第7回 埼玉のホタルのわらべ歌

 ちょうど今のレコード会社に移ってまもないころだったと思う。私は埼玉のホタルのわらべうたで大層美しい曲をみつけた。
それは、一般に知られる「ほ、ほ、ほたるこい」で始まる歌とは全く異なる旋律と抒情を具えていた。そのとき、私の担当だったSさんが
埼玉出身だったこともあって、私は少し興奮気味に、この歌の発見を報告した。するとSさんの反応は次のようなものだった。
「いやー、埼玉にそんないい曲はないでしょう」
この言葉には、何事も二流の東京のような、という埼玉県民の自虐交じりのイメージがしみついている。しかし、それはこれだけ東京になにもかもが集中し、人口も集中してしまったここ一世紀ほどの話で、当然ながら民俗や伝承などについて「いやいや埼玉だから」と卑下するような必要はどこにもない。
 私がこの埼玉のホタルの歌に惹かれたのは、メロディの美しさもさることながらその詩の世界観が素晴らしかったからだ。

 あの山に光るものは月か星かホタルか
 月ならば拝みましょうか
 蛍ならばお手にとる お手にとる

 あの山に光るものは月か星かホタルか
 蛍ならば袋にとりて
 観音さまに供えましょう 供えましょう

 近所の玉川上水では毎年夏にホタル祭りが開かれる。かつてはこの上水にも舞っていただろうホタルが、大量に放され、都会にいながらホタルの光に触れることができる。
 東京の人間にとってはなかなか貴重な機会でもあり、毎年沢山の人でにぎわう。一昨年子供たちと上水沿いを歩いたときも沢山の光を見ることができた。上水沿いの木々や草に止まって光るもの、ゆらゆらと上水の闇を飛ぶもの、人工的にセッティングされた状況ではあるけれども、その光はどこまでも幻想的だった。ふと、一匹のホタルが空の方に飛んでいったのを、目で追ってみて、あっと驚いた。蛍はまるで夜空を無音でなめらかに移動する人工衛星のように見えたのだ。つまり、それは星の光にどこまでも似ていた。もしビデオでその様子を撮影してストップモーションをかけたなら、その光は完全に夜空の星のように見えたことだろう。
 だから、この歌の「月か星かホタルか」というフレーズに出会ったときも、誇張ではなくリアリティのあるものに感じられた。月の光も星と比べれば大分大きいが、もし夜の山のうっそうとした木立の下から、梢や葉の間からもれる光をかすかに感じるのだとすれば、あながち誇張の表現とばかりもいえないかもしれない。
 そして、シンプルに心が震えるのは、昔の人の信仰心の深さである。人々は月を愛し、観音さまにホタルの光を供えていたのだ。わらべうた研究者の松永伍一は民衆と月について次のように述べている。

 民衆は太陽より月に親しみを多く抱いてきた。太陽の恵みなしには作物がとれないことを充分知っているにもかかわらず、満ちたり欠けたりする月に思いをつなぎながら、うたをうみ祭をつくりだしてきたのである。
 比喩にたけた民衆は「暗い気持ち」を「心は闇」と言った。闇はきらいであった。それは闇にたとえられる暗い気持ちを知り、そこから抜け出すことを願い続けていたからだった。彼らにとって「闇」の反対側にあるのは「白昼のまぶしさ」ではなく、闇からようやくのがれた「月明り」のほのかな明るさだったのである。
(松永伍一『定本うたの思想 唄の救い・歌への挑戦』昭和45年)

 太陽を見つめることはできないが、闇の中で光る月はじっくりと向き合うことのできる友達であり、心の拠り所となり得る。娘たちを自転車に乗せて月の夕暮れに走ると、子供たちはみんなやはり不思議がるのだ。
「どうしてお月さまはついてくるの」
自転車はゆっくりこげばゆっくり、急いでこげば急いで月はついてくる。
「どうしてだろうね、多分さきちゃんのことが好きで気になるからついてくるんじゃないかな」と言うと
「そうかー、私のことを好きなのかなあ」と嬉しそうに笑う。
 信仰心のなくなった現代の人間も、月に親しみを覚えるのは変わらない。加えて、昔の人は満月よりも十三夜や十七夜など、欠けた月の美しさにも心惹かれた。十七夜や二十三夜などの月待ちは、欠けていく美への憧れを表しているとも言われる。月待ちには出店が出、人々は飲み食いをしながらのんびりと月の出を待った。単なる鑑賞の意味に加え、そこには観音、阿弥陀菩薩、勢至菩薩が月と共に来迎するという考えがあった。まさに願い、祈るために人々は月を待っていたのだ。袋にとったホタルを持ち帰るのでなく、観音さまのところに置いてくるというのも美しい。路傍の石仏は、うっすらと集められたホタルのわずかな光で闇の中その輪郭を見せただろうか。

 あの山に光るものは月か星か蛍か。同様の歌詞を持つ歌は多い。長野隆之はこのホタルのうたの類歌の歌詞について分布の仕方を検討し、地方によって田植え唄、てまり唄、盆の行列遊びで歌われた盆々歌などさまざまな伝わり方をしてきたことを明らかにした上で、東北地方と中国地方に残る田植え唄が直接的な関係を持っていた可能性を指摘している(「民俗歌謡の分布 -「向かい山で光るもの」を事例として―」『国學院雑誌』第106巻第12号、2005年)。

ソーレナヤーハエ 西根山に光るものは 月か星か蛍か 
ソーレナヤーハエ 月でない蛍でない お田の神さまのお燈明だ
(岩手県紫波町 田植踊り歌)
大山山で 光るは
アラ 月か星か 蛍か
植田の中に 立つのは
アラ 田の草取りか 鳥追いか
どんどらどんと どなるは
アラ 前の川の瀬の音(鳥取県倉吉市大栄町 田植唄)

 田植歌と聞いて思い出すのはウサギの耳が歌われる歌だ。畝や谷の様子を知りたいから耳が伸びた、とする中国地方の歌は田植え唄にさかのぼれるともいう。中国地方には東北と同様、古い歌の形が残っているのだ。それでも、詩の内容の分布と歌の種類は必ずしも同じ地方だからといって一致せず、日本列島における民俗歌謡の分布は、ひとつの基準をもって把握することはできないと長野は言い、柳田国男でさえその分類方法に無理があり、一筋縄でいかない作業であったことを指摘している。
 長野も説明できないだろう、歌の広がり方を私も島根のわらべうたを調べていて感じた。それは、埼玉東松山の蛍の歌と限りなく近い美しい歌を、隠岐の島本島に伝わる歌の中に見つけたのだ。驚きだった。歌詞の似たものは広く分布しているなかで、メロディが重なるものはずっと見いだせなかった。埼玉の蛍の歌の美しさの稀有さは山田耕作も注目したようで、埼玉のわらべ歌として紹介している。しかし全く似たような歌が遠く離れた隠岐島に伝わっている。これは、まったく一個人の移動による伝播の形なのだろう。陸路で伝わったものでないことは確実だろう。埼玉という海のない県から、北の島へと伝わったのか、はたまたその逆なのか。埼玉のわらべ歌を端から調べていたときにこの歌を見つけた驚きを思い返すと、あるいは隠岐島発祥の歌か、という気もするのだが、いずれにせよ、隠岐と埼玉の間を船が運んだ歌、と言えそうだ。
 この二つの歌を松江のライブで歌ったとき、会場に隠岐出身の人がいた。そして終わったあと、「隠岐のバージョンがやはり懐かしいような、しっくりくるような感じがしました」と伝えてくれた。極端に言ってしまえば、「しっくりくるような感じ」がしてもしなくても、どちらでもいいのだと思っている。ただ、そうやって故郷の歌と他所の歌と、異なる響きに耳を傾けて、聞く人が何かを感じてくれればそれだけでうれしい。それは通り過ぎた時間に耳をすますことであり、そこに生きた人の呼吸を感じることだ。おばあちゃんに聞いてみたら知らなかったけど、別の歌を歌ってくれたとか、そんなコミュニケーションが生まれたとしたら、さらにうれしい。

 冒頭であげた埼玉東松山のホタルの歌は手まり歌として分類されているが、同じ埼玉でも次のものは麦打ち歌とされる。

あの山で光るものは 月か星か蛍か 
星なれば 拝みましょうが 
蛍ならば手に取りて 袋へ入れて 
裏のお稲荷様へ納める(埼玉県大井町)

 長野作成の歌の種類の分布図を見ると、関東地方は主にてまり唄などの子供唄に変化しているものが多いが、中には大井町の歌のように、稲作に連なる麦打ち歌として古い歌われ方が残された地域もあるということだろう。
 手まり歌と言う意味では、歌われたテンポも気になるところだ。右田伊佐雄は『手まりと手まり歌 その民俗・音楽』の中でゴムまりが登場してからの手まり歌が、明らかに歌詞も増えてテンポも速くなったことを指摘しているが、東松山の手まり歌は歌詞のみみてもおっとりした感じがするし、歌の調子にしても、のんびり美しいものなので、明治以降に歌われた新しい手まり歌とは一線を画す感じがする。つまり昔の手まりは海綿などを用いた一部のものの他は全体にあまり弾ます、皆しゃがんでゆっくりとつくものだったのだ。東松山のホタルの歌には断然その方がしっくりくるし、夕暮れに少女がそんな風にしゃがんで歌いながら毬をついていたらさぞ美しい光景だったろうと思う。

 先日福島・山形にまたがる飯豊山に登る機会があったが、前日に山形の中津川という集落に泊まった。宿の目の前は田んぼで、夜何気なく外にでるとたくさんのホタルにであった。水田の水面を光が舞っていた。田んぼの奥の林のあちこちで小さな光が明滅した。まるでそれは、提灯を持った子供があっちにいたと思ったらこちらにも、という不思議な幻のようだった。今回の飯豊山行きに同行してくれていた写真家の飯坂大さんも、「子供たちの気配がするなあ」とつぶやいた。しかし、そこは限界集落であった。近くの小学校も数年前廃校になった場所で、私たちはかつてその場所にいたはずの子供たちのことを思っていた。

 8月10日に出たアルバム「わたしの好きなわらべうた」の中では、この曲のコーラスに青葉市子さんを迎えた。市子さんは驚くほど力の抜けた美しい声で歌うので、それはもはや神技というか、技という感じすらしない、「たまわりもの」という感じがする。蛍のぼんやり光る感じに、彼女のコーラスが合うと思ってお願いしたのだが、予想以上にその声の童女らしさが、この曲をぐっと引き立てた。遊び心で間奏にはさんだポピュラーな「蛍」のフレーズを彼女が歌うとき、しゃがんで毬をつく少女の残像が、聞く人の脳裏にぱっと浮かぶはずである。

2016年5月7日大阪ワンドロップ(アップライトピアノ)