9月6日(日)であいもんと鴨葱書店
週末実家介護の唯一の息抜きは、母親の寝ている早朝に家を抜け出し、近くのセブンイレブンへコーヒーを買いに行くことだ。
朝のコーヒーが美味しいのはもちろんのこと、その往復5分程度母親から解放されること、セブンイレブンの寡黙な店員と相対することでこの世が私と母親だけではないと思い出させてくれる。
紙コップにフタをして、こぼさぬように注意し、手のひらから伝わる温もりを感じながらまた実家に帰る。このままどこか別のところへ抜け出したくなる気持ちをぐっと堪え、鍵を開けて玄関を入り、30年前自分の部屋と呼ばれた場所に戻る。
目はすっかり覚めており、手元には湯気の立つコーヒーがある。母親が起き出すまでまだしばらくあるが、もう一度眠ることはない。するのは読書だ。
ページを開いたのは佐藤洋一郎『京都の食文化』(中公新書)。この数年、京都で本を売るイベントに参加することが多く、私は京都の鴨川をはじめ落ち着いた街並みにすっかり魅力されている。母親と義母の介護から解放されたら、移住を目論むほどで、先週は妻と娘にも京都を気に入ってもらうと、家族で旅行に行ったのだった。
中公新書だし、難解な本だったらどうしようかと読み始めた『京都の食文化』はまったくそうではなく、平易な文章と具体的な話が続き、私が知りたかったまさしく「京都の食文化」と歴史が綴られており、夢中になって読み進む。すると、サトイモとタラの身を料理した芋棒の説明で、こんな一文に出会った。
「このような絶妙な取り合わせのことを京都の料理人たちは「であいもん」と呼んでいる。であいもんとしてはほかにも、昆布とカツオのあわせだし、うなぎとキュウリの「うなきゅう」あるいは「うざく」、「鴨葱」こと「鴨と白ネギ」など、それこそ枚挙に暇がない。」
『京都の食文化』を購入したのは、その「鴨葱」を店名にした鴨葱書店だった。
どこか人を食ったような店名を、なぜに店主の大森さんがつけたのか。ずっと不思議に思っていたのだけれど、「であいもん」という意味なら腑に落ちる。
鴨葱書店の棚は、本のジャンルや意味にとらわれず、どこか言葉遊びのように並べられている。先日の訪問のときも確か「水」のようなくくりのところで思わず笑ってしまう本が並んでいたのだ。鴨葱書店の棚のおかげで手にとった本は多く、まさしくこの『京都の食文化』もそうだった。
ふと気になって、鴨葱書店のホームページを開いてみる。そこにはこんな文章が記されていた。
「どこかに出かけるとき、一緒に連れていきたくなるような。
なにかに挑戦するとき、そっと背中をおしてくれるような。
鴨葱書店は、心を丈夫に、そしてのびやかにしてくれる、そんな言葉に出会える場所でありたいと思っています。
京都駅から歩いて少し。鴨川からもほど近い、東九条の入り口に佇む小さな本屋で、「ハレ」と「ケ」の本たちとお待ちしております。」
鴨葱書店はまさしく、「であいもん」の本屋さんだったのだ。






