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8月4日(日)スズキナオ『家から5分の旅館に泊まる』

  • 家から5分の旅館に泊まる (スタンド・ブックス)
  • 『家から5分の旅館に泊まる (スタンド・ブックス)』
    スズキナオ
    太田出版
    2,090円(税込)
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介護の合間にスズキナオ『家から5分の旅館に泊まる』(太田出版)読了。著者が目指したように「疲れた自分が手に取れるような」旅エッセイだ。

スズキナオは、感情が激しく揺れ動く瞬間ではなく、そのタイトルになっている「家から5分の旅館」のような、まったく特別でない、それでいてそっと心がないだ瞬間を丁寧に書き起こしてくれる。

たとえば旅先で入った銭湯の番台でかけられた言葉や温泉たまごを作っている時にリハビリがてらに歩くおばあさんとの会話などだ。

その会話は挨拶程度のなんでもないやりとりである。決して励ましの言葉なんかではないのだが、人というのはそんな会話によって、心が軽くなる瞬間があるものだ。

何年か前、仕事か家族のことで頭と心がこんがらがってしまい、もうどうだっていいやと投げやりになっていた時が私にあった。もう死んだっていいやくらいに思いながら、通勤に向かう道すがらゴミ捨て場に燃えるゴミを捨てにいった。

そこで娘と同級生の孫をもつ、20年来の顔見知りのおばあさんと顔を合わせ、挨拶をしたのだった。たがいの子の近況を数分話したのだけれど、「いってらっしゃい」と声かけられた後の私の心はものすごく軽くなっていた。

あれは何だったのだろうか。私と仕事、私と家族以外の別の世界があるんだとまるで窓から外を眺め気づいたような感じだった。日常と非日常とまではいかないけれど、この世界ではないどこかという意味では「旅」と言ってしまっていいような感じで、この『家から5分の旅館に泊まる』にはそうした旅エッセイがたくさん詰まっているのだった。

今過ぎているこのどうでもない時間の中にもいつか大切に思う瞬間あるのだとスズキナオのエッセイは教えてくれる。本当に素晴らしいエッセイであり、旅行記だと思う。

スズキナオは令和のエッセイの名手だ。

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