自宅から参戦した埼スタでは歌うことができず。ここは我慢のしどころ...なのだろうか。

4月19日(金)声なき声を聞け

晴天。風強し。9時45分出社。

S書店のKさんが先日椅子を貸したお礼にとお菓子をお裾分けにやってくる。事務所がお隣ですっかり町内会のよう。しばし街の本屋支援議員連盟総会について話を伺う。

本屋の人が集まってなぜに図書館の話ばかりしているのか、さらに図書館本大賞などというあまりに安易な企画がなぜ湧き起こっているのかも教えていただく。

大きな声の人が集まって、大きな声の人の話を進めてもしょうがないのである。声なき声のするところに足を向け、耳を傾け、話を伺うべきなのだ。本屋大賞を単なる思いつきだと思ったら大間違いだ。

午後、国分寺のコメダ珈琲にて、『漫画 本を売る技術』の単行本化の巻末につける対談を収録。原作の矢部潤子さんと漫画家の池田邦彦さんの関係性についてなど語り合っていただく。

4月18日(木)スッキリ隊出動!

晴天。11時15分に高田馬場駅ロータリーにて立石書店の岡島さんのワゴン車に乗車。本日は本の雑誌スッキリ隊出動なのだった。出動先はなんとライターの新保信長さんの書庫であり、コミック約1000冊を引き取るのだった。

都内某所にて作業開始。前回のスッキリ隊に腰痛で参加できなかった古書現世の向井さんが満を持しての復帰となり、なんと20分で終了。スッキリ新記録達成かもしれず。

早稲田に戻り、紙袋に入っていた分を縛り直し、岡島さんに会社へ送ってもらう。

夜は、本好きの方々の読み会に誘われ、ワインと共に話を伺う。

4月17日(水)親しき中にも原稿あり

午前中、春日部市役所に行って、母親の特別障害者手当の申請書類を提出。長かった。診断書など用意するのに2ヶ月はかかっただろうか。

午後、急遽、高野秀行さんと吉祥寺で待ち合わせし、昨日お送りいただいた『クレイジー酒ジャーニー』の感想をお伝えする。

「親しき中にも原稿あり」。

どれだけ酒を飲んで時を過ごそうが、共に雪積もる山中を練り歩き古甲州道を歩もうが、作家と編集者は原稿を間に挟んだら真剣勝負、手に持つ刀を対峙させ、作品がより良きなるものになるよう命がけで進めなければならない。

もちろん「玉稿ありがとうございました! 面白かったです!」とただ受け取ることもできるだろう。しかしそれでは作者を、自分自身を、そしてなによりも読者を裏切ることになってしまう。この三者の中で、唯一リスクがないのがサラリーマンである私(編集者)だ。リスクがない上に、さらにリスクのない仕事をしていたのでは、はっきりいって生きる意味がない。

というわけで率直に感想をお伝えすると、高野さんは一瞬眉間に皺を寄せ名刀「間違う刃」で受け止め、すぐにその太刀筋から解法を見つけ出し、あっという間に問題点を解決する術を語りだしたのだった。

いつぞやいく人ものベスセラー作家を世に生み出してきたベテランの編集者に聞いたことがあるのだけれど、「売れる作家は直しが上手い」と言っていたのだった。ちょっと提案するとそこだけでなく、全体を書き換え、素晴らしくブラッシュアップした原稿が届くのだそうだ。

まさしく今、私が、吉祥寺の喫茶店で目の当たりにしているのはその光景だった。

感動に打ち震えつつ、「仕事」というものから得られる幸福を味わっていた。

4月16日(火)本を売り続ける

まさかと思っていたが、本当に高野秀行さんから原稿が届く。

『クレイジー酒ジャーニー』と題されたエチオピアの奥地で酒を主食にした人たちを訪ねた旅行記である。あの「クレイジージャーニー」で放映された旅の物語だ。エピローグとプロローグを除いた単行本一冊分約250枚ある。

『謎の独立国家ソマリランド』の初稿原稿をいただいたのが2011年の終わりか、2012年の初めであったから、私が高野さんから単行本の原稿をいただいたのは12、13年ぶりとなる。干支が一周回っているではないか。

すぐにプリントアウトして読み出す。『謎の独立国家ソマリランド』の最終原稿が届いたときのことを思い出す。それは確か第3章の「大飢饉フィーバーの裏側」以降、エピローグまでの後半部分すべてが8月の半ばに届いたのだった。その日は午後の時間を原稿を読むのに費やすと、私はすぐに高野さんに電話をし感想を告げた。そして神保町のスペイン料理屋「オーレオーレ」で待ち合わすとワインを手に乾杯したのだった。のちに『謎の独立国家ソマリランド』は講談社ノンフィクション賞を受賞し、その二次会の会場を「オーレオーレ」にしたのはそんな経緯があったからだ。

『クレイジー酒ジャーニー』の原稿もすこぶる面白かった。『謎の独立国家ソマリランド』以降大作が続いていた高野さんが、かつて宮部みゆきさんから「心に半ズボンをはいている」と評されたその半ズボンを箪笥から引っ張り出し、膝小僧を擦り傷だらけにして草むらを走り回っているような印象を受けた。これぞ高野秀行!待っていたのだ。

夜、その高野秀行さんの本を日本で一番売り、ファンの間ではというか高野さん自身が聖地と呼ぶオークスブックセンター南柏店の高坂さんの飲み会に参加。

残念ながらその聖地・オークスブックセンター南柏店は5月26日日曜日をもって閉店することになってしまう。しかし書店員である高坂さんは、締めの挨拶で「(この後どこの店に異動なろうと)私は本を売り続けるので協力お願いします」と頭を下げたのだった。胸熱くなる夜。

4月15日(月)吉報は突然やってくる

週末実家介護生活13週目を無事に終え、実家のある春日部から出社。

昼、高野秀行さんとランチ。高野さんにはとある原稿をお願いしており、3ヶ月ほど前にその約半分は書き上げたと報告を受けていた。今日こそはその残りの原稿について相談しようと思っていたのだ。締切を設けるのがよいのか(高野さんは締切が大嫌い)、ホテルにカンヅメになってもうか(ずっとお酒を飲んでしまうかもしれない)などとここしばらく最善策を練っていったのだった。

ところがなんと高野さんから信じられない言葉が発せられたのだった。

「杉江さん、あれ、全部書いたから」

どどどどどうして高野さんはいつも大切なことをこんな「ちょっとそこに砂糖買いにいってきて」みたいに話すのだろうか。

そう、『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞を受賞した際も、その受賞を知らせる電話の第一声は「聞いた?」なのだった。

今回の「あれ、全部書いたから」は、それに継ぐ腰抜け報告だ。というか本当に腰が抜けるほど驚き、うまくそれに返答することができなかったことを私はその後恥じた。自己嫌悪に陥るほど恥じた。

せめて大切なことを報告する際は、胸ポケットからピッコロトランペットを取り出し、ファンファーレを奏でたあと語り出すか、舌を打ってドラムロールを叩いてから報告して欲しい。

私は、ただの阿呆のように「本当ですか? 本当ですか?」と繰り返して、喜びも伝えられず食事を終えたのは痛恨の極みだ。

しかしもしかすると狐につままれたのではなかろうかと不審に陥り、その夜は神田明神にお参りにいくことにした。

暗闇のなかでライトアップされた神田明神には、私のように狐につままれたことを不安に思う参列者が後をたたず、お賽銭を投げ入れると二礼二拍手一礼をし、「原稿が本当に届きますように」と願ったのだった。

コンビニでビールを買って、不忍池のほとりのベンチに座る。泣きながら飲んだ。

4月14日(日)コンビニ

本日は母親の友達も来ず、一日、二人で過ごす。

天気がよかったので、父親の墓参り後、車椅子を押して長い散歩にでかける。桜は今週いっぱいで散ってしまうだろう。母親はもう一度桜を見ることができるだろうか。いや私だって明日何が起こるかわからないのだった。

母親とともに過ごすようになって、人生が有限であるということを改めて認識するようにった。ならばただそこを惰性のように生きるのは私の性に合わない。

散歩でのどがかわいただろうとコンビニへ。車椅子になって以来、ほとんどお店に行っていない母親に「ほしいものなんでも買いなよ」と促すと、はじめは「別になにもほしくないよ」といっていたのに、しばらくするといくつかの商品を手にする。

それらを持ってレジに向かい、お金を払うとなんだか母親はとてもうれしそうだった。

物を購入するということはコミニュケーションなのだ。

夜、餃子を焼いたら、6個ペロリと平らげた。来年も桜が見られるかもしれない。

4月13日(土)1年ぶりの美容院

  • 横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか
  • 『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』
    田崎健太
    カンゼン
    2,970円(税込)
  • 商品を購入する
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    honto

朝9時、いつものように妻と介護施設に母親を迎えにいく。そして母親行きつけの美容院に連れて行き、一年ぶりのカット。

入院中に一度髪を切ってもらっていたらしいのだけれど、やはり30年近く通っていた美容院でカットするのは格別の思いのよう。84歳の顔に見たことのない笑顔が広がる。

髪を切り終えるとすぐに父親の墓参りに向かい、満開の桜の下を散歩する。

帰宅すると母親の友達が来ており、晩御飯にと手製のロールキャベツをたんまりいただく。

田崎健太『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』(カンゼン)読了。

4月12日(金)疲労

8時半出社。デスクワークをこなした後、書籍の制作の打ち合わせに池袋へ行く。著者、フリー編集者の渡さんとともに、今後の方針を話し合う。簡単にできる本など一冊もなく、それぞれの本にそれぞれの苦心する点があり、それを乗り越えて本はこの世に生まれるのだった。

夜、家に帰ると、DAZNは新潟の息子が見ていて視聴できず、さらに今頃になって本屋大賞の疲労が全身を襲い、9時にはもう目を開けていることもできず、ベッドで就寝。

4月11日(木)打倒!本屋大賞?

通勤電車の中でぼーっと考える。本屋大賞を作ってもう22年も経っているわけで、そろそろ「打倒!本屋大賞」じゃないけれど、次なる企画というか何かがあってもいいのではないかと。本屋大賞を運営している私が考える必要はないのだけど、私は、とにかく本が売れて欲しいのだ。本が売れて、本屋さんがどこにもあって欲しい、のでつい考えてしまう。

結局、本屋大賞が受け入れられたは、時代あってのことなのだと思う。

『文学賞メッタ斬り』の最初の巻の刊行も本屋大賞第一回と同じ2004年(3月)で、既存の権威的なものの裏側みたいなものがネットも含めて世の中の人に伝わり出した頃で、異なる価値観というかもっと健全なものが求められる空気が振り返ってみれば当時にあったと思う。

それは文学に関してだけでなく、例えばその後の独立系書店やシェア型書店の隆盛に影響を与えた(かもしれない)一箱古本市も、2005年の不忍ブックストリートで始まっていたりして、こちらは漫才の新しい評価軸だけれど、M1は2001年にスタートしたのだった。

それはもしかしたらミレニアムで騒いだあとになにか新しい時代が一夜にしてくるような気がしていたのがそのままの地続きで何にも変わらなくて、そう言った肩透かし感が次なる価値観への期待に変わったのかもしれない。今後、評論家の人に2004年あたりのことを論じてもらうのがすごく楽しみなんだけど、まだそれらの論を見てはいないのだった。

昨日本屋大賞の発表会場に飾られていた第一回の発表会の写真を見ていて思い出したのだけれど、第一回の発表会の際に新聞記者の人が僕の手を握らん勢いで、「こういう賞を待っていたんですよ」と熱く語っていたのだった。

そういう空気があの時代に間違いなくあって、本屋大賞は受け入れられたはずで、ならば今はどういうものが求められているんだろう?とここのところずっと考えている。

本屋大賞がポコっと生まれたわけではなく、セカチューや白い犬やその他、書店員さんの展開によるベストセラー誕生からの流れにあったわけで、ならばやっぱり新しい流れの源泉はもう生まれているかもしれず、どこかにヒントが転がっているのではなかろうか。

あるいは今は時代の変換時ではなく停滞しているときなのかもしれない。いや、もしかすると「売る」ということ自体が今の時代にそぐわなくなっていて、そこから飛躍しないと次なる企画は思い浮かばないのかもとも思う。

いつの日か私が「打倒!本屋大賞」とか叫び出す日が来るのだろうか。

4月10日(水)第21回本屋大賞

朝、9時半に信濃町の明治記念館へ。今日は第21回本屋大賞の発表会なのだった。晴天。それだけでうれしいのに、なんだか今日は朝からワクワクが止まらない。一年に一日、こういう日があるのはいいもんだ。要するにお祭りなのだった。

10時には実行委員会の面々とお手伝いを名乗りでてくださった各地の書店員さんがやって来て、発表会の準備に取り掛かる。

ほとんど学校の文化祭や体育祭のノリなのだけれど、適材適所というかそれぞれプロフェッショナルなのでは?と疑うほどの才能を隠し持っており、チーフというポジションを与えられた私は何もすることがなく、受付に座ってそれを眺めているのだった。おそらく私の適材適所は22年前に有志実行委員を集めたところだったのだろう。

大賞受賞作家に翻訳部門の著者、翻訳家、超発掘本の作家と続々と来場され、会場内ではリハーサルが執り行われ、準備万端、滞りなく第21回本屋大賞は発表となった。

私はわりと共同作業が苦手というか、なんでも一人でできると考えがちな人間なのだが、本屋大賞というものに関わったことで、一人でできないことがたくさんの人の協力のもとで、素晴らしく花開くことが可能になると教わったのだった。

本屋大賞がなかったら私はどうなっていただろうか。

4月9日(火)本屋大賞発表前日

本屋大賞発表会前日というわけで、会社に縛りつけられ、外出禁止を言い渡される。

そんな中、同じく本屋大賞実行委員である丸善博多店の徳永さんがやってきたので、何やら徳永さんに書評のお礼を伝えたいという青土社のエノ氏&担当編集者もやってきてオシャレ三幸園にてランチをする。

その後、徳永さんに『暗がりで本を読む』のサイン本を作っていただき、夕刻までデスクワークに勤しむ。

特別問題なことは起きず。

4月8日(月)本の雑誌5月号

「本の雑誌」5月号ができあがってくる。メフィスト賞、マジックリアリズムとかなり背伸びをした特集が続いていたので、今号では「本の雑誌」らしくのびのびとした特集にしてみたのだった。

そもそもは『百年の孤独』の文庫化の時期を探る取材で向かった新潮社で、焼酎の「百年の孤独」を飲まされ有耶無耶にされる飲み会となり、新潮文庫編集部のみなさんがタイトル付けのこだわりを語っていたところから閃いた特集なのだり

無事できあがってきたので、定期購読者分の封入作業「ツメツメ」に勤しむ。新入社員の近藤も手伝いを申しでてくれたので、2時過ぎに終了する。

その後、しばしデスクワークをし、BOOKS青いカバさんに納品に伺う。

4月7日(日)一周忌

お寺さんにて、父親の一周忌の法要を営む。

去年の今日は、立石書店の岡島さんと目黒さんちの蔵書整理に勤しんでいたのだ。その日は超エキスパートな古本屋さんたち5人にもお手伝いいただき、トラック2台分の本を運び出したのだった。

5時ごろに作業を終え、岡島さんと一杯いく予定で新宿に向かって電車に揺られていたのだけど、なんだか妙に疲れを感じ、酒場に行くのを取りやめ、家路につくことにした。

そうして新宿駅より埼京線に乗っていたところに、母親から何度も何度も携帯に着信がはいり、電車の中で取ることができず、やっと乗り換えの武蔵浦和駅に着いて折り返すと、「病院から電話があって、お父さん具合が悪いから来てほしいって」とあわてた声で言われたのだった。

そこから父の死はあっという間だった。そして父の死から一年もあっという間だった。

振り返ってみれば、目黒さんの死と、父の死と、母の脳梗塞と、自分はよくこの一年を乗り越えられたものだと思う。

母親の友達が届けてくれた大きな花束をお墓に供えて一周忌の法要を終える。

桜が満開だった。

4月6日(土)筍ご飯

週末介護生活12週目。朝9時に介護施設へ母親を迎えにいく。

相変わらず次から次へと母親の友達がやってくる。きわめつけは夕方、「初物だよ」と言って、筍ご飯、筍を炊いたもの、筍のお吸い物を持ってきてくれる人まで現れる。

いつぞやそんな親切にされる母親をみて、妻がぽつりと漏らした言葉を思い出す。

「お母さんがこれだけ周りの人に親切にしてもらえるってことはさ、きっとお母さんも周りの人にたくさん親切にしてきたんだよね」

食卓に筍三昧の食事を並べると、母親は東を向いて笑いながら食べた。

4月5日(金)晴れ風

現在単行本作成中の坪内祐三さんの『日記から 50人、50の「その時」』の初校ゲラができあがってきたので、早速プリントアウト。今、こうして坪内さんの本を作れていることの幸せを噛み締める。

打ち合わせに出かけ、戻ってきたところでお茶の水の丸善さんへ。店内でキリンの新しいビール「晴れ風」を配っており、つい一缶いただく。すっかり上機嫌で帰るも、注文はいただいてないのであった。

上野まで歩いて帰り、不忍池でライトアップされた桜を見ながら「晴れ風」を開ける。上野公園は花見の人でごった返していた。

4月4日(木)企画会議

午前中、企画会議。毎月、「本の雑誌」の特集を決めているわけだが、これがすんなり思い浮かぶときもあれば、会議当日の朝まで悩むこともある。今回はひと月前から頭にあったものを膨らませる。

SNSを検索していると最近の「本の雑誌」の特集を褒められていることも散見され、大いに鼻息が荒くなることがある。

しかしどれだけ面白いと呟かれる雑誌(や本)を作っても、それを売っていただく本屋さんがそれこれSNSを開くたびに閉店情報を目にするほど減っており、話題性と売れ行きが伴わないことが増えている。あるいは話題性よりも声なき読者の声を想像することが大事なのかもしれない。

そんなことを店頭に積んである「本の雑誌」を見ながら考える。もしかしたらそもそも雑誌を買うだけのお金がないだけなのかもしれないのだけれど。

市ヶ谷の地方小出版流通センターさんに『本屋大賞2024』の見本をもって訪問。外堀通りの桜は八分咲き。しばし眺める。

4月3日(水)国立競技場

朝から西荻窪に向かい、今野書店さんの教科書販売のお手伝い。今日は16点の教科書を組んでいく作業。一点でも誤りがあると大変なことになるので集中して勤しむ。

夜、雨降る中、国立競技場へ。サンタナの超ウルトラスーパーゴールに興奮していたものの、後半FC東京に2点とられて1対2の逆転負け。

改札口が人でいっぱいの千駄ヶ谷駅を回避し、新宿駅までうなだれて歩く。埼京線に乗って帰宅。

4月2日(火)〆作業

終日『本屋大賞2024』の事前注文〆作業に勤しむ。

4月1日(月)新入社員

朝、介護施設のお迎えの車に母親を乗せていると、「あれ? 今日、男の人いないのね?」と母親が施設の人に聞いた。

そういえば母親が車に乗ると、いつも振り向いて挨拶するおじいさんがいたのだ。その席が今日は空席になっている。

介護施設の人は一瞬口ごもりながら、「入院しちゃったみたいで」と答えた。母親はその返事をそれほど気にすることなく、いつものように笑顔で手を振って介護施設へ向かった。

しかし私の方は少し動揺していた。入院だって? 先週まで私の母親よりもずっと元気そうだったのだ。

10時半に出社すると、新入社員の近藤さんがすでに出社していたのでご挨拶。

夜は新宿の浪曼房にて歓迎会。浜田と同じペースで日本酒を飲んでいたので妙に安心する

3月31日(日)苦労話

実家。晴天。初夏のよう。

母親の車椅子を押して父親の墓参り後、体調を崩していると聞いて心配していた母親の友達の家にいく。だいぶ回復されており、母親もひと安心す。

午後、母親の友達がやってきて、おしゃべり。笑い転げながら語り合う。80代のおばあさんたちの話がおもしろいのは、苦労話はあっても自慢話がほとんどないからかもしれない。

3月30日(土)埼スタ

いつも通り朝9時に妻と介護施設に母親を迎えにいく。

週末実家介護生活11週目。母親が車椅子である以外は元気なため、特に苦もなくこの生活にすっかり慣れてしまった。

この生活は1週間に2度達成感を味わえていいかもと思わないわけでもないのだった。普通に働いると金曜日に「今週もがんばった」と思ったりするわけだが、週末実家介護をすると月曜日に自宅に帰った時にももう一度「今週もがんばった」と思えるのだ。

晴天。父親の墓参りにいくと桜の蕾がだいぶ膨らみ、ひとつふたつ咲き出している。

午後は妻に母親を任せ、埼玉スタジアムへ。春日部から埼スタまでママチャリで約40分で辿り着く。

ヘグモ新監督のやりたいことを少しずつ選手が表現できるようになり、試合は逆転の2対1で勝利。

余韻に浸る間もなく、自転車に乗って帰る。妻に感謝。

3月29日(金)本を売るということ

午後、書店員さんと約束してお茶へ。はじめは互いに俯いて愚痴なようなことを話していたのに、いつの間にか新たに本を売る工夫について熱心に語り合って笑顔になっていた。

昨今どうしたって暗い話が増えているので、こうして本を売ることについて話せるとやっぱりどんどん元気になっていくものだ。

本を売る、ということは、僕にとって本を読むことよりもずっと楽しいことなのだ。

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