4月9日(水)2025年本屋大賞発表会
本屋大賞発表会。晴天。桜も満開。
過去一番の来場者数で、会場の隅までぱんぱん。第2回目の神楽坂・日本出版クラブで開催し、人が多すぎて会場から「もう勘弁してください」と言われたことを思い出す。
滞りなく発表会は終了し、怒涛の片付けの後、打ち上げは「魚民」、二次会は「目利きの銀次」で、10時過ぎまで実行委員の人たちと本屋大賞と本のことを語り合う。
驚いたのは有志で発表会の手伝いにいらしてくれた10代の書店員さんが、子供の頃から本屋大賞が好きすぎて大学生になったら絶対本屋でアルバイトすると決めていたという話だった。
本屋大賞受賞作が好きというのはわかるけれど、本屋大賞自体が好きとはどういうことなんだろうか。私が特定の選手が好きなわけでなく浦和レッズを愛するように、われわれ本屋大賞から何かしらのアイデンティティを感じ、いわゆる「箱推し」の対象になっているということだろうか。
他にも若い書店員さんがたくさんお手伝いに来てくださっており、すでに生まれた時には本屋大賞があった世代(誰かが「本屋大賞ネイティブ」と呼んでいた)が書店・出版業界で働き出しており、そもそももはや書店・出版業界で働いている人たちの大半が、本屋大賞ができてから入社した人たちなのだった。
22年というのはそういう年月なのだ。この22年の間には東日本大震災があり、コロナもあり、中止にするかどうか議論したり、ソーシャルディスタンスをとって超少人数で怯えながら撮影して録画発表したこともあった。10回を終えた時にもう役割をまっとうしたのではないかと解散を真剣に検討したし、私の娘と息子は成人し、父親は亡くなり、母親は脳梗塞で半身不随になって要介護4になった。
本屋大賞を続けてきてよかったとしみじみ思う。本屋大賞が毎年あるって、やっぱりいい。
家に帰り着いたのは12時過ぎだった。角を曲がると暗闇の中にリビングの明かりが灯っている。毎年、本屋大賞の日は帰宅するまで起きてくれているのだ。
今日だけは、「おかえり」ではなく、「おつかれさまでした」と妻と娘が迎えてくれるのだった。