« 前のページ | 次のページ »

4月11日(木)打倒!本屋大賞?

通勤電車の中でぼーっと考える。本屋大賞を作ってもう22年も経っているわけで、そろそろ「打倒!本屋大賞」じゃないけれど、次なる企画というか何かがあってもいいのではないかと。本屋大賞を運営している私が考える必要はないのだけど、私は、とにかく本が売れて欲しいのだ。本が売れて、本屋さんがどこにもあって欲しい、のでつい考えてしまう。

結局、本屋大賞が受け入れられたは、時代あってのことなのだと思う。

『文学賞メッタ斬り』の最初の巻の刊行も本屋大賞第一回と同じ2004年(3月)で、既存の権威的なものの裏側みたいなものがネットも含めて世の中の人に伝わり出した頃で、異なる価値観というかもっと健全なものが求められる空気が振り返ってみれば当時にあったと思う。

それは文学に関してだけでなく、例えばその後の独立系書店やシェア型書店の隆盛に影響を与えた(かもしれない)一箱古本市も、2005年の不忍ブックストリートで始まっていたりして、こちらは漫才の新しい評価軸だけれど、M1は2001年にスタートしたのだった。

それはもしかしたらミレニアムで騒いだあとになにか新しい時代が一夜にしてくるような気がしていたのがそのままの地続きで何にも変わらなくて、そう言った肩透かし感が次なる価値観への期待に変わったのかもしれない。今後、評論家の人に2004年あたりのことを論じてもらうのがすごく楽しみなんだけど、まだそれらの論を見てはいないのだった。

昨日本屋大賞の発表会場に飾られていた第一回の発表会の写真を見ていて思い出したのだけれど、第一回の発表会の際に新聞記者の人が僕の手を握らん勢いで、「こういう賞を待っていたんですよ」と熱く語っていたのだった。

そういう空気があの時代に間違いなくあって、本屋大賞は受け入れられたはずで、ならば今はどういうものが求められているんだろう?とここのところずっと考えている。

本屋大賞がポコっと生まれたわけではなく、セカチューや白い犬やその他、書店員さんの展開によるベストセラー誕生からの流れにあったわけで、ならばやっぱり新しい流れの源泉はもう生まれているかもしれず、どこかにヒントが転がっているのではなかろうか。

あるいは今は時代の変換時ではなく停滞しているときなのかもしれない。いや、もしかすると「売る」ということ自体が今の時代にそぐわなくなっていて、そこから飛躍しないと次なる企画は思い浮かばないのかもとも思う。

いつの日か私が「打倒!本屋大賞」とか叫び出す日が来るのだろうか。

« 前のページ | 次のページ »