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2月2日(月)本の雑誌動乱録 その1

本の雑誌社に入社したのは1997年の10月だった。日付までははっきり覚えていないのだけれど20日前後だったと思う。17日かもしれない。曜日はしっかり覚えていて月曜日だった。なぜ曜日を覚えているかというと前の週の金曜日まで別の出版社で働いていたからだ。

私は医学書の、しかも歯科だけを専門とする出版社で働いていた。こう書くと一般性がないので本の雑誌社以上に小さな零細出版社を想像されるかもしれないが、その歯科の出版社はドイツに本社があり、サンフランシスコやサンパウロにも支社がある世界的出版社だった。私が勤めていた日本法人も雑誌を5誌だし、社員が40人くらいいる出版社としては中規模のそれなりと大きくしっかりした会社だった。

そして私はそこの仕事に満足をしていた。満足というか、大学に行っていない自分が出版社で働けていることだけで充分だった。インプラントとかエンドペリオとか補綴とか自社で出している本が何を言ってるのかさっぱりわからなくても、夢だった出版社で働けているだけで幸せだった。神様にも仏様にも感謝していた。本来は雇ってくれた社長に感謝すべきだが、当時は若気の至りで思い浮かばなかった。

もちろん慣れぬ営業で苦労もあったが、先輩や上司も個性豊かな人ばかりで、私にとってそこは『新橋烏森口青春篇』であり、『銀座のカラス』だった。

そんな会社に勤めて三年半が過ぎ去ろうとした頃、朝日新聞を眺めていた妻が奇声をあげた。それは確か夏、8月の終わりか9月の初めのことだった。

「ねえ! 本の雑誌社が求人募集しているよ!」

本の雑誌社といえば椎名誠の会社。私の本棚には椎名誠の本がずらりと並んでおり、最も憧れている、いや当時の私は椎名誠になりたいと思って生きていた。狭いアパートの玄関には折り畳みカヌーとパドルが鎮座していた。

妻が差し出す新聞を見ると住み込み可の求人のような小さな小さな枠にたった4行の一切の余白のない広告が掲載されていた。

「出版営業35歳位迄10月中旬入社
20日迄歴送細面◇中野区4-52-14
中野南台ビル1F京王線笹塚歩10分
(株)本の雑誌社」

今なら言えるがひどい求人広告である。給料どころか勤務時間も休日も書いておらずそういうことは面接で伝えるというのである。

そして大切なことは伝えないわりに9月20日までに履歴書を送れ、10月中旬には入社しろという無理難題を課している。その割に京王線笹塚駅から徒歩10分と妙にここだけは親切なのである。徒歩10分を誇っているのか、結構遠いですよと拒んでいるのかよくわからない。その9文字を待遇か勤務時間に充てたらよいのではないのか。

今だったらこんな一見ブラック企業の求人に応募することはないだろうが、26歳、新婚ホヤホヤの私には「本の雑誌社」という文字しか目に入らなかった。本の雑誌社=椎名誠、書類審査が通れば、憧れの椎名誠に会えるかもしれない。会えたらあやしい探検隊のドレイを志願して、日本中を一緒に旅するのだ。

サンダル履きでコンビニに履歴書を買いにいくと、すぐさま経歴などを書き上げ、三年前に撮った証明写真を貼って、真っ赤な郵便ポストに投函した。

私は本の雑誌社で働きたかったわけではなく、椎名誠に会いたかっただけだった。なにせ「本の雑誌」は、記念の創刊100号しか読んでおらず、読んだといっても特集のベスト100を眺めただけで、あとは正直よくわからなかった。そう、私はそこまでの本読みではなかったのだ。

日々の仕事に追われ履歴書を送ったのを忘れた頃、一通の封書がアパートに届いた。封筒には本の雑誌社と印刷されており、慌てて中を開くと、書類選考を通過したので面接に来てくれと記されていた。

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週末実家介護を終え、春日部から出社。

昼にAISAの小林渡さんがやってきたので「みさち家」でランチ。いつの間にか唐揚げ+αのセットが1100円になっており、神保町もランチ1000円超えが当たり前になって来た。

昼飯を食べることもままならず。本を買うこともままならず。

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