9月16日(月・祝)「ラストマイル」
朝8時半に介護施設の車が迎えにきて、母親を見送る。開かない窓の向こうで笑顔で手を振る母親を滲む視界で眺める。
春日部から浦和まで、走って帰る。約15キロ。気温がいくらか下がっていたので、足取りも軽い。
自宅に帰宅後、シャワーを浴びて、妻と映画を観にいく。
家族間のLINEで、娘と息子が揃っておもしろかったと騒いでいた「ラストマイル」を観たのだった。飽きっぽい私が2時間夢中になってドキドキしながら観られるクライムサスペンスであり、お仕事ものでもあり、プロジェクトX的でもあり、たいへんおもしろかった。
それはともかく、上映前にウザいと思われるほど流す予告編や館内に貼られた12月上映の映画のポスターを見て、やっぱり本は時間が無さ過ぎるのかもしれないなあと思うのだった。
大半の本は校了から20日から2週間で店頭に並ぶわけで、発売前に販促にかけられる時間などほとんどない。キービジュアルと思われる装丁を広める時間すらなく、それでいて本屋さんに並べられても2週間くらいで、売れる売れないの判断を下されていくのだった。これで、本と出会えるなんてほとんど奇跡も同然だ。
さらに家に帰って、娘が買い求めていたパンフレットを眺めていたら、たくさんのオリジナルグッズが紹介されていた。
ステッカーにボールペン、作中で使われているネックショルダーストラップに名刺、さらにコンテナボックスまで作られているのだ(ネットで確かめたらすべて売り切れとなっていた)。この映画はヒットが予想され、予算をかけられたのかもしれないが、放映時にこれだけのグッズが用意されているのだ。
この映画を観て、この映画を好き(推し)と思った人の想いを受け止める装置が用意されているのだ。
数ヶ月前に雑誌「DIME」で、「 ヒット商品は「推し」が9割!」と特集が組まれ、その購買行動を「オシノミクス」と名付けられていた。
まさしくこれらグッズは、オシノミクスを狙った商品だろう。
出版物というか、たとえば小説の場合、おおよそどんなにその作品を好きになっても、その好きを伝え、表現することは、Amazonで星をつけるか、SNS等で感想書くくらいしかできないのだ。
例えば私は今、松永K三蔵の『バリ山行』(講談社)が大好きなんだけど、もし妻鹿さんのピックステッキのキーホルダーとかMEGADETHのTシャツや青いタータンチェックのマスキングテープが売られていたら買ってしまうだろう。
あるいは映画には必ずパンフレットというものが用意されているけれど、小説にもパンフレットがあってもいいかもしれない。著者インタビューに、編集者、校正家、デザイナーなど、本に携わった人たちのコメントが載った冊子が売られていたらファンとしては思わず買ってしまう。
好きなものにお金を使える喜びを用意してあげるのは、一冊の小説からいくつもの売上が作られることになるだろう。
翻って現在は慌ただしく本が作られ、慌ただしくお店に並び、慌ただしく返品になっている。グッズやらパンフレットなど作る時間などどこにもないのだった。
ならば現在の半分程度に刊行点数を減らし、その分、その一冊に時間と労力をかけた方がいいのではなかろうか。本来もっと売れるかもしれない本が、売れずに終わる。著者、出版社、書店、読者...みんながちょっとずつ不幸になっている気がする。
しかし、そもそもそんなことは以前から指摘されていることであり、それでも私は校了から2週間程度で本を販売し続けているのだ。
結局私も、「ラストマイル」で描かれる人たちと一緒で、止められないと思い込んでいるベルトコンベアーにのみこれ、働いているのだった。