8月24日(日)週末介護の日曜日にはスズキナオの本を読む
本日も激暑。防災無線で熱中症の予防を呼びかけている。お墓参りも散歩もあきらめ、母親の見守りという読者タイム。
実家での介護が始まってから、おおよそ1000冊くらいの未読本を自宅から運んできている。実家は私が20歳過ぎたときに建て直しており、当時バブルの絶頂にいた父親から部屋を好きなようにしていいと言われた私は、屋根裏部屋を作り、天井も壁も全部丸太小屋に見えるよう板張りにし、さらに壁一面を造り付けの本棚にしたのだった。
その本棚にはもちろん本がぎっちり収めたまま家を出たのだけれど、半世紀過ぎてみればもはや興味の対象ではない本も多く、介護が始まると同時にほとんどを整理し、その空いた棚にわが愛おしの積読本を並べているわけだ。
介護という時間だけはある中に身を置いて過ごしていると、その日の自分の気分というものを見つめることになり、さらにその都度改めて興味をもつものを考える。これは掛け算であり、無限の回答が必要だ。その無限の回答こそが積読本であり、今日はそんな積読の棚からスズキナオさんの『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)に手を伸ばす。
土曜日曜と何もできず実家にこもっているとなんて無駄な時間を過ごしているのだろうと焦燥感に駆られることがある。SNSを見れば旅行している人もいれば、本屋に行ってる人もいて、そして美味しいものを食べている人もいる。
世の中からひとり取り残されているような気持ちに支配されそうになったとき、スズキナオさんの著作はとてもいい。激しい喜怒哀楽がなく、誰とも比較せず、平坦な気持ちのなかで、おかしみが湧いてくる。
スズキナオさんの著作に『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(スタンド・ブックス)という著作があるが、私は「週末介護の日曜日にはスズキナオの本を読む」という感じ。
もしかするとスズキナオさんの本は、入院している人にもぴったりかもしれない。