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5月5日(日)あんばいこう『力いっぱい地方出版』

午前中、父親のお墓参り。そののち母親の車椅子を押して散歩。家に帰るとちょうど母親の友達がやってきており、あがっていただいてお茶。実家のお茶の消費が半端ない。

午後は読書。あんばいこうさんの『力いっぱい地方出版』(晶文社)を読む。

なぜ今頃、1993年刊行の本を読んでいるかというと、目黒さんの蔵書整理のときに見つけ、記念にもらってきたのだった。

目黒さんとこの無明舎出版のあんばいさんは遠縁にあたり、その流れで目黒さんが読んだのか、それとも同じ出版社経営の身として読んだのか、もはや本人がいないので聞くことはできないのがとても残念。どこかで紹介していたような気もするけれど、それを探し出すのもまた困難なのだった。

『力いっぱい地方出版』は、秋田の無明舎出版の創立20年を振り返り(当時)、その成り立ちから資金繰りまでを赤裸々に描いたのが本なのだが、これがすこぶる面白いのだ。あちこち線を引いてノートに書き出してしまったほど、現在の私の心境とシンクロするのだった。

例えば

「なかでも最大の要因は、出版をはじめて十年あたりから顕著になってきた、版元の命づなともいうべき出版企画が枯渇しはじめてきたことだった。企画はいろいろと思い浮かぶのだが、そのすべてが新鮮味に欠けると感じられてしまう。なまじ十年のキャリアがあるから、それがどの程度売れるかも、出版前にほぼ想像がつく。」

というマンネリズム。これは私も抱えており、そのたびに「部数」でやる気を左右されるのは絶対おかしいと反省しているのだ。

さらに

「さまざまな駆け引きがあり、ドロドロした人間関係をひきずり、金銭的な面倒も多く、本の内容とはまったく縁のない下世話な部分に神経を磨り減らさざるをえない。それが出版という仕事の知られざる裏側である。」

という部分は、まさしく本作りというものが、ただ本を作るだけでなく、そこに著者とわれわれ出版社の生活がかかっている訳で、その辺りの苦労で、いつも押しつぶされそうになっているのだった。

そんな仕事をどうこなしていくかといえば

「でも、実をいえば、こうした単調な手仕事の類が、ぼくは大好きなのである。新刊目録を折り畳むなどという単純労働がとくに好きで、四、五時間没頭してもまったく飽きない。」

と地味な作業に没頭して気分転換をはかったりするのは、私もまったく一緒だ。

そして辿りつく心境はこうなのだった。

「結局のところ、ぼくは本が大好きなのだ。本に囲まれた生活をつづけることさえできれば、家事をすることも、お金のない生活も、かなりな程度まで我慢できる。」

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