【今週はこれを読め! SF編】不思議な語り口、気味の悪い発想、この世のものとも思えない物語

文=牧眞司

  • 爆発の三つの欠片(かけら) (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
  • 『爆発の三つの欠片(かけら) (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)』
    チャイナ ミエヴィル,引地 渉,日暮 雅通,嶋田 洋一,市田 泉
    早川書房
    2,750円(税込)
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 ちかごろのチャイナ・ミエヴィルは『言語都市』や『都市と都市』などSFでの活躍が目立つが、もともとはダーク・ファンタジー『キング・ラット』で名をあげ「ニュー・ウィアード」と称する文芸潮流の旗頭となった書き手だ。"ウィアード(wierd)"は辞書によれば「不思議な」「気味の悪い」「この世のものとも思えない」などの意味を持つ。ぼくの年代のSFファンがこの単語から思いうかぶのは、まずラヴクラフトやC・A・スミスなどが活躍した往年の怪奇小説誌〈ウィアード・テールズ〉だろうが、ミエヴィルがめざしているのは直線的な恐怖や装飾的な怪異ではなく、内容的にも語りのスタイルにおいても尋常ならざる小説だ。

『爆発の三つの欠片(かけら)』は第二短篇集で、2004年の第一短篇集『ジェイクをさがして』以降に発表された二十八篇が収められている(うち十三篇はこの本が初出)。「ニュー・ウィアード」たる特質が、ひじょうに濃く出た一冊だ。

 ジャンル分けするとSF、ファンタジイ、ホラーと多彩だが、どれも一筋縄ではいかない。ごく短い断片のような作品もあれば緊密に構成された短篇もあるが、どれも手応えじゅうぶん。読みにくいわけではないが、読者に集中力を要求する。

 というのも、注意深く読みこまないとどのように奇妙なのかが見えてこない作品が多いのだ。ミエヴィルは「過去にこういう異変があって世界ががらりと変わりました」というような、説明的な語りかたをせず、読者をいきなり変化したあとの地平へ放りこむ。開幕から違和感----世界の軋みのようなもの----が強くあるが、全体的な状況が判然としない。

 たとえば「キープ」という作品では、主人公のアナ・サムソンの不眠症から物語がはじまり、その状態は基地へ赴任する以前からだと明かされる。上司は基地内に住むことを望んでいたが、彼女は基地の外に住まいを借りてそこから通っている。アナの出勤途中、コーヒーを飲みによった店で店主とやりとりするなか、この町がなんらかの理由で寂れてしまったことが仄めかされる。その何かと基地とがどう関係しているかはわからない。

 アナは基地でニックと呼ばれる被験者を相手にしている。彼は「一番下の部屋」に隔離されていて、本人は「おれのような病気」などと言う。それに対しアナは「ほとんど問題がないように見える」と応え、「病気なのが、あなたではなくこの世界だとしたら?」と問う。

 じつは、さらりとふれられた「一番下の部屋」がこの作品のポイントだ。ある日の午後、アナは基地からへ家へ戻るとき、いつもコーヒーを飲む店が封鎖されているのを見る。階段の床が抜け、地下室へと崩れおちたのだ。その後も、物語のなかに「底なし」「溝」「穴」「壕」といった単語が繰り返しあらわれる。しかし、それが病気とどう関係しているのか?

「キープ」はアイデアだけ取りだせば、よくもまあこんな奇病を考えつくなと呆れる小説で、かんべむさしかジョン・スラデックなら軽妙なスラップスティックに仕立てそうだ。しかし、ミエヴィルは「病気なのは人ではなく世界なのでは?」と、不確実で不安定な含みを持たせることで、ざらざらした手ざわりの物語空間を構成する。深刻なことに、この奇病は伝染性なのだ。そのうえ原因が特定できない。

「バスタード・プロンプト」も奇病小説だ。売れない女優トーはSP(標準模擬患者)の仕事をはじめる。医療教育の一環としておこなわれる模擬診察で、患者役を演じるのだ。彼女はさまざまな疾病をみごとに演じわけ、多くの病院をかけもちするほどになる。しかし、あるときから、模擬診察でシナリオにない症状を訴えるようになった。模擬診察は医学生がSPに問診して治療法を考える訓練なので、シナリオから逸脱すると「ありもしない病気」を仮定することになる。しかし、事態は学習上の混乱だけに収まらなかった。

 トー自身は身体的にどこも悪いところはない。しかし、彼女が演じた症状が、無関係な患者の身に実際の疾病としてあらわれるようになる。謎の奇病が発生したのだ。しかも一人ではない。演じることと病気の発生は、いかなる相関関係があるのだろうか? ミエヴィルは医学ミステリみたいなタネ明かしはしない。

 スケッチのようなごく短い作品もあるが、奇妙な状況をいっそう凝縮させているため、印象が強烈だ。

「〈新死(ニュー・デス)〉の条件」は、死んだ人間の死体の足がつねにすべての観察者に向く〈新死〉が蔓延する。たとえ、ふたりの観察者が正反対の方向から見ていたとしても、それぞれの主観では死体の足が自分に向いている(肉眼だけではなく映像技術を通しても同様だ)。その一方で、死体は物理的な実在であり、観察者が手を伸ばせばその足を掴むことができる。何人もの観察者がいっぺんにそうしても、それぞれが死体の足を掴む。〈新死〉によって物理も変化したのだ。

「シラバス」は別な英国(ポストヒューマン・時間旅行・改変歴史・異星人到来などアイデア全部乗せ世界)における、なんらかの教育機関の三週間にわたる授業計画。各項目の端々に世界の異様性がのぞくが、そのなかに「ベンチ----本来はなんだったのか?」なんて論点が示されているのがおかしい。この世界ではベンチはどんなふうに使われているのだろう。

「〈ザ・ロープ〉こそが世界」は軌道エレベータが何基も建造されるが、市場競争によって明暗が分かれ、人気がないエレベータはオリンピック後の選手村さながらの無用の長物に成りさがり、運ぶのは健全なタワーへ行く金のないロマンチストや自殺志願者か、セキュリティの厳しいタワーを避ける事情のある連中ばかり。途中の階はスラム化して地球へ戻りそびれた労働者や積荷を狙う略奪者が住んでいる。

 一篇ごとに「奇妙(wierd)」の効きどころが異なり塩梅もそれぞれなので、次にどんな味がくるか手探りしながら読む楽しみがある。予断を持たず、そして油断せずにページをめくってください。

(牧眞司)

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