6月8日(土)河﨑秋子『愚か者の石』
河﨑秋子『愚か者の石』(小学館)読了。直木賞受賞作『ともぐい』には「熊文学」と記され目をひいたのだが、こちら『愚か者の石』には、「監獄小説」とあって、さらに注目なのだった。
時は明治十八年、瀬戸内巽は若気の至りで活動家として逮捕され、北海道の樺戸集治監に送られる。そこで出会うのは同じ囚人の大二郎。大二郎は場を和やかにするほら吹きの名人で、水の入った石英を隠し持っていた。
描かれるのはほとんど過酷な囚人としての暮らしだ。日々の汗みどろになる肉体労働に、メシは匂うような粗末な麦飯。牢屋の中では野卑な男たちがときに争うこともある。
それを感情をまったく見せることのない看守の中田が見つめている。
この三人による歪な友情小説ともいえるかと思うのだが、クライマックスまで息つく間もなく夢中になって読み進めてしまう。
河﨑秋子の作品はほとんど読んできたけれど、その中でもベストの一冊だ。借り物ではなく書くべきものが体内にある作家というものはすごいものだ。
それにしても木内昇や河﨑秋子といった直木賞作家の作品を薦めていると、北上次郎さんのお叱りの声が聞こえてきそうだ。
北上さんは直木賞獲った作家は、もう一本立ちしたとみなし、わざわざ自分が紹介する必要はないと、それまでどれだけ推していた作家であってもほとんど書評書くことがなかった。
ただ生前何度が議論したのだが(といってもまったく聞き入れてくれなかったけど)、今や直木賞を獲ったからといってそれほどたくさんの読者を得られるわけではないし、キャリアに関係なく良いものを書いた時はどんどんおすすめした方がいいと思うのだが、北上次郎という書評家は、役割を違うところに置いていたのだろう。
直木賞作家等を外し、玉石混交の中から光る石を見つけるためにはそれだけの本を読まなきゃいけないわけで、酒(サッカー)も家族も捨てられない私にはとてもできないことだ。
あの狂気あふれる書庫と生活を思い出すと、おいそれと本を薦めることが怖くなる。北上さんはまったくそんなことは気にしないだろうが、やはりもっと本を読まなければと思うのだった。