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3月28日(木)その人間以上の本は作れない

  • ラーメン記者 九州をすする! 替え玉編
  • 『ラーメン記者 九州をすする! 替え玉編』
    小川祥平
    西日本新聞社
    2,090円(税込)
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休みをとって、母親の特別障害者手当の申請のための診断書をお願いしに病院へいく。

当初、往診をお願いしている病院で書いてもらえるはずだったのだけれど、病院と市役所の意見が二転三転し、結局、半年ほどリハビリをしていた病院で書いてもらうことになったのだった。今日は市役所で渡された特製の診断書を持ってお願いにあがる。

いったいどれほど時間を浪費しているのだろうと思わないわけではない。この診断書の件だけでも、すでに市役所と病院を二度ずつ訪れているのだ。その度に、半日、あるいは一日仕事となり、時間とともにメンタルも削られていく。

こうした手続きはもちろん、私が週末のたびに母親を介護施設に迎えにいき、土曜日曜をともに実家で過ごすことを無駄に感じる人もいるだろう。

もう数年もしたら死ぬ人のために、50代の働き盛りの、あるいは子育てのひと段落した大切な時間を費やすことを、なんてもったいないと思うのも無理はない。私自身も時にそう思わないわけではないのだから。

しかし、私が作って売っているのは、「本」なのだ。

本とは何かといえば、人が発した言葉の集積である。では、言葉とは何かといえば人の考え、想いである。ならば間違いなく、本にはその人自身のすべてが宿ると思うのだ。

別にそれは本に限ったことではない。ラーメン屋さんだって、それを作っている料理人のこれまで歩んだ人生が、その店、その味につまっているのだ。

きっと私が足繁く通っているラーメン屋の店主は、家族や友達を大切にしているはずだ。そうでなければ、あんな味は出せないし、居心地のよさは生まれない。

ならば、「本の雑誌」や私が作る本に、私の人生が反映されてもおかしくない。なにせ料理以上に人というものがダイレクトに反映される商品なのだから。いや、本とは人そのものなのだから。

その人間以上の本は作れない。その人間以上の雑誌はつくれない。その人間以上の営業はできない。

おれはいったいなにをしてるんだろうなあと、担当者不在で午後まで待たされた待合室で、そんなことを考えていた。

いつか、この日を過ごしたことが、本として、雑誌として、営業として、そして、人として、どこかにあらわれるはずと信じている。

小川祥平『ラーメン記者  九州をすする! 替え玉編』(西日本新聞社)を読了。

3月27日(水)一升瓶

夜、とある書店の人たちと飲む。

芋焼酎の一升瓶をテーブルの真ん中において、本のこと、本を売ることについて語り合っていると、あっという間に閉店の時間になってしまった。

足元をふらつかせて外にでる。別の駅に向かう書店員さんたちと挨拶をして歩きだそうとしたところ、ひとりの書店員さんが声をかけてくる。

「杉江さん、またお店に来てくださいね」

営業にとって。
いや、人として、こんなにうれしい言葉があるだろうか。

ポケットからハンカチをとりだして、駅へ向かって歩いた。

3月26日(火)沢野さんのように

  • ジジイの文房具 (「ジジイ」シリーズ)
  • 『ジジイの文房具 (「ジジイ」シリーズ)』
    沢野 ひとし
    集英社クリエイティブ
    1,870円(税込)
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    honto

10代後半で椎名誠になりたいと憧れ、本の雑誌社に転職してからは目黒考二なりたいと願った。それがまさか50代になって沢野ひとしになりたいと思うようになるとは。

沢野ひとし『ジジイの文房具』(集英社クリエイティブ)を読了する。"ジジイ"である沢野さんのなんと豊かでご機嫌な人生だろうか。自分の時間を生きること。自分の時間を大切にすること。"ジジイ"の沢野さんが、"おじさん"の僕に教えてくれているようだった。

夜、高田馬場にて、伊野尾書店の伊野尾さんと食事とお茶。

3月25日(月)雨

雨降る中、介護施設へ母親を送り出し、東武伊勢崎線武里駅から出社。

「ここにいるとあっという間に時間が過ぎるのよね。施設だとあんなになかなか一日終わらないのにね」

という母親の言葉に胸が裂ける。

3月24日(日)メジロはどこに?

めずらしく来客なし。父親の墓参りのあとは、ゆっくり1時間散歩。車椅子を押しての散歩はなかなかのトレーニングになることに気づく。

すっかり来なくなったメジロ。いったいどこに旅立っていったのだろうか。

吉本由美、田尻久子『熊本かわりばんこ』(NHK出版)を読む。

熊本に暮らす二人が交互に記すエッセイなのだが、季節感と生活感と、それに猫にあふれ、心に沁みる。

今は喜怒哀楽波瀾万丈を無理やり詰め込んだ小説よりもこのようなエッセイを読みたい。エッセイの特集の台割をしばし考える。

3月23日(土)三宅玲子『本屋のない人生なんて』に打ちのめされる

三宅玲子『本屋のない人生なんて』(光文社)を読了。

西荻窪の今野書店さんや福岡のブックスキューブリックさんなど独立書店を訪ね歩き、「アマゾンでは満たせない「何か」が本屋という場所にはある。では、その「何か」とは」?を探し求めたこの本は、本を読むこと、本の力、そしてそれを手に取る本屋さんの存在価値というものを改めて深く考えさせられるとってもいい本だった。

そしてそんな本屋を営む書店主の言葉は、東京で情報に埋もれ、頭と口先ばっかり使ってる私には、もう涙が出て立ち上がれなくなるくらい厚みや重さがあった。

30年も同じ世界にいて、同様に本が好きで、本の力を信じていたはずだったのに、自分はいったい何をしていたんだろうと苦しくなる。

結局、覚悟が違うのだった。

私はどこまでいっても会社に雇われて本を作り売るサラリーマンでしかない。そこに揺るがぬ信念などなければ切実さもなく、そんな人間が感じる「本の力」と、人生のすべてを賭けて自身のお金で本を仕入れ売る人の語る「本の力」は、明らかに違う。

独立しなければそこに立つことはできない。肩を並べることができない。私もそちらに立って、本気で本と向き合いたいと思った。本の、本当の力を、知りたいと思った。

★       ★      ★

週末介護10週目。

母の友達がトマトを抱えてやってくる。先週、私が偏食で野菜はトマトしか食べれないと言ったばかりに、農家の軒先で買い求めてきてくれたのだった。

52歳になって、真顔で野菜を食べなさいと叱られる。その親切さに導かれ、少しは食べてみようかと思う。

3月22日(金)ランニングコース

週末実家介護を控えて、どうもブルーな気分に支配されていたので、朝、ランニングへ。

自宅近くの見沼代用水を、10キロ、15キロ、20キロと走るのが私の週末の習慣だった。いつもこの道を、ひとりで走ってきた。うれしい日も、かなしい日も、苦しい日も、なんでもない日も走ってきた。それが週末実家での介護がスタートしてから、この自然あふれる道を走ることができなくなっていたのだ。

いつものコースを走ると、いつの間にか季節が変わっていた。花が咲き、新芽がで、あちこちに生命の力が湧き出ていた。

首を大きく振り、景色を存分に楽しむ。顔にあたる風が心地よい。風に味があるわけないのだけれど間違いなく見沼を吹く風の味がする。五感すべてを使って深呼吸しながら走っていると、心がすっかり軽くなった。

終日、気分良く仕事。

3月21日(木)前田隆弘『死なれちゃったあとで』を読む

  • 死なれちゃったあとで (単行本)
  • 『死なれちゃったあとで (単行本)』
    前田 隆弘
    中央公論新社
    1,870円(税込)
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前田隆弘『死なれちゃったあとで』(中央公論新社)を読み終える。

年末ベスト級の本なのだけれど、この本の魅力をどう伝えたらいいのか頭を悩ませる。

そのタイトルどおり、後輩や父親や仕事相手やたまたまの事故でなくなった人たちの「死なれちゃったあとで」考えたことが記されているのだけれど、それがへんなノスタルジーや後悔ではなく、もっと赤裸々な、私やあなたがそうしたときに考えるとるにたりたいことも含めた感慨が記されているのだった。

だからこそ「死」というものがリアルに描かれ、そのおかげで「生」というものが深く見つめられる。

ずっと昔から死というものがなんなんだろうと私も考えていた。たとえ肉体がなくなってもその人のことを思いだしているなら決して死んではいないのではないかと思っていた。父親はもちろん、早くに亡くなってしまった尊敬する人たちを思い出すたびに、まだ僕の中では生きていると信じていた。

読んだ本の順番が逆になるのだけれど、数日後に読んだ吉本由美、田尻久子『熊本かわりばんこ』(NHK出版)で、田尻久子さんが愛猫フジタを喪った話でこんなことを記していた。

「不在を意識することは、喪失を確認しているのとは違うとつくづく思う。いないことで、より存在が際立つ。」

そう、『死なれちゃったあとで』で書かれているのは、そういうことだと思ったのだった。

★         ★   ★

午前中、『絶景本棚3』の見本と注文短冊を持って、市ヶ谷の地方小出版流通センターさんに伺う。

午後一旦会社に戻って営業へ。

夜、大竹聡さんと神田の「おでん なか川」で一献。日本酒がするすると入っていく。

3月20日(水)袴姿

春分の日。娘の大学の卒業式に娘と妻と出かける。3人でこうして電車に乗って出かけるのは、娘をドイツに送り出した2年前以来。その留学も無事終え、今日卒業となる。

育児も卒業という節目なのかもしれないが特に達成感は湧いてこない。終わった気がしない。たぶん終わりはないのだろう。

持っていった一眼レフで、高校時代からの親友のシモザワとその奥さん、娘さんの記念写真を撮る。

まさかの縁で、娘たちが同じ大学に進み、同じ年に卒業することになるとは、35年前のシモザワと肩を並べて卒業した高校時代には想像もできなかった。娘もシモザワの娘さんも想像できないような未来が待っているだろう。

そのシモザワの娘さんは袴姿で、よくよく見てみれば女の子の95%は袴姿なのだった。家庭でその話題がでなかったので何も考えていなかったのだが、娘は袴など履いておらず、ジャケット姿なのだった。

そういえば娘は成人式の時期はドイツにおり、一度も着飾ったことがなかったのだ。せっかくの晴れ舞台の卒業式なのに娘に肩身の狭い思いをさせてしまった。

この失態をどう詫びていいのだろうかと頭を抱えていると、娘が遠くから手を振りながらやってくる。その脇には友達がいて、とびきりの笑顔が広がっていた。そのときはじめて涙があふれた。

3月19日(火) 自由に生きる

息子の学費振り込むため、銀行に立ち寄ってから出社する。

娘は今春で大学を卒業し、息子もあと一年で学校が終わる。となると私の任務は住宅ローンを残すのみ、となるのだけど、これは私が死ぬと消失するので、もはや任務は終了したも同然なのだった。

あれ? おれ、もう死んでもいいのか? いやおれが死んだ方が得なのか? なんて京浜東北線の中で考えていると、母親を預けている介護施設から電話がかかってくる。慌てて電車を降りて通話ボタンを押すと、なんと昨夜母親がベッドから落ちて肩にアザをつくってしまったらしい。現在本人は元気にしているが、頭を打っているかもしれないので念のため病院に連れていくとのこと。

本来は息子である私が駆けつけるべきなのだろうが、本日は今月の新刊『絶景本棚3』の〆作業があり、どうしても仕事を抜け出せず、ケアマネジャーさんに連絡、介護施設へ向かってもらうことにする。

頭を打っていればそこから親の死に目になるかもしれず、ならば仕事など投げ捨てて病院に向かわなければならないはずなのに、私は改めて京浜東北線に乗り込み会社を目指している。私はそういう人間なのだ。

10時半に出社。事務の浜田にことの顛末を話すと、「よくあるんですよね」と言われる。

そうか、よくあるのか。まあ、あんまりあっちゃいけないと思うけど、そう言われたとたん心の負担が減っていく。

もしかするとすべて完璧を目指す社会、あるいは生活というのはとても息苦しいのかもしれない。ほどほどにミスを認めることがかえって自分も楽にするのかも。

ミスを減らし、しかしミスを許す、そういう大人に私はなりたい、と思った。

不在の間に沢野さんから電話があったようなので折り返すと、連載の新しいテーマについての相談だった。

それは数年前に私が打診したテーマで、ボツにされてしまったすっかり思ったのだが、なんと沢野さんはあたためていてくださったのだ。うれしくなっていろいろ案をお伝えする。

その沢野さんのやる気に刺激され、滞っていた企画を一気に動かす。あちこちに連絡を入れ、打ち合わせの予定をどんどん取り付けていく。

夕方ふと、事務の浜田に、「どうして沢野さんってあんなに元気なのかな?」と聞くと、「自由に生きてるからですよ」と即答。そうか、自由に生きればいいのか。

18時過ぎに退社。上野まで歩いて帰っている途中に介護施設から電話あり。CTやレントゲンの結果、母親の身体に異常はなかったとのこと。

続いて母親に会いに行ってくれたケアマネジャーさんからも連絡が入る。母親はたいそう元気だったとのこと。

深く感謝を伝え、目の前にあったコンビニに飛び込む。缶ビールを買い求め、不忍の池のほとりでぐっとあおる。

3月18日(月) 教科書販売お手伝いその3

母親を介護施設へ送り出した後、武里から西荻窪へ。

今野書店の今野さんから「大ピンチ!」と連絡が入り、急遽、教科書販売のお手伝いに向かうことになったのだ。なにやら今野さんも含め体調を崩すアルバイトさんが続出し、作業が思う通りに進まなかったらしい。

その遅れを取り戻すため、本日は二つの高校で同時進行で作業をするスクランブル状態。私は都立高校で約300人分の教科書を箱詰めする作業に勤しむ。

夕方、どうにかすべての遅れを取り戻すまで作業が進み、今野さんの顔に笑顔が戻る。よかった。

3月17日(日)おはぎ

実家。

「お彼岸だからおはぎ作ってもってきたよ!」と母親の友達やってくる。

タッパーを開けると大きなつやつやのおはぎが、ぎっちり詰まっている。「二人しかいないのにこんなに?!」と驚くと、「まずはお父さんにあげるんだよー」と叱られ、仏壇にお供え。

あんこも手作りのおはぎは絶品。残りは冷凍してまた食べることに。

そのおばさん、子どもが小さい時、ヤクルトの販売員をしていたらしい。

「私は代田稔賞3回獲った。5年で300万円貯めて家を買ったのよ。その代わりどこ行くにもヤクルトの制服着て行った。娘がピアノコンクールに出た時、後ろの席から『ヤクルトの子ども』と言われたけど、気にしなかった。」

3月16日(土)ホタテを渡される

  • カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」 (集英社新書)
  • 『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」 (集英社新書)』
    室橋 裕和
    集英社
    1,320円(税込)
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朝9時、妻と母親を介護施設に迎えに行く。

実家で、お茶を飲んでいると母の友達やってくる。「あんたたちには感謝しているのよ、家で食べて」とホタテをどっさり渡される。

梅の花が散り、メジロは顔を見せなくなる。

室橋裕和『カレー移民の謎』(集英社新書)読了。

帯にある「なぜネパール人のインドカレー店が日本のどこにでもあるのか?」という謎を追うのだけれど(しかもなぜかどこもバターチキンカレー、ナン、タンドリーチキンのメニューなのかも)、それにはしっかりとした理由があって驚く。

3月15日(金)THIS IS 本屋さん

  • キャラメル工場から ――佐多稲子傑作短篇集 (ちくま文庫 さ-55-1)
  • 『キャラメル工場から ――佐多稲子傑作短篇集 (ちくま文庫 さ-55-1)』
    佐多 稲子,佐久間 文子
    筑摩書房
    968円(税込)
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陽気に誘われたのか銀座の街中はたくさんの人出。そんな中、銀座の教文館さんを訪問。店内も多くのお客様が棚を眺め、本を手にしている。

教文館さんのすごいところは店長や担当が変わってもお店の質が変わらないということ。これぞまさしく老舗ということなのだろう。

いつも楽しみにしている階段半ばにあるフェアコーナーでは、佐久間文子編『キャラメル工場から 佐多稲子傑作短篇』を軸に、独自の選書のフェアが行われており、つい2階に上がるのを忘れて、足を止めてしまう。

また2階の各所エンド台で広げられているフェアも楽しく、さらに棚を見れば、隣の本との意図を感じさせる本がしっかり整理整頓され並べられている。THIS IS 本屋さん、だ。文芸担当のKさんは、「一日休むとダメなんだよね」と、まるで休日すら惜しむかのように棚に手を入れている。

銀座から丸の内線に乗り、本郷三丁目から本の店&companyさんを目指す、も、途中でもしやこれは千駄木の往来堂書店さんを経由して向かった方が営業ルート、というか本の散策ルートとしてベストなのではないかと気づく。

もちろん最寄り駅は南北線の東大前駅なのだけれど、本の店&companyさんのある通りは、往来堂書店さん目の前の千駄木二丁目の信号を根津神社北口方面に登っていった道なのだった。

これで池之端の古書ほうろうさんから千駄木のひるねこBOOKSさん、そして往来堂書店さん、さらに本の店&companyさんと不忍ブックストリートはさらに充実するのだった。

本の店&companyさんは引き戸をがらりと開けた店内に、背表紙がしっかり面を合わせて揃えられ、まるで一枚の絵画のようにも見える素敵な本屋さん。昨年9月にオープンされ、すでにたくさんの常連客さんがいらっしゃるそう。

その理由もすぐわかる。店主の本への愛情がとっても深いのだ。このお店で買った本は、きっと特別な一冊になるだろう。

ゆっくりと本の話をして、お店を後にする。

夜は某所で某書店員さんとお酒。
暗い話になりそうなのに、終始本を売る話で盛り上がる。

3月14日(木)21年の奇蹟

日の出が早くなったので、朝ラン5キロ。最近は短距離も取り入れて、ラスト500メートルは電信柱の間をダッシュを繰り返す。ぱんぱんに張った筋肉の疲労が心地よく、汗とともにストレスも流れ落ちていく。

午前中、本屋大賞の発表会が近づいてきたので、オンラインでミーティング。コロナ禍を経て、オンラインでミーティングできるようになったおかげで、実行委員も全国に広がり、大変ありがたい。それぞれ地域によっての状況も踏まえて話し合えるようになった。

それにしても本当にこんなこと(本屋大賞)が、21年も続いていることは奇蹟以外のなにものでもない。

気苦労絶えず、毎年なにかしらのトラブルや問題が起こり、その度に頭と心を痛め、しかもどれだけ心労を重ねてもボランティアで、それでもこうして続けているのは、本が好きで、なにより本を売るのが好きだからに他ならない。

いっときならまだしも、そういう想いを21年継続して持ち続けられているのは、やっぱり奇蹟としかいいようがない。

午後、デザイナーの松本さんと打ち合わせ。初夏刊行予定の坪内祐三さんの本の組版及び装丁のアイデアを出していく。非常に楽しい時間。

3月13日(水)

  • カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」 (集英社新書)
  • 『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」 (集英社新書)』
    室橋 裕和
    集英社
    1,320円(税込)
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風冷たい中、8時に出社。掃除機をかけて気分一新し、デスクワーク。

9時からオンラインで座談会の収録。

昼は某所で某氏とランチ。「みんなそうなんだって」という言葉に涙があふれそうになる。

午後は市ヶ谷の日本図書普及さんに行って、図書カード三万円お買い物の打ち合わせ。

本日は浜田がお休みのため、会社に戻って電話番。

閉店による雑誌の定期終了の連絡が2件。本屋さんがなくなると読者も消えてしまう。

帰路、お茶の水の丸善さんにて、室橋裕和『カレー移民の謎』(集英社新書)を購入。

帯にある「なぜインドカレー店は日本のどこにでもあるのか?」とまさしく私も謎に思っていたのでドンピシャな本。

もう一冊欲しい本があったが、上巻だけで318ページ3520円もしたので本日は断念。

上野まで歩いて京浜東北線に乗り、帰宅。

3月12日(火)2024サッカー本大賞最有力

  • スカウト目線の現代サッカー事情 イングランドで見た「ダイヤの原石」の探し方 (光文社新書 1294)
  • 『スカウト目線の現代サッカー事情 イングランドで見た「ダイヤの原石」の探し方 (光文社新書 1294)』
    田丸 雄己
    光文社
    1,056円(税込)
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雨。午前中、春日部市役所に行き、母親の障害者手当を申請するための診断書をもらいにいく。

先々週手当の基準が書かれたパンフレットをもらいに来、その基準に該当するとお医者さんの許しを得て今日は診断書をもらい来、それを今度病院で書いてもらったら改めて申請に来るという三度手間。心を鎮めるために深呼吸を繰り返す。

午後は自宅でテレワーク。

夜、読み出した田丸雄己『スカウト目線の現代サッカー事情 イングランドで見た「ダイヤの原石」の探し方』(光文社新書)があまりに面白く、夢中になる。

ストークシティとマザーウェルでスカウトとして活躍している日本人(!)が綴る選手発掘と獲得の仕組みがすごいのだ。

最前線のイングランドでは選手のパスやシュートや1対1などのプレーの質が、事細かにデータ化されていること自体にまず驚くのだけれど、さらに緻密なデータがとれるようにシステムが開発されているらしく、二度びっくり。

そのデータを利用しながら、では実際のスカウトはどのようなことをし、選手を見極めているのか、あるいはイングランドのサッカーの人材確保と創出は今どうなっているのか、がとてもリアルに詳細に綴られており、サッカーの母国ではこんなにすごいことになっているのか、三度目の驚きを感じつつ、未知なるものを教えてもらえる読書の喜びにあふれ、ドキドキワクワクが止まらない。

これは2024年サッカー本大賞最有力。

3月11日(月)快気祝い

  • 忘れられない日本人 民話を語る人たち
  • 『忘れられない日本人 民話を語る人たち』
    小野和子
    PUMPQUAKES
    3,520円(税込)
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10時半、春日部より出社。

今月の新刊『絶景本棚3』の書影データが届いたので、各所にアップロード。新刊が月に1、2点でも、何度もデータの更新をするのが面倒なのに、これは月に10点、20点、あるいはそれ以上ある出版社はどうしているのだろうか。新刊登録だけしている部署か課があるのだろうか。あるいは編集者が個人でいれているのだろうか。10年前にはなかった大変な仕事である。

午後、搬入となった「本の雑誌」4月号を、駒込のBOOKS青いカバさんに納品。その後、定期改正の間に合わなかった阿佐ヶ谷の八重洲ブックセンターさんにも納品。さらに、版元の新入社員研修用に注文いただいた矢部潤子『本を売る技術』を日本橋のタロー書房さんに納品。

夕方一旦会社に戻り、デスクワークをこなした後、東新宿へ。「元祖 牛ホルモン鍋 みつる」にて、古書現世の向井透史さんの快気祝いを「途中でやめる」の山下陽光さんとする。鍋はもちろん、レバニラ炒めやチャーハンも激美味。しかも腹が痛くなるほど笑い転げる楽しい飲み会となる。

帰宅後、東京堂書店さんにで購入した、小野和子「忘れられない日本人 民話を語る人たち』(PUMPQUAKES)を愛でる。

3月10日(日)初勝利

実家。墓参りと散歩。風吹く中、母、一所懸命、杖をついて歩く。

浦和レッズは今季初勝利。ホッとする。

3月9日(土)小野和子『あいたくて ききたくて 旅にでる』を再読。

  • あいたくてききたくて旅にでる
  • 『あいたくてききたくて旅にでる』
    小野 和子
    PUMPQUAKES
    2,970円(税込)
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実家。風強し。友達多数やってくる。

小野和子『あいたくて ききたくて 旅にでる』(PUMPQUAKES)を再読。

東北で50年以上に渡って民話を採訪してきた著者による、民話とその民話を語る人の人生を記した本。少し前、こうして人は暮らしていたのだというのがひしひしと伝わってくる。

そして、これ以上の本を自分は作れるのか、と本全体から迫られる。売れる売れないという判断基準ではなく、残すべき言葉、というものを本にしていかなければならないのではないか。

来週購入予定の新刊が楽しみ。

3月8日(金)教科書販売お手伝い2日目

朝起きると、まさかの雪景色。慌てて準備をして、家をでる。今日は西荻窪の今野書店さんにて、教科書販売のお手伝いなのだった。

教科書販売には、主に搬入、セット組、販売という仕事があるのだけれど、本日は搬入とセット組。

朝9時に高架下にある倉庫に集まり、大学生5人と 2トントラックに教科書を運び込み、学校に着くとまたそれを学年ごとにわけて下ろしていく。

すべて下ろし終えると今度は教科書ごとに冊数を確認し、列を作って教科書を一冊一冊手に取り、そこでまた数を数え、一人分ずつ紐で結いていく。

ここでミスがあるとすべて水の泡となるので、何度も何度も確認しながら作業をする。

そういうノウハウを、長年教科書販売をしてきた今野書店さんは、改良に改良を重ねて、編み出してきたのだった。

倉庫と学校を2往復して、夕方5時に作業を終える。

なぜこのようなお手伝いを10年近く続けているかと問われたら、楽しいからとしか答えられない。肉体労働も、教科書とはいえたくさんの本とまみえるのも、そして30歳近く年下の若者たちと働くのも、なにより一日、今野さんとともに仕事ができるのが楽しいのだった。

夜、今野さんとビールを飲みに行く。

ここ数年で増えたキャッシュレス決済の手数料負担が大変とのこと。

3月7日(木)採用面接二日目ときどき直納

市役所で諸々の手続きをしてから昼過ぎに出社する。

午後は本日も中途採用者の面接。

午後の部終了したところで、注文いただいた『古本屋台2』を持って、不動前のフラヌール書店さんに直納に伺う。

こちらはあゆみブックスで活躍された久禮さんが、ちょうど一年前に開いた本屋さんで、魅力的な本がずらりと並ぶ。その本が並んでいる本棚もクレさんの手作りで、一年の間にすっかり馴染んでおり、店と本と本棚が一体になっているのだった。

納品後は、久禮さんとしばし本屋さんの話。幸福な時間。

6時に会社に戻って、採用面接夜の部スタート。

9時に終了。ふらふらになって帰宅する。

3月6日(水)採用面接一日目

午前中、途中採用の面接。

午後、隠密行動。

夜、改めて、中途採用の面接。

疲労困憊となって、缶ビールを飲みながら帰る。

3月5日(火)企画会議

午前中、企画会議。無事、6月号の企画が決まる。

毎月、そのひと月の間に記した思いつきのメモを見返し、これなら特集にできるかもとか、すっかり冷めてしまってなんでこんなこと面白いと思ったんだろうと反省したりしつつ、結局は行きの電車の中で閃いたものを特集としているのだった。

企画というの基本的に自分の内側から出てくるものではなく、人に会い、主に雑談をしているときに思いつく。営業も編集もどれだけ人に会えるか、なのだろう。

3月4日(月)角田光代『方舟を燃やす』に震える

角田光代が面白い小説を書くのはわかっている。面白くない小説なんて書かないのも知っている。

『方舟を燃やす』(新潮社)を読み終えて、「それにしたって」と、空を見上げてつぶやいてしまう。角田光代は、まだこんなすごい小説を書くのか、と。

幼き頃母親を失った柳原飛馬と、家族の幸福を想って懸命に家事をする望月不三子の、一九六七年から二〇二二年の人生が描かれる。

われわれがそうであるように二人も様々な情報に振り回される。それこそノストラダムスの大予言から健康に良いとされる食べるもの、最近でいえばコロナに関するあふれんばかりの噂など。

そうした中から二人は、それぞれよかれとおもったものを選んで生きていく。なにが本当に正しいのかなんて彼らにも私たちにもわからない。たしかなものなどなにひとつもない世の中を、そうして生きていくしかないのだ。

長い時間軸を描いた作品なのに緊迫感が失われることがなく、平凡な二人の人生なのに目を離すことができなくなる。

本物の小説を読んだ時の興奮と不安と喜びと怯えがここにはある。

3月3日(日)初午祭り

朝から実家の前の道は車の通行を禁止され、露天商が店を広げている。綿菓子、あんず飴、広島風お好み焼きなど、色とりどりの屋台から美味しそうな匂いが風にのってやってくる。

小学校の校庭には折り畳みの椅子が並べられており、50人ほどの子どもたちが楽器を手に持ち、先生の指揮のもとリハーサルを繰り返している。

今日は実家から歩いてすぐにある備後須賀稲荷神社の初午祭りなのだった。

父親はこのお祭りの手伝いを若い頃からしていた。寄り合いに参加し、開催前にはポスターを貼り歩き、前日は朝から準備に大騒ぎしていた。

そして祭りが始まれば半被を着て、境内で様々な仕事をし、いざ、神輿が担がれると真っ白に顔を塗り、お面を被って練り歩いた。

ブライドが高く、人付き合いの苦手な父親が、ほとんどが地主とその家系の人たちの集まりのこの祭りだけは、ずっと縁を切らずに続けているのが不思議だった。

その父親は昨年の4月に亡くなった。その半年前から入院していたので、父親は去年の初午を知らない。いやもしかするとその前はコロナで中止していたので、この3、4年、この時期を手持ち無沙汰にしていたのかもしれなかった。

父親が居なくなっても祭りは当たり前のように進む。昼には開催を伝える花火が打ち上げられ、子ども神輿が練り歩き、神社にはたくさんの人がお賽銭を投げ入れ、願い事を祈る。

そして、夕方、神輿が動きだす。「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ」。遠くからその声が聞こえてくる。

車椅子に乗った母親を道路に面した窓辺に連れていく。

「ほんとは窓から見るなんて失礼なのよね」

母親はそう言いながらも顔が上気している。

「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ」

いよいよ神輿が家の前にやってくると、母親は神輿に向かって手を振った。

すると、ピーと笛が鳴り、家の前で神輿の動きが止まる。

「杉江さんに長年の感謝を込めてー」

先頭で指揮する人が声をかける。

「おー」と担ぎ手の人たちが反応し、ひときわ大きな声とともに神輿が上下に揺れる。

「ワッショイ、ワッショイ。ワッショイ、ワッショイ。ワッショイ、ワッショイ」

葬式でも泣かなかった母親の頬を涙が伝った。

3月2日(土)デトックス

朝9時、車を走らせ、妻と介護施設へ母親を迎えにいく。

5日ぶりに自宅に帰った母親は庭を眺め、「今日は風が強いねえ」と遠くで揺れる樹木を眺め、「満開だねえ」と庭に咲く梅を喜び、「かわいいねえ」とみかんで餌付けしたメジロを見つめる。

日中なので月は出てないものの、歳をとるとまさしく花鳥風月になっていくのだ。

そうして日がな一日窓辺で佇んでいると、その様子を見たお客さんがやってくる。

今日は私が子ども時代に母親と一緒にPTAの活動をしていた人だった。お茶を挟んでなんの気なしに会話している2人だったが、あとで聞いてみれば、40年ぶりの再会らしい。

実家に泊まり込んでの週末介護は、なんだか私にとって、肉体的にも精神的にもデトックスのようになってきている。

3月1日(金)山田高司さんの教え

9時半出社。

午前中、デスクワークの後、午後からは、2017年5月号の「国語教科書の悦びと哀しみ」の取材以来、毎年恒例となった教科書販売のお手伝いのため西荻窪の今野書店さんへ。

倉庫に山のように積まれた教科書を、大学生5人に混じって、2つの高校に運び入れる。

なぜ私が肉体労働が好きなのかというと

一、身体を鍛えられる

二、ご飯が美味しくなる

三、酒も美味くなる

四、よく眠れる

五、達成感がある

からだろう。

段ボール約300箱を運び終えると6時。慌てて府中にある辺境スタジオへ向かう。本日は植村直己冒険賞受賞記念で、高野秀行さんと山田高司さんによるオンラインイベント「辺境チャンネル」の配信なのだった。

山田高司さんは高野秀行さんとともにイラクの湿地帯を旅し、『イラク水滸伝』のパートナーとして活躍したのはもちろんのこと、高野さんが「隊長」と呼び、最も尊敬する探検家なのだった。

そんな山田隊長は幼き頃、高知の辺境で全身に自然を受け入れながら過ごし、農大探検部では、山と川で日本トップになるほど探検力を鍛え、その後は様々な土地のもっとも下にある「川」という視座を旅して世の中を見つめ、世界中の国々に木を植えるプロジェクトをしてきた人だ。

たくさんの言葉が胸に響いたのだが、その中でも、「一度切った山は自然に戻るまで200年かかる。それはアメリカの原住民が、『7世代先のことを考えて物事を行え』と言っているのと一緒だ」ということだった。

山田さんが一本一本植えている木が、木として成熟するまでに200年かかるということは、山田さん自身はその成果を見ることはできない。それでもずっと先の人の暮らしを考え、山田さんは木を植えたり、山を整えているのだ。

翻って、私の仕事だ。

本は長く読まれるもの、とかつては言われていたものが、もはや2週間や1カ月の売上でその本の価値を判断していたりする。

かつてとある編集者に本作りの目標をたずねた時のことを思い出した。その人は「1000年読み継がれる本を作りたいです」と答えたのだった。

これがそこらの編集者が言ったのなら鼻で笑ってしまったかもしれないが、その人は実際に1000年以上前に書かれた本と格闘しているので、説得力が違った。

またスッキリ隊で一緒に活動している古書現世の向井さんが話していたことも思い出した。

「どんなに売れてもあっという間に均一台でも売れなくなる本もあり、ベストセラーでなくても10年、20年、50年と古書として価値を持ち続ける本もある」

私はこれまで50軒以上買取のお手伝いをしてきたが、ほんとにゴミのように本が捨てられていく現場を何度も見てきた。その中にはみんなの知ってる本や本が出たときには脚光を浴びた本も多数あり、あっという間に賞味期限が切れた本は、そうしてゴミとなっていくのだった。

日頃、物事を深く考えたりしない私でも、さすがに何を作っているんだろうと考えてしまう。また、私はどちらを目指したいのだろうとも考える。

山田さんの言葉でもう一つ心に刺さったのは、「(木を植えるのを)一万本目指すなら、目標設定は10万本にしなければならない。そうすれば3万本は楽に植えられる」とのことだった。

これは打率10割を目指したイチローと同じことだそうで、山田さんはこれまで目標設定の10倍を目指して活動してきたらしい。

先ほどまでの話と真逆になるのだが、これは営業として刮目する考えだった。

一万部の本を売ろうと思ったら、私はこれまで一万部を目標にしていた。そして結局、5000部や7000部で終わる。それは取り組み方に元々甘えがあったからだと気付かされたのだった。

結局、未だ私は何を目指しているのかはっきりしない。7代先の読者に向けて本を作るのか、売れるものを作りたいのか。

山田さんや高野さんは、精神的にそのどちらも目指しているような気がした。実は、それを「探検」と呼ぶのかもしれない。

2月29日(木)リアル版「シン・ゴジラ」

  • 福島第一原発事故の「真実」 ドキュメント編 (講談社文庫)
  • 『福島第一原発事故の「真実」 ドキュメント編 (講談社文庫)』
    NHKメルトダウン取材班
    講談社
    935円(税込)
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NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」 ドキュメント編』(講談社文庫)読了。

リアル版「シン・ゴジラ」なんて評してはいけないかも知れず、そしてさらに不謹慎かもしれないけれど読み物として圧倒的に面白かった。

東日本大震災で制御不能に陥った福島第一原発については当時固唾を飲んでテレビを見守っていたわけだけど、あの頃言われていたことやしばらくして語られていたことが、その後の調査や研究によって覆り、驚くべき事実が明らかにされていく。

そうした驚きの部分と、その現場でどうにか原発をコントローラーしようとしていた人たちの文字通り不眠不休の努力やその後方で右往左往しているばかりの東電本社や官邸の人たちの人間模様がバランスよく記され、ページをめぐる手が止まらないどころか、一旦本を手に持ったら置くことができないくらい熱中する本だ。

           

9時半に出社。

午前中デスクワークした後、午後は早稲田の古書現世に向かう。『早稲田古本劇場』の著者であり、本の雑誌スッキリ隊のメンバーである向井透史さんは先月より激しい腰痛に襲われ泣く泣くお店を閉めていたのだが、やっと回復し本日より再開したのだった。

向井さんには古本屋という生業以外に編集者としての才能もあり、話しているうちにいろいろと企画が浮かび上がってくるので、しばし長話。

お店を出たところで、『本を売る技術』の矢部潤子さんから連絡あり、「池袋に行くのだけれどお茶でも飲めないかしら」とお誘い。なんてタイミングよきことかしらとすぐさま池袋へ。いつものコメダ珈琲に入り、本の情報交換。

コメダ珈琲を出ると雨がぽつりぽつりと降り出す。ジュンク堂書店さんに本を買いにいく矢部さんと別れ、帰路につく。

2月28日(水)2024年はもうこの本を読めたから大満足

  • 現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた
  • 『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』
    大滝 ジュンコ
    山と渓谷社
    1,760円(税込)
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大滝ジュンコ『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』(山と渓谷社) 読了。2024年はもうこの本を読めたから大満足だ。

飲み会の誘いからマタギの棟梁と結婚した著者が、新潟県のマタギの村「山熊田」の春夏秋冬の暮らしを綴る。

しかし田舎暮らしだからのんびり日向ぼっこなんて滅相もないのだ。シナの皮剥きに鮎かけに山焼きにと自然は待ってくれない。しかも宴会や独特なお墓参りなどとにかく忙しい。

それを描く視点がとってもいいのた。観察者であり、体験者であり、なにより生活者なのだ。長い時間をかけて、時には二日酔いになりながら聞き出した話や考えたことが、しなやかに、しかし芯を持って語られる。

マタギの本であり、民族学の本でもあり、なによりすばエッセイになっている。我がオールタイムベスト本の遠藤ケイ『熊を殺すと雨が降る』の現代版でもあり、そしてその帯(山と渓谷社版)にあった「失ってはならない私たちの生活の原点」が、まさしくこの本にある。

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