10月22日(火)ドゥマゴ文学賞
昨夜は高野秀行さんの『イラク水滸伝』でのドゥマゴ文学賞の受賞式が、飯田橋の東京日仏学院で行われたのだった。
そこには高野さんの各社の担当編集者も駆けつけていたのだけれど、気づけば私はその中でほぼ最年長であり、しかも担当として最古参であることがわかった。
高野さんと出会ったのは船橋の居酒屋で行われた酒飲み書店員大賞の受賞式で、あれは2006年のことだった。今から19年も前のことだ。
『ワセダ三畳青春記』が酒飲み書店員になって重版がかかるまで、高野さんの本は一度も増刷されたことがなく、それでも本が出続けていたのは、その才能を信じきる編集者が集英社にいたからだった。
その人は堀内倫子さんといい、『ワセダ三畳青春記』は、その堀内さんの強力な執筆要請によって生まれた作品だった。刊行から3年が過ぎていた『ワセダ三畳青春記』は受賞をきっかけに重版をかさね、それに牽引されるようにして高野さんの他の著作も重版となり、気づけばこうしてたくさんの編集者が原稿を待つ作家になっているのだった。
私が高野さんの本を作るようになってからは、その堀内さんに恥ない本を作らなくてはと意識しながら本を作ってきた。ただ残念ながら堀内さんは2009年に他界され、胸を張って『謎の独立国家ソマリランド』の刊行を報告したのは墓前であった。
そして今、高野さんの担当編集者の最古参として私がいることになった。いや、なってしまった。
メルシャンのシャンパンに酔っていた頭が急にさめてくる。
今度は、ここにいる編集者に負けない本を作らなければならないのだ。『イラク水滸伝』よりも、『辺境メシ』よりも、『謎のアジア納豆』よりも、『幻のアフリカ納豆を追え!』よりも、『語学の天才まで1億光年』よりも、『世界の納豆をめぐる探検』よりも。