【今週はこれを読め! SF編】ハイテク廃棄物のディストピア、最周縁から世界を批判する哀しきモンスター

文=牧眞司

  • 荒潮 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
  • 『荒潮 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)』
    陳 楸帆,みっちぇ,中原 尚哉
    早川書房
    1,980円(税込)
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 現代中国SFの話題作。サイバーパンクの系譜を引く近未来ディストピアを、アクション・ノワールの味わいに仕上げている。さながらパオロ・バチガルピの好敵手といったところだ。

 舞台は中国南東部のシリコン島。実際は大陸とつながった半島だが、ここではだれもが島と呼ぶ。それだけ周囲と隔絶した事情があるわけだ。ここで最大の産業は、電子ゴミ処理だ。いまや廃棄物リサイクルは、世界的に莫大な利益を生む新興産業へと膨れあがりつつある。シリコン島にとっては、先行者利益を得るチャンスだ。いっぽう、ゴミ処理の現場は非人間的な労働環境にある。廃棄物処理に従事する出稼ぎ労働者は「ゴミ人」と呼ばれ、不衛生で危険な長時間業務を低賃金でつづけている。

 シリコン島の社会は、高度に産業化された超格差社会だが、それと裏腹にこの島には旧弊な因習が根強く残っている。

 まず、血縁による封建的家族主義。電子ゴミ利権は羅、林、陳の有力な三家が分けあい、その拮抗はマフィアのような抗争も生む。

 そして、島に脈々と伝わる迷信的世界観。古代の島民は、海潮に流され溺死した生き物は霊界に通じ、その高い感能力によって、時空を超えたメッセージを受けとると信じていた。それを儀式化したのが動物を使った潮占いであり、通常は仔牛、仔羊、犬を用いられるが、ときに人間さえ犠牲するという。

 シリコン島の沿岸の潮流は、岸にさまざまなものを運んでくる。さまざまなゴミに混じって人間の死体もある。多くは香港へ越境を試みて失敗した者だろうが、なかには潮占いの犠牲者もいるかもしれない。そうした無縁仏のための共同墓地がある。墓地の隅に立つのは、全高三メートル近い外骨格式の機械人(メカ)だ。特殊合金製の装甲は道教の符呪でおおわれ、装甲から出た突起物には仏教の数珠がかけられている。どこかの金持ちが酔狂で購入して捨てたおもちゃだろう。

 背景となる事物の、こうした描きこみが非常に丁寧だ。以上に紹介したのはほんの一端である。それも、たんに設定に凝っているだけとか雰囲気づくりのための意匠にとどまらず、物語にしっかりと絡んでくるところが素晴らしい。

 さて、その物語だが、メインプロットはわかりやすいボーイ・ミーツ・ガールだ。

 ヒロインは米米(ミーミー)、同郷の李文のもとで働いているゴミ人である。彼女は身に覚えがないことで羅家配下の荒くれ者に追われ、陳家の領域へ逃げてくる。陳家の執行役員である陳賢運は、米米をいったん庇護しもともと住んでいた村へ戻そうとするが、居合わせた陳開宗がそれを止める。村に戻してもまた狙われるだけだ。

 この陳開宗がヒーロー役である。まあ、ヒーローというには、いささかナイーヴで頼りないのだが。しかし、頭は良く、因習にとらわれない合理的な視野を備えている。彼はシリコン島で生まれ幼少期をそこで過ごしたが、家族でアメリカへ移り住み、そちらで教育を受けた。しかし、アメリカの文化環境に同化したわけではなく、ずっと居場所がない思いを抱いたまま二十一歳になってしまった。テラグリーン社の求人に応じ、いまは経営コンサルタント、スコット・ブランドルの助手兼通訳として、故郷のシリコン島を訪れている。

 陳開宗からすれば、シリコン島のひとびとの感覚は不可解だ。テラグリーン社は、廃棄物処理作業の劣悪な労働環境を改善するテクノロジーを提供しようとしている。しかし、住民たちは「よけいなお世話だ。自分たちはこれからもゴミにまみれて生きる」と答えるのだ。

 ただし、視点を変えて見れば、アメリカをはじめとする先進国は自分たちの出した産業廃棄物をこれまでシリコン島に、不当な条件で押しつけてきたのだ。それをいまになって、テラグリーン社のように「win-win」をお題目として、この島から新しい儲けを得ようというのだから、反発もある。

 さて、米米が羅家から追われていた裏には、彼女の上役にあたる李文が廃棄物のなかから拾ってきた奇妙なヘルメットがあった。出所を遡ると、第二次大戦直後からおこなわれてきた軍事絡みの技術開発「荒潮計画」に結びつく。この計画を研究面で主導したのが、鈴木晴川(せいせん)というアメリカに帰化した日本人科学者だ。彼女は婚約者を第二次大戦で失っていた(彼が乗っていた戦艦が「荒潮」だ)。そのことから、敵を殺傷せず、また敵から殺傷されることもなく、戦闘で勝利する幻覚兵器の開発に取りくんだのだ。しかし、計画が進行するにつれて、彼女の志したのとは違う方向へと事態はころがっていった。

「荒潮計画」そのものはすでに終了し、晴川も亡くなっているが、そこから派生した技術や研究は現代にまでつづいていた。そのひとつ、「荒潮計画」の遺産が脳神経科学や情報技術の発展と結びついて生まれた恐るべき進化形、それが李文の拾ったヘルメットだったのだ。このヘルメットが、やがて米米の精神と身体に圧倒的な変容をもたらす。

 科学技術研究の成果がストレートに世の中に影響を及ぼすのではなく、遺棄されゴミとなったものがまわりまわって、グローバル資本主義のグロテスクな歪みが体現されているシリコン島でカタストロフをもたらす。その巡りあわせが、非常にアイロニカルだ。

 米米は運命に翻弄されるか弱き女性などではない。新しく得た能力によって暴走する荒ぶる魂であり、共同体の最周縁から世界をまるごと(彼女を守ろうとする陳開宗をも含めて)批判する存在である。いわば、フランケンシュタインの怪物の直系だ。終盤のスペクタクルが凄まじい。

(牧眞司)

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