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1月27日(月)さらば京都
鴨川沿いを朝ランし、10時にホテルをチェックアウト。140Bの青木さんに京都周辺の本屋さんを案内していただく。
夕方、京都駅まで送っていただきお別れ。四日間大変お世話になってしまった。この恩をいかに返すべきか考えつつ、ふたば書房京都駅八条口店さんを訪問する。
横丁カフェで原稿執筆いただいている宮田さんにご挨拶。宮田さんとっても本好きでうれしくなる。
フェスのようなところで自分で本を売るのも楽しいけれど、やっぱり私はこうして書店員さんに本を売っていただくのがいちばん楽しい。
次回はゆっくりお酒を飲みながら本の話をする約束をして、新幹線に乗って帰宅。
1月26日(日)TSUTAYA尼崎つかしん店
日
京都から尼崎へ。「独特で面白い出版社フェス」二日目。
二日に渡ってTSUTAYA尼崎つかしん店さんの売り場にいるのだけれど、ますますこの本屋さんが大好きになっていく。お客さんが途絶えたとき、思わずお店を徘徊してしまう。とにかくこの本屋さんは、ふつうに、とってもよい本屋さんなのだ。
ふつうによい本屋さんとはなんぞやというと、あるべき本が、あるべき場所にある本屋さんだ。当たり前に聞こえて、これは難しいのだ。本があるためには、しっかり仕入れをしなければならないし、あるべき場所に本を並べるにはゾーニングがはっきりしていなければならない。
何度お店を徘徊しても発見がある。びっくりするくらいちゃんと本があって、ちゃんと並んでいるのだ。
こんなお店を作れる店長さんというのはただものではないはず、なのだが、店長さんはおおよそ40歳くらい。その若さでこれだけのお店を作れるということは、よほどよき上司に恵まれたのではなかろうかと思い話を伺うと、やはりそうなのだった。
とある老舗書店にいたベテランの書店員さんが転職してきて、一気に変わったそう。しっかり本を売るお店を作ると他の支店も含めてみな一丸となったらしい。
一緒に机を並べて本を売っていた版元営業の人に聞くと、そのベテラン書店員さんは西に⚫︎⚫︎ありといわれるほどの書店員さんだったらしく、いやはややっぱりお店は訪問せねば何にもわからないのだと深く反省し、そしてたいへんうれしく思ったのだった。
で、だ。TSUTAYA尼崎つかしん店の店長さんはその凄腕書店員さんから学んだだけでなく、おそらくたいへん人望のある方だと思った。なぜならこの手のイベントをするとよくわかるのだけれど、単に店長が版元と盛り上がってやっていると、当日お店のスタッフの人たちから冷ややかな目で見られたりするのだ。
しかし、このTSUTAYA尼崎つかしん店では、開店からイベント終了まで、お店のスタッフが率先して店頭でイベントのビラ配りをして、われらイベント会場まで案内してくださるのだった。
そんな姿を見たら出店している我々出版社もがんばらねばならないかけで、声をあげて呼び込みをし、来場されたお客様には熱心に本の説明をした。
その間を店長さんは走り回り、時にはお客さまを案内し、ときには配り切りそうになったチラシをコピーし補充していた。おかげで初日を終えると足を引きずりすっかりふらふらになっていたけれど、そんな店長さんをお店の人たちが愛おしそうに眺めていた。
イベントは大変楽しかった。本もたくさん売れた。
1月25日(土)独特で面白い出版社フェス
朝7時10分ホテルを出、一路、TSUTAYA尼崎つかしん店さんを目指す。本日より二日間「独特で面白い出版社フェス」と題してお店の入り口に机を並べ、10社の出版社が対面販売をするのだ。
初めて訪れたTSUTAYA尼崎つかしん店さんはたいへん広々とした店内に、あるべき場所にあるべき本があるというとても基本に忠実な本屋さんで、お客さんの目線でいえばとても頼りになる本屋さんであった。イベントなぞして本を売っている場合でなく、ここでじっくり本を買いたい!という思いがむくむく湧いてくるもののそれにフタをし、送っておいた段ボール二箱の本を机に並べる。
開店と同時にたくさんの人が本屋さんにやってきて、ファミリー層を中心にお店は大賑わい。わが本の雑誌社の売り場にも「本の雑誌」の読者の皆様がぞくぞくと顔を出してくださり深く感動を覚える。「大阪に来てほしいなあと願っていたんです」とまるで「本の雑誌」がバンドかなにかのように言ってくださる人もおり、令和の出版社というものを改めて見つめ直すきっかけをいただく。
なによりもいちばん驚いたのは、「杉江さん、覚えてますか?」と顔をだしてくださったTさん。Tさんは私が以前勤めていたときに大変お世話になっていた印刷会社の人で、覚えているもなにも、私の人生初ひとり出張は、30年前に大阪にあったその印刷会社を訪問することであり、そのときTさんはじめ多くの人にあたたかく迎えていただいたおかげで、私は出張が怖くなくなったのだ。
そして私は27年前、慌ただしく本の雑誌社に転職してしまったためきちんとご挨拶できず、それが心にずっと引っかかっていたのだけれど、Tさんは高校時代から椎名さんのファンであり、「本の雑誌」を読み続け、編集後記に記されていたこのイベントを知り、今日ここにやってきてくださったのだった。まさしくイベントの奇跡。
本が売れる売れないなんて二の次だ...なんて考えていたら、『酒を主食とする人々』が飛ぶように売れて、明日売る分がなくなってしまう。痛恨。
1月24日(金)元書店員は本屋の夢を見る
朝、10時東京駅発ののぞみ221号に乗車、本日から三泊四日の出張なのだった。メインは土、日にTSUTAYA尼崎つかしん店さんで行われる「独特で面白い出版社フェス」での出店で、その前後に関西の本屋さんを訪問するというスケジュール。
京都で下車し、親友である140Bの青木さんと落ち合い、早速、西へ移動。以前より訪問したかった
blackbird booksさん、toi booksさん、本のお店スタントンさんをご案内いただく。3店3様本当に魅力的なお店で、営業なんて関係なく、ただ客として訪問したいと願うお店だった。
夜、元書店員のNさんと食事。すでに本屋を退職して5年以上経ち、今ではすっかり社労士として独立開業し従業員4人も従え大活躍されているのだけれど、いまだに週に2回は本屋の夢を見るらしい。
それもお客さんに叱られている夢やレジ誤差がでて冷や汗を流すなどといった悪夢ではなく、ただただひたすら棚差しをして、心の底から本屋を楽しんでいる夢だそうだ。
こういう人が本屋を離れざるえなかった現状がつらい...と思ったけれど、今やどこでも本屋はできるわけで、社労士事務所の一角を本屋にすべしとアドバイスを送る。
1月23日(木)胸襟をひらく
午前中、前ナビプラ神保町編集部のMさん来社。神保町の楽しい話を伺う。
昼、小学館のTさんが、北村浩子さんのできたばかりの新刊『日本語教師、外国人に日本語を学ぶ』(小学館新書)を持ってやってくる。楽しそうに自身が作った本の話をされ、おまけにいただいた本にはさらに愛情たっぷりの手紙が添えられており、編集者たるものこうでなければと多くを学ぶ。
午後、『本屋、ひらく』を読んだとある団体の人が、書店と出版の現状を知りたいとなぜか私のところにやってくる。私の話を聞いてもなんの役にも立たないだろうと、掛川の高久書店さんはじめ実直に商売をされている本屋さんや人を紹介し、そちらで話を伺うようアドバイスする。
帰り際に「勇気をもって電話して良かったです。こんな初対面で胸襟開いてお話いただけるなんて本当にありがとうございます」と頭を下げられるが、人間関係というものは胸襟を開かないと相手も開かないのだった。それでも開かなければ、こちらも閉ざせばいいわけで、これは営業で教わった大切なことだ。
夜、お茶の水の丸善さんに寄って
神野知恵『旅するカミサマ、迎える人々 伊勢大神楽と「家廻り芸能」』(大阪大学出版会)
織田淳太郎『知的障害者施設 潜入記』(光文社新書)
NHKスペシャル取材班『新・古代史 グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権』(NHK出版新書)
砂原浩太朗『雫峠』(講談社)
を購入する。
1月22日(水)棚コンタクト
昨日サインを終えた『酒を主食とする人々』の直納ラッシュ。両手で40冊(12キロ)が限界かと思いきや、リュックに20冊が入ることが判明し、これにて60冊(18キロ)までの直納可能となる。
帰り際にお茶の水の丸善さんを覗くと、早速サイン本をどーんと並べていただいていた。昼に納品したときには担当のSさんが不在で、仕入の方に納品しておいたのだ。
直納したとしても仕入にお届けしたり、担当の方が休憩に出ていたりで、直接お渡しできないときもある。しかしこうして改めてお店に行ってみたらしっかりその日のうちに並べていただいていたり、SNSで入荷案内していただいたりして、そういう売ることを通じたアイコンタクトならぬ棚コンタクトが、私はとても好きだ。
1月21日(火)システムが人間を破壊する
アルバイトの鈴木くんと手分けをし、高野秀行著『酒を主食とする人々』を60冊持って、ジュンク堂書店池袋本店さんへ。昨日持って行ったのは事前にサインした本であり、今日はまだサインしていない本をお届けし、今日これにジュンク堂にて高野さんにサインしてもらうのだった。
1時半に高野さんがやってきて、事務所の机を借りてサイン。担当のAさんが熱烈な高野さんのファンでとても楽しい。
サイン終えると高野さんともども会社に戻り、果たしてここで待っていたのはそびえ立つ『酒を主食とする人々』山脈。その数、なんと700冊にサインしていただくのだった。
前回350冊サインしていただくのに3時間要したので、同じようにやっていると6時間かかってしまう。それではサインし終えるのに8時、9時を回ってしまうということで、本を開いて渡す人(鈴木)、受け取りハンコを押して合紙を入れる人(杉江)、サイン本の帯を巻いて箱に詰める人(浜田)と世界のTOYOTAのカンバン方式も驚く生産ラインを組み、高野さんにはサインすることだけに徹してもらうことにした。
ところがこれが逆に高野さんの負担を増やし、ただやみくもにサインするだけをしていたところ、200冊を超えたところで右手首が悲鳴をあげてしまう。高野さん思わず、「システムが人間を破壊する!」と叫んだのだった。
それ以降、いったん腰をかがめるなど無駄な動きも取り入れ、人間的営みでサインを続け、どうにか7時前に700冊をサインを終える。
これで高野さんには、先日と合わせて1050冊+ジュンク堂書店さんで100冊で合計1150冊にサインしていただいたこととなる。気づけば大変な負担を強いたわけで、高野さんの右腕が再起不能とならず本当によかった。
1月20日(月)『酒を主食とする人々』を運ぶ人
母親を介護施設に送り出し、春日部から出社。
デクスワークをこなした後、本日搬入となった高野秀行著『酒を主食とする人々』40冊を持って、ジュンク堂書店池袋本店さんに直納に伺う。
先日の刊行前イベントでは50冊持って会場に向かったのだけれど、50歩も歩けば腕がぷるぷるして一旦下ろし、そうして小休止を繰り返しながらしか進めなかった。それが10冊減った40冊なら問題なく運べる。『酒を主食とする人々』の1冊重さは約300グラムで、40冊なら12キロ、50冊では15キロということだ。日々ランニングして下半身は鍛えられているけれど、上半身はまったくの貧弱であり、12キロが限界ということだろう。ちなみに『謎の独立国家ソマリランド』は一冊680グラムだった。
ジュンク堂書店池袋本店さんの納品を終えるとすぐに会社に戻り、新たに『酒を主食とする人々』38冊、「本の雑誌」2月号5冊を持って、あおい書店春日店さん、往来堂書店さん、丸善丸の内本店さんと直納する。
その後、日本橋のタロー書房さんを訪問し、Sさんとお茶。大ベテランのSさんからこの50年の書店と出版社、そして取次の関係性について教えていただく。
1月19日(日)三回忌
目黒さんの三回忌。目黒さんが亡くなってから2年過ぎたということだけれど、この2年で痛切にわかったのは、僕は目黒さんが大好きだったということだ。
目黒さんと本の話をすること、目黒さんのしょうもない買い物の話を聞くこと、それがどれほどかけがいのない時間だったか。
そのかけがえのない時間の集積である『笹塚日記』を読んで過ごす。
1月18日(土)週末実家介護一年
脳梗塞を患い、左半身に麻痺が残った母親が退院してから一年が経った。それは私が週末実家介護を始めて一年が経ったということでもある。
当初は緊張のあまり一睡もできず、トイレで嘔吐を繰り返し、車椅子を押すのにも四苦八苦していたのだが、今では母親の着替えも、爪を切るのもすっかり慣れてしまった。
たいして介護の必要のない現状と母親の友達や介護施設の人たちのおかげと、そして母親の明るい性格のおかげで、笑いの絶えない一年だった。
絶対面倒を見ると決意した一年が過ぎ、今後どんな決断をしても私に悔いが残ることはないだろう。
1月17日(金)串揚げ
夜、書店員さんと新年会。
串揚げが人気のお店なので、オーダー表を手にした元書店員さんに、「頼むときは全部4人前ずつでいいですよ」と声をかけたのが間違いの元だった。まさか21種類4本ずつ、計84本の串揚げが届くとは。
「4人いるから頼むものを4本ずつ」という意味だったのだが、まさか全部のメニューに「4」という数字を書き入れ、店員さんにお渡すことになるとは考えもしなかった。買い切り書籍を一桁間違えて注文したようなものだ。
5皿に山盛りとなった串カツを前に言い合いをする。
「言われたとおりにしたんですよ」
「行間を読みなさい」
「一行ですよ」
記憶に残る飲み会となる。
1月16日(木)子育て終了
雪がやんで大喜びしていたのはあまりに早合点だった。雪がやんだら今度は道路が凍結するのだ。それは昨日の吹雪以上に慎重な運転を要するのだった。
とにかくこの恐ろしい状況から一分一秒でも早く抜け出したく、ハンドルを両手でがっちり抑え、なるべくブレーキを踏まずに息子のアパートに向かう。そして不動産屋さんに鍵を返すと、一路新潟に向かって車を走らせるのだった。
西に向かうに従って雪は減り、新潟市に入るとそこはもう南国のようだった。息子が最後にお寿司を食べたいというので、廻転寿司佐渡弁慶ピア万代店に行く。
生魚の食べられない私は、玉子とお稲荷さんと干瓢巻きを食す。それでも心底うれしそうに妻と息子がお寿司を頬張る様子をみているとこちらも幸せになってくる。お寿司は偉大だ。
レンタカーを新潟駅で返却し、新幹線に乗って、一路埼玉へ。
これにて無事息子卒業し、引っ越しも完了となる。以上を持って、私の子育ては終了。
1月15日(水)吹雪
朝、窓を開けた妻が、「やばい!」と叫ぶ。何かと思って外を見ると雪。いや雪どころではない吹雪だ。駐車場に止めた車は真っ白な塊となっており、10センチは積もっているのではなかろうか。最悪の事態である。
こんな中、車を走らせるのは無理!と思ったのだけれど、ホテルの前の国道7号線は何食わぬ顔をしたたくさんの車が走っており、どうやらこれくらいの雪では通常運行らしい。
といっても私はとても通常運行できるわけはなく、窓から吹雪に熱視線を送り、どうにか雪を溶かそうとする。しかし雪は私の熱視線に気づかずどんどん積もっていく。
朝風呂に入り、朝飯を食べて、朝酒を飲んで、そのままベッドに戻りたいところだけれど、今日は息子の部屋の清掃にいかなければならない。
「親」という漢字は「木の上に立って子供を見る」と金八先生が言っていたが、私の場合は「雪を乗り越え子供のところへいく」ということだ。親、やめたい。
行かねばならぬということで車を走らせるとさらに雪が強く降り出し、ホワイトアウト状態に。しかも追突を恐れて細い道を通ったのが大間違いで、道路には雪がしっかり積もっており、スピードを出すどころか車をまともに走らせることもできない。
のちにわかったのだけれど県道のような道にはセンターラインから終始シャワーで水が排出されており、雪を溶解、すっかり走りやすくなっているのだった。素晴らしい工夫だ。
選ぶはそちらの道だったのだけれど、ときすでにおそし。しかもレンタカーについた追突防止のセンサーに雪が付着しているようで、車が止まるたびにピーピー鳴り響き、もはやノイローゼになって道に迷ってしまう。
決死のドライブの末、どうにか息子の部屋に辿り着く。もう2度と雪道の運転は嫌だと思うけれど、部屋を掃除したらまたホテルに戻らなければならないわけで、気が重くなる。
どうにか宅急便に荷物を出しにいったり、郵便局に水道料金に払いに行ったりも済ませ、明日の不動産屋さんへ受け渡すまでの作業完了。
それを終えたとき、息子がぽつりと漏らす。
「おれ、もし子供ができたとしたら、こんなことできるかな」
いや、私だってできないと思った、というか、できればやりたくない。しかしやるしかないというか、そのときは腹を括ってパワーが湧いてくるのだった。
息子には何も返事をせず、そんなことを雪が舞う空を見ながら考えていた。
1月14日(火)引っ越し
夏休みをとり、朝、9時34分大宮発とき311号に乗って、妻と新潟に向かう。息子が専門学校を卒業するのでアパートを引き払いにいくのだ。
新潟駅で降りると心配していた雪はほとんどなく、レンタカーを借りて聖籠町へ車を走らせる。と、20分もすると道の脇には雪が堆く積もっており、新発田市に着くと歩道は足跡もまったくなく20センチ以上の雪で覆われているではないか。
本日は曇りおよび雨で道路の雪は溶けており、まったく不安なく車を走らせられるものの、もし雪が降ったらこんなに積もるということだ。そうしたら私は車を運転することができない...どうしたらいいんだ...と真っ黒い雲で気持ち覆われるけれど、起きてもいない最悪の事態を考えどんどんネガティヴになっていくのは私の悪いところで、なので雪のことは一切忘れ息子のアパートに向かう。
12時に着いた息子の部屋は、ほとんどすでに片付いているような、まったく片付いていないようなよくわからない状態で、とにかく妻と捨てるものをどんどん袋に入れていく。今後、息子はしばらく自宅で生活するため衣服以外はすべて捨ててしまってかなわないわけで、そういう意味では判断の必要がほとんどない。不要なものは車に積んで豊栄環境センターへ持ち込む。
2時半にはすべてを終え、息子が月一で食べるのを楽しみにしていたという網代浜の「たわら屋」にて昼食。息子が頼んだ「がっつり唐揚げ定食」の量に慄き、そしてそれをあっという間に平らげる息子にさらに慄く。息子の食欲はさらにこの2年で鍛えられているようだ。
地元のスーパー「ウオロク」で買い物をして、ルートイン新発田インターにチェックイン。明日までかかると思っていたことが1日で終わったので、とりあえず寿司のパック(妻)とどん兵衛(私)で乾杯。
1月13日(月)リアル辺境チャンネル
朝5時に起きて、昨夜NHK「ドキュメント20min.」で放送された「ふたりの、終われない夜」を観る。これは西村賢太さんから弟子として認められていたOLEDICKFOGGYの伊藤雄和さんが、ある日一方的に縁を切られ、その後会うこともなく亡くなってしまった想いを追ったドキュメントだった。
実は私はこのとき西村賢太さんから依頼され、「本の雑誌」の「この作家この10冊」の西村賢太さんの回を伊藤雄和さんに原稿依頼していた最中だったのだ。
ところがある朝起きると西村賢太さんからあの原稿依頼はなかったことにしてくれとメッセージが届いていて、〆切も迫っていたのでそれはないだろうと激しく憤りを覚え、これ以上ついていくことはできないと、この日を境に縁を切り、連載の担当を浜本に押し付けてしまったのだ。
私もいまだ「終われない夜」を抱えているのだった。
6時20分に家を出て、高野秀行さんの新刊『酒を主食とする人々』のイベントに向かう。
暁の空を眺めながら、気づけば口をついて鼻歌がこぼれおちている。
♪神様お願いですから この本を売ってください
♪神様お願いですから この本を一人でも多くの読者に届けてください
昨日会った高野さんは、原稿が上手く書けないときにはもはや起きているのか寝ているのかわからないくらい考え続けており、寝ているときでも原稿のことが突然浮かぶことがあると言っていたけれど、私は24時間本が売ることを考えているのかもしれない。
会社に立ち寄って、50冊16キログラムの本を抱えて、会場である曙橋の東長寺に向かう。
すぐにAISAの渡社長、高野さんもやってきて会場設営に勤しむ。
今回は本の発売前にイベントをするというなかなか異例なイベントなのだが、受付と同時に新刊をプレゼントしており、席に着くと同時に著者と編集者の前で、みなさんすぐに本を開いて読み始めるという胸熱な光景が生まれたのだった。
あっという間にイベントスタートなり、トークイベントに飲み会と無事終了し、昨日に引き続き、生きててよかったと思える時間を過ごす。
1月12日(日)サイン本作成
朝、6時20分に家を出、7時30分に会社に着く。
なぜに3連休の真ん中に出社しているのかというと、高野秀行さんに来社いただき、新刊『酒を主食とする人々』にサインしていただくのだった。
さらにそれでもそんな朝早く出社する必要があるのかと思われるかもしれないが、本日350冊の本にサインしていただくので、本を並べたり、ペンを用意したり、いろいろとセッティングする必要があるかだった。
ところが鍵を開けて会社に入ると、作業机にすでに本が並べられており、ペンも合紙もすべて用意されていたのだ。
先週金曜日、私は大竹聡さんとの打ち合わせがあり直帰しているからこの用意は私がしたものではない。
ならば誰がやってくれたのかといえば、事務の浜田なのだった。
準備万端のおかげで、滞りなく高野さんにサインしていただき(それでも2時間半かかった)、1時過ぎに無事終了する。
高野さんが帰ったあと、ファミリーマートで買ってきたカップラーメンをすすりながら、今、おれは一番幸せな時間を過ごしているかもしれないと、ひとり会社で遠くを見つめる。
三省堂書店、丸善に寄って本を買って帰る。
町田康『俺の文章修行』(幻冬舎)
戌井昭人『芥川賞落選小説集』(ちくま文庫)
中村禎里『日本動物民俗誌』(講談社学術文庫)
1月11日(土)束の間の休み
明日明後日と仕事があるため母親は介護施設に居てもらい、本日は自宅でゆっくり過ごす。
浦和美園のイオンに行き、その後15キロ走る。
1月10日(金)著者校
オンラインで座談会を収録してから11時半に出社。
酒飲み書店員大賞以来、高野秀行さんの本を推し続けている書店員Tさんの勤務先、あおい書店春日店に『酒を主食とする人々』の見本を届けにいく。
会社に戻ってくると同時に高野秀行さんから連絡あり、神保町にきたので無事本が出来たお祝いをしようと「ミロンガ ヌォーバ」で待ち合わせ。ビールにて祝杯。「いい本ができると酒が美味いよね」という言葉を聞いて、肩の荷がひとつ下りる。
しかしそれは編集者の肩の荷であり、私の場合はこれからが本当の勝負であり、営業の肩の荷は今、背負ったところなのだった。
高野さんと別れた後、新宿三丁目に向かい、大竹聡さんから『酒場とコロナ』の著者校を預かる。「鳥田むら」「ふらて」とハシゴして飲み、著者校を絶対無くしてはならぬと気を張って帰宅。
1月9日(木)連続打ち合わせ
本日は一分一秒争うほど予定がぎっちり。企画会議も事前に用意しておいた特集を提出し、15分で終わらせる。
その後、『酒を主食とする人々』の事前注文〆作業をし、すぐさま会社を飛び出し、麻布台ヒルズの大垣書店さんへ。
大垣書店さんが加盟する大田丸という12書店128店舗の団体で『本を売る技術』の矢部潤子さんの講演を頼まれ、その打ち合わせをするのだった。
打ち合わせは滞りなく終わるも実はまだ打ち合わせが控えており、一階のペリカンカフェに移動し、トーハン・コンサルティングからこちらも矢部さんに依頼のあった講演について話し合う。
これで今日が終わればいいのだけれど、ここから赤坂の博報堂に移動して本屋大賞の会議なのだった。
その会議が終わったのは夜9時半過ぎ。さすがに疲労困憊で帰宅。
1月8日(水)恩返し
伊野尾書店さんに高野秀行さんのおすすめ本フェアの冊子を届け、その足で駒込に移動。BOOKS青いカバさんに「本の雑誌」2月号を納品する。
巣鴨にある目黒さんのお墓に500号の報告をしにいくつもりだったのだけれど、仕事が山積みになっており、仕事を優先したほうが目黒さんへの恩返しになるだろうと判断し、会社に戻る。
1月7日(火)500号
1月6日(月)仕事始め
東武伊勢崎線武里駅より2025年の仕事は始まる。
昨日観た大間のマグロ漁師の番組で、「人生をマグロに賭けた鉄人」と呼ばれるカリスマ漁師・山﨑倉氏は、「やれることは全て自分でやる」と言っていた。2025年の目標をこれに決める。
出社し、新年の挨拶。その後、高野秀行さんの新刊『酒を主食とする人々』の特別付録作りに勤しむ。
こんなものを作ったところで意味はないかもしれないけれど、少しでも売上に影響するかもと思ったことは、「全て自分でやる」のだ。そしてすぐに結果がでなくても、「やり続ける」のだ。
昨日読み終えた早乙女宏美『ストリップ劇場のある街、あった街』(寿郎社)には、「寿郎社の出版案内」「読者ハガキ」に「JUっ!」というスタッフ一同が執筆する冊子までが挟み込まれていた。
仕事とは、こういうことだ。こういうことをやらなければならない。やり続けなければならない。
1月5日(日)『ストリップ劇場のある街、あった街』
午前中、父親の墓参りと車椅子を押しての散歩。
午後は、早乙女宏美『ストリップ劇場のある街、あった街 浅草・新宿・船橋・札幌の〈ピンク文化〉とそれを支えた人びと』(寿郎社)を読んで過ごす。
「S&Mスナイパー」に連載していた原稿に大幅に加筆修正、書き下ろしで「札幌」を追加した本書は、ストリップの歴史、日本の風俗史、そしてストリップ劇場のあった街の様子が克明に綴られていて、まずそれに夢中になってしまう。
さらに著者本人が元踊り子ということで、ときおり語られる体験談や心情が文章に活力を与え、ストリッパーという仕事やその誇りも教えてくれる。ルポルタージュ好きや街ノンフィクション好きは必読の一冊だ。
また同じ本作りをしている人間としては、カバー、表紙、スピン、花ぎれ、版面とすべてが百点満点で、読書始めとして大満足。こういう本を作れるようになりたい。
1月4日(土)お年玉
介護施設へ母親を迎えに行く。仕事始めよりひと足早く介護始め。
大晦日や元日を施設で過ごしたことに特に不満な様子もなく、真っ青な空を喜んでいる。
「俺も行くよ」とついてきたわが息子に母親がお年玉を渡している。そのお年玉は私が用意し母親にこっそり渡したものなのだが、孫にお年玉やお小遣いをあげるのが母親のいちばんの喜びなのだった。
夕方、父親の墓参りと備後須賀稲荷神社へ初詣。お賽銭を投げていると母親の友達がやってくる。そのまま家に上がってもらいお茶。
夜ごはんにおせち料理とお雑煮を食べていると、餅を喉に詰まらせて二人死亡というニュースが流れる。
1月3日(金)鍵落とす
仲良くバイトに向かう娘と息子を車で送り、家に戻ってすぐランニングへ。
身体が軽く10キロを超えて15キロ走って自宅が見えたところでポケットをまさぐり、まるで腹が減った時の井之頭五郎のように呆然と立ち尽くす。
鍵が、ない。
あー! 確信はもてないが、走り始めにハメていた手袋を一旦身体が暑くなり外し、残り3キロほどでまた寒くなって装着しようとポケットから取り出した時に落としたのだ!
とりあえず家に戻りたい。そして自転車に乗ってランニングしたコースを逆戻りせねばならない。
しかし玄関を開けてもらうためにピンポンを押せば妻に事情を話さねばならないわけで、そうすると別の問題が巻き起こる。
そこからの記憶はあまりないのだけれど、冷え切ってしまった身体で、走るよりゆっくり自転車を漕ぎ、脱走兵を追うサーチライトの如く視線を動かし、走って道を辿って戻った。
そして予想したポケット再装着地点の歩道で、アマゾン奥地の川底から拾い上げられた黄金かのように鍵は燦然と輝いていたのである。
昨日ひいたおみくじの「失物」の欄には、「低き処よりいず」とあったが、まさにその通り。中吉万歳。
夕方、三日連続バスに乗って浦和に出る。バスにはキャリーカートを引きずる乗客が多く、バス停には手を振って見送る人たちがいる。
浦和レッズ観戦仲間と浦和駅前の「魚や一丁」にて新年会。2025年の浦和レッズに関して三時間語り合う。
1月2日(木)中吉
朝、起きると気分爽快。やはり気圧か更年期だったのだろう。
日の出からランニング。10キロ。極寒。
姉弟揃ってアルバイトに行く子供たちを車で送り、妻と浦和の調神社へ初詣に向かう。
てっきりバスで行くのかと思ったら、運動不足の妻が歩いていこうと言い出し驚く。こちらは運動過剰なのでバスで十分なのだが、ここで反旗を翻すと初詣で祈る前に家庭円満が家庭不和に転換してしまうため、妻について歩き出す。浦和駅まで50分。そして調神社まで10分。さらに参拝の行列に並んで30分。なかなかのアトラクション。
おみくじをひくと「中吉」。
「梅の花かをのみ袖にとどめおきて わが思ふ人は音づれもせぬ」
とあり、
「なすすべもなく意気銷沈。好機到来とばかり前後を忘れ進めば実のならぬ日蔭の花。心を正しく腰をすえ落着いて進めば思ひの他の幸運が授かる。」と記されていた。
中吉なのになぜ「意気銷沈」なのか。意味がわからないが、とにかくはしゃがず落ち着いて仕事をしろということだろう。
下の方に待人やら商売やら出産というカテゴリーごとの占いも書かれているが、どうしてここに介護がないのだろうか。「介護 そろそろ報われる」とかあってもいいのではなかろうか。おみくじも高齢化社会に対応すべし。
伊勢丹のデパ地下を徘徊し、PARCOのヤオコーで買い物。帰りはバスで帰宅。
夜、娘と息子を迎えに行き、ホットプレートを出して焼肉。久しぶりに焼くのが追いつかない焼肉をする。家族がたくさん食べる姿を見るとなぜにこんな幸福な気持ちが湧いてくるのだろうか。もしかしてこれもマッチョなのだろうか。
「PERFECT DAYS」をもう一度観る。初見時、前半、というか半分を越えたところで、このまま何も起きずにいってほしいという願望と、さすがになにか物語が動き出すよなという期待が私の中でせめぎ合っていたことを思い出す。
結果は、映画だから当たり前だけれど、物語は動き、主人公のバックボーンや未来がいくつかの出来事で掲示され、そのおかげで私の頬にたくさんの涙があふれたのだった。
しかし、もしかするとあのまま何も起きなくて涙はあふれたかもしれず、そうなるとこの涙はいったいどこから湧いてきたものだったのだろうか。
映画にしても小説にしても何も起きない物語というのはなく、どうしても映画的、小説的なにかが起こってしまう。
主人公がこのリアルで美しい東京の下で、ただ日々トイレの清掃をして、決まった店で飯を食い、カセットテープで音楽を聞き、昼に写真を撮るのを楽しみにしてる...という映画も観てみたかった。
Apple Musicのプレイリストでサントラを作る。あんなにカセットテープが魅力的に描かれていた映画を観たのに、結局Apple Musicを使って、いい時代になったなと思ってる自分に笑う。
1月1日(水)スキンケア元年
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
家族でおせち料理を食べた後、息子とバスに乗って浦和に出、京浜東北線でさいたま新都心で降りる。そこから歩いて北与野のサッカーショップ「フタバスポーツ」へ。大混雑の店内にて、スパイクマニアの息子は「試履き(しばき)スパイク」の放出セールからプーマのスパイクを購入。
その後、コクーンシティに行き、ABCマートで妻へのお年玉としてスニーカー(ニューバランス)を購入し、ユナイテッドアローズグリーンレーベルにて私のスニーカー(adidas Originals)を買い求め、帰宅する。
息子と肩を並べて歩きながら、くだらないことを言い合っていると、高校時代に友人たちと放課後に遊んでいた頃を思い出す。
夕方、気圧の関係か急激に鬱っぽくなり、ランニングをとりやめる。
あまりに顔のシミがひどいので、2025年はスキンケア元年とする。歳をとるということはそれだけで醜いことであり、ファッションも含めてこれまでの何倍も気をつけなければならない。まさに伊東聡『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』(平凡社)だ。
風呂上がりビタミンパック、ローション、ホワイトエッセンシャル、と顔中をベタベタにして、早めの就寝。
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杉江由次 著作紹介
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- 『サッカーデイズ』
- 小学館文庫
- 2016年2月上旬刊行
- やりたいことはただひとつ。子どもとサッカーがしたい。父と娘の熱くて愛おしい日々を綴るエッセイ、待望の文庫化。
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